第48話 聖母の力

「貴方様、その子をどうするおつもりですの?」

「ひとまず補助席に縛り付けとくしかないだろ。聞きたいことが山ほどあるからな」


 俺は【ベネフィゼーザ】の騎乗席からリースを抱き上げて、【ペルラネラ】の補助席へと座らせる。

 若干、むすっとした顔でセレスが見てくるが、仕方がない。


 帰ったらセレスもお姫様抱っこしてやれば気が済むだろう。


 それはともかく、リースの代わりに【ベネフィゼーザ】の騎乗席に座ったクラリスへ、俺は声をかけた。


「ほんとにやるのか?」

「はい。争いを止める。それをこの【ベネフィゼーザ】ができるのならば、私は迷いません」

「無理をするなよ」


 言うと、クラリスは涙の跡の残る顔ではにかむ。


「ありがとうございます。グレン様。おかげでリースさんを助けることができました」

「助けたのはお前の力だろ」

「それでも、あの場で私が対等に話せたのは、グレン様のおかげです。リースさんをよろしくお願いします」

「……わかったよ」


 そうして、【ベネフィゼーザ】の騎乗席のハッチが閉じられた。

 俺は【ペルラネラ】に戻って、その様子を見守る。


 【ペルラネラ】の腕から起き上がった【ベネフィゼーザ】は、ブースターを吹かして戦場へと向かった。


 俺はそれに付き従うように後ろを走る。


「結局、聖母殺しの異名は取れませんでしたわね」

「ん? まぁな。ただ……ある意味殺しただろ」

「思っていたのとは違いましたですけれども」


 俺の言葉にセレスは苦笑する。


「けど、このまま聖母のお守りをするのも悪くない」

「まぁ、少し物足りないですわ」

「そう言うなよ」


 話をしながら【ベネフィゼーザ】を見ると、戦場の前で停止した。

 そして、スカートの中のブースターで空へと舞い上がる。


『皆さん、聞いてください。私は聖母、クラリス・ブールナールです。今すぐ戦いを止め、その矛を収めてください』


 クラリスの声が戦場へと響き、【ベネフィゼーザ】の背中から魔力の光が放出された。

 それはまるで天使の羽のように大きく広がり、戦場を覆うように舞っていく。


『ここで争う意味はありません。どうか、どうか私の声に耳を傾けてください』


 

 ◇   ◇   ◇



「クラリス……!? そうか、姐さんたちが……」


 ルーシーは【オリフラム】の中で、空に浮かぶ【ベネフィゼーザ】を見る。

 その騎体から放たれる光がさぁっと風のように駆け抜けたとき、ルーシーは今までの戦闘の中での緊張から解き放たれる、奇妙な安心感を覚えた。


 見れば、戦っていた周囲の皇国、ラハトのゴーレムたちも、呆然とした様子で【ベネフィゼーザ】を見上げている。


 遠くから放たれていた砲撃も止んで、苛烈を極めていた戦場に静寂が訪れていた。


「これが、聖母の力……」

「はい。聖母マリアンヌと同じ、戦を収める力でございます。使い方を誤れば、人の意志すら操作できる。クラリスが乗った今、この戦場はもはや彼女の優しさに、戦いを嫌う思いに支配されることでしょう」


 確かにこれは強力な力だ。

 

 ルーシーは自分の胸に手を当てる。

 先ほどまで戦いに興奮し、高鳴っていた鼓動はゆっくりとしたものとなっていた。

 

『ここで命を落とす必要などありません。お願いです。国へと引き返し、貴方達の帰りを待つ人たちの元へ帰ってください……!』


 クラリスの声は、魔力に伝播されているのか不思議な広がりを見せている。

 拙く、一生懸命な少女の声のはずだというのに、包み込まれるような暖かさがあった。


 周囲を見回すと、それまで剣を交えていた皇国とラハトのゴーレムはゆっくりとこの場を離れていく。


 ルーシーも【オリフラム】で構えていた両の剣を収めた。


「これで戦争は終わるのかな?」

「王国で【ベネフィゼーザ】を回収し、クラリスを正式に聖母として認めることで、皇国はラハト侵攻の理由を失います。その後は……難しい話になりますが、王国が間に入り、双方の受けた損害を分かち合って話し合いを行うことで、やっと終戦となるでしょう」

