第15話 ドンマイ辺境伯

「あはははっ、貴方様! 楽しいですわね! うふふふっ!」


 屋敷の庭園、セレスの愉快な笑い声が響く。

 そう、俺たちは留学までの間、恋人として穏やかな日々を――ぉぉぉおおお右から大振りが来るぅぅぅ!!


「ぐおっ!」

「そんなでは王国の騎士に笑われてしまいますわ! さぁ、もっと、もっと強くなってくださいまし!」


 俺はセレスからお庭遊びという名の剣のシゴキを受けていた。

 

 【天武】の祝福を持っているセレスは生まれつき身体能力が高い。どれくらいかというと平気で屋敷の三階から飛び降りるし、逆に二メートルくらいある屋敷の外壁を飛び越せるくらいの人外レベルだ。

 対する俺は今まで技師として働いていただけで、持ったこともない。

 おかげで木剣で剣戟を受けるだけでも指先に痺れが来る。


 それでも直撃を免れているのは、最近、俺の身体能力まで向上しているせいか。


 どうやらドールに同乗し、精神同調した二人では祝福がある程度共有されるらしい。

 ペルが『にゅーらるりんくねっとわーく? の形成による影響』とかなんとか言っていた。


 それはいいんだけど……。


「痛ッ!?」


 カコォン! といい音がして俺の木剣が弾き飛ばされる。

 セレスは残念ながら手を抜くということを知らなかった。


「さぁ、トドメですわね……!」

「トドメは勘弁して!?」


 地面にへたり込んだ俺は手を挙げてセレスに懇願する。

 すると、ふっと笑ったセレスが振り上げた木剣を下ろして笑った。


「うふふっ、冗談ですわ」


 嘘つけ! 目がマジだったぞ!


 俺は息も絶え絶えにそんなセリフも吐けず、草むらへ大の字になる。

 対するセレスは俺のものよりも長い、ロングソードサイズの木剣を使っているのに、汗一つかいていない。


 あれを片手で扱えるのだから相当な腕力と握力だ。


 その細腕のどこからそんな力が出るのか。

 

 そんなことを考えていると、セレスが俺の上に乗ってくる。

 こんな風に体重をかけられても大して重くはない。

 

 セレスはそのままゆっくりと寝そべって俺の胸に頭を置くと、ふぅと息を吐いた。


「楽しいですわ。こんな風にお外で遊べるなんて夢みたい」

「遊び、ね……」


 こちとら全力で相手をしなきゃ命の危機を感じるほど余裕がないんですけど……。


 やっと息が整ってきたあたりでセレスの銀髪を撫でてやると、甘えるように頭を擦りつけてくる。

 幼少期からずっとお屋敷の中で、顔を隠して生活していたセレスにとって、このお庭遊びは憧れのようなものだ。

 誰にも疎まれず、咎められずはしゃげる今が、これ以上ないほど幸せなのだろう。


 だが、セレスはこのままお庭遊びだけで満足する女じゃない。

 もっと力を、自分の祝福を持ってして、戦場を駆け巡ることを望むはずだ。


 果たしてこの隠しボスはどんな未来を呼び寄せるのか。

 

 それでも愛おしいその体を抱きしめていると、セレスが顔を上げる。


「そういえば貴方様のご両親も騎士だったのですよね?」

「まぁな。詳しいことはあんまり聞かされてないけど」

「剣は教わらなかったのですの?」


 セレスの問いに俺は行動で示してみせた。

 

 右のストレートパンチ。

 

 その拳が誰もが振り向くような美貌に打ち込まれる――はずはなく、パシッと片手で掴まれる。


「俺が教わったのはこっちだ。……喧嘩にだけは負けるなつってな」

「あらあら……。確かに良い拳でしたわ」

「そ、そりゃどう、もぉ……!」

「貴方様が始めたのですのよ?」


 セレスは取った拳をギリギリと掴んだまま、その口端を吊り上げた。

 

 やべぇ、マウントを取られたまんま第二ラウンドが始まっちまった!


「うおおぉぉ! すいませんでしたぁぁ!」

「ふふっ、可愛い人……」


 俺は組み伏せられるのに抵抗しながらも、全力で謝るのだった。



 ◇   ◇   ◇



 そして、ついにこの日が来た。

 俺たちは屋敷の前に止まった馬車へ荷物を積み込んでいる。

 

「お兄は本当にこれだけでいいの?」

「ああ、どうせ大したものはないしな」


 メイド姿のマリンが俺のこぢんまりとした荷物を見て問うてくる。

 俺の荷物は中くらいのバッグ一つで収まってしまったのを気にしているのだろう。


 だが、持っていくものはあまりない。


 俺たちがこれから向かう騎士学校は生徒のほぼ全てが貴族の子息、令嬢となる学校だ。

 生活に必要な物は向こうの宿舎に揃っているし、平民の服装など持っていったら笑われてしまう。

 その辺は同じく平民から学校に通うゲームの主人公視点でわかっていることだ。


 正直、【ペルラネラ】と自分の体さえあれば十分。


 そんな俺とは正反対に荷物が多いのはセレスだ。


 茶器、食器、ドレス、茶葉に至るまで帝国製のものを持っていっている。

 これは向こうの学校でも帝国からの留学生として、メンツを保つ意味合いがあってのことだ。

 

 貴族は貴族で色々とやることがある。


 まずは融和のための交換留学生として他生徒たちとは良好な関係を築くこと。

 帝国の貴族として帝国製のモノが優れていることをアピールすること。

 逆に王国の優れているものがあればそれを確かめてくること。


 そして、可能であれば貿易という形で話をつけてくること。

 

 と、その立ち回りをアルトレイド辺境伯から嫌というほど叩き込まれた。


 なぜかといえば、そりゃあ……。


「ふふっ、向こうにはどんな騎士がいるのでしょうね? 貴方様?」


 セレス当人がそんなビジネスライクな働きをできないとわかっているからだ。


 だからってなんで俺がそれを肩代わりしなきゃいけないんだ!?

 

 確かについこの間、騎士にはなったが、ギリギリ貴族みたいな微妙な立ち位置だ。

 生徒個人として既に爵位を持っているのは珍しいかもしれないが、それでも下に見られることは間違いない。


 俺自身はセレスのおまけみたいなものだ。


 この一月で色々と教えてくれたアルトレイド辺境伯には悪いが、俺にはセレスが暴走しないか見張るくらいしかできない。

 

 セレスが普通のご令嬢だったなら国家間を取りなすという重要なお役目を果たし、なおかつ事業も広げることができて千載一遇のチャンスだったろうに。ドンマイ辺境伯。


「向こうでは体に気をつけるのだぞ。セレスティア……」

「はい。お父様」


 見ればアルトレイド辺境伯がセレスとハグをしていた。

 その表情には不安が滲み出ていて、なんとも別れを惜しむ感じではない。


「じゃあ、行くか」

「はい、貴方様」


 俺とセレス、そしてマリンが馬車に乗り込む。

 その後ろにはゴーレムに引かれた、デカい布に覆われたものがあった。

 俺やセレスの荷物なんてこれと比べれば小さなものだ。


 寝かされた状態の【ペルラネラ】である。


 騎士学校には自分のドールやゴーレムを持ち込んで良いことになっているのだ。

 

『当方は自立歩行での移動を所望する😑』

「そう言うなよ。武装した帝国のドールが王都に歩いてきたら大騒ぎだぞ。そもそもマリンをどこに乗せるんだよ」

『難儀😮‍💨』


 我儘なやつである。

 他のドールにもこんな意識が宿っているんだろうか。


 だとしたら争いを好まないコイツの性格は他のドールの意識からはどう思われるのだろう。


 学校に着いたら、それもおいおいわかってくるはずだ。

 正直、俺はこの人生で初めての旅に、胸を躍らせている。


 もっと知らないものを知って、見たことのないものを見てみたい。そんな普通の欲求くらいは俺にもある。


 それを叶わせてくれたのはセレスなのだと、横にいる彼女の手に、俺の手を重ねる。


「貴方様……?」

「なんでもない」


 別に言葉にすることでもない。

 俺を小さな世界から引っ張り出してくれたことに感謝していることなど、心を一つにする俺たちならすぐにわかるのだから。


「イチャついちゃって、もー」

『同意😒』


 ……悪かったな!


 俺はこれからの旅路に思いを馳せつつ、窓の外を眺めるのだった。

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