「戦うことをやめるのって、やっぱり難しいんだね」

「仕方のないことです。我々の歴史は戦いと共にございます」


 人と人は簡単には分かり合えない。

 【ベネフィゼーザ】という力をもってしても、この戦場を収めることしかできない。

 けれど、これ以上の力を望むのは傲慢なのかもしれない、とルーシーは思った。


 今はこれでいい。


 クラリスのおかげで、自分たちはこれ以上、ここで命を奪う必要はなくなったのだ。

 淡い光に包まれて空を舞う【ベネフィゼーザ】を見ながら、ルーシーはそう思うのだった。



 ◇   ◇   ◇



「恐ろしい力ですわね」

「まったくだな。女王サマが言ってた意味がよくわかる」


 【ペルラネラ】の中で、静かに戦場を去っていくゴーレムたちを見ながら俺は言う。


 これはもう、魔力を介した洗脳に近い。

 クラリスを接しているときにすでに気づいていたが、聖母は人にその思いを強いることができる。

 これがもし戦いを是とする聖母だったなら、壮絶な戦場になっているだろう。


 一個人の持っていていい兵器ではない。


 傑作騎であり、失敗作――そうリリーナが表現していたのはそういうことなのだ。

 

 しかし、【ペルラネラ】乗っている今、俺たちはその影響を受けていない。

 リリーナの言っていた通り、俺とセレスだけでなく、ペルという人工知能とも同調しているということなのだろうか。

 そして、人工知能は魔力の影響を受けない。

 

【ベネフィゼーザ】に対抗できる唯一のドール、それが【ペルラネラ】だと。

 

 いったい、リリーナはどこまでこの世界のことを知っているのか。

 

 帰ったらその辺のことも聞くしかないか。

 

 そう思いつつ、俺は【オリフラム】に向かって通信を開く。

 

「よし、帰るぞ。ルーシー」

『あ、はい。……ところでグレンさん、リースは?』

「俺の後ろで寝てる。帰ったら診てもらわないとな」

『ありがとうございます!』


 リースが無事だということが嬉しかったんだろう。

 【オリフラム】が駆け足でこちらに寄ってくる。


 そして、俺は【ベネフィゼーザ】に向けても通信を開いた。


「クラリス。もういい。降りてこいよ」

『は、はい! あ、あれ? これどうやって降りるんですか?』


 俺が呼びかけると、それまで手を広げて慈愛に満ちていた【ベネフィゼーザ】があわあわと焦りだす。

 どうやら最後までは聖母らしく振舞えないらしい。


 仕方なく俺が操作を指示すると、ゆっくりと【ベネフィゼーザ】が高度を落としてきた。


「オーライオーライ。よし、そのままだ」

『いいよ。上手いよ。クラリス』


 俺は【ベネフィゼーザ】の両手を【オリフラム】と共に取って、ゆっくりと地面に着地させる。

 

『頑張りましたね。クラリス』

『エリィお姉様……』

『これからは貴女が聖母です。国へ帰ってからも、しっかりとその務めを果たすのですよ』

『はい……!』


 エリィの言葉に、クラリスが懸命そうに応じた。

 これからクラリスは大変だろう。


 聖母として王宮で過ごし、ときには人々の前に立ち、聖母としての言葉をかけなければいけない。

 だが、それがクラリスの選んだ――【ベネフィゼーザ】に乗った彼女の道だ。


 せめて、この帰り道くらいは聖母としてではなく、友人として振舞おう。


 俺がそう思い、【ベネフィゼーザ】の手を引いた瞬間――。


『⚠M.Iマインドインテンション検知⚠』

「なっ……!」


 ――【ベネフィゼーザ】の右肩を青白い閃光が貫いたのだった。

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