第4話 王三郎 二匹目の猫を所望する(改)
突然目が覚めた。
猫化が進んでいるからか、ちょっとした気配で、目が覚めるようになっていた。
布団が違う。そうだ、ここはあの道場だった。
まだ朝じゃないのに、なぜ目を覚ましたんだろう。
かすかな足音。
現れたのは疲れ切った牧田翡翠だった。
「牧田、どうした」
「疲れただけ、だいじょ…ぶ」
牧田翡翠の声は、音声よりも息の割合がかなり大きくなっていた。
つまり、息絶え絶えだった。
明かりをつけると、牧田翡翠の服はところどころ破けていた。
「ほんとに大丈夫なのか」
「ちょっと寝ればだいじょぶ。ね、これ、食べて」
「なに、これ」
渡されたのは葉っぱ。
「いいから、早く」
俺は焦ったような声に追い立てられるように、葉っぱを口に入れた。
俺の喉が動くと、牧田翡翠はほっとしたようによかった、とつぶやき、そのままずるずる落ちていった。
牧田翡翠の顔や手に、汚れや固まった血がついていた。
起こさないようにそっと拭いたら、かすり傷程度だった。
よかった。
可愛いお顔に傷が残ったら大変だ。
『あっち』って、そんなに物騒な場所なんだろうか。
多分今の葉っぱを取りに行ってたんだろうけど。
あの葉っぱ、いったい何だったんだろう。でも多分、俺のためなんだろうな。
すまない。
野木美月も、牧田翡翠も、ほんとうにいいやつらだった。
牧田翡翠の寝顔を見て考えこんだが、呪われた猫の血が、またしても俺を深い眠りに誘いこんだ。
くーくー
懐の温もりで目が覚めた。
俺の脇に顔を押し付けるようにして、牧田翡翠が眠っていた。
俺の納豆臭を味わっているのか、それとも臭くて意識を失っているのか。
規則正しい穏やかな呼吸音だった。よかった。
血の気が失せてた顔色は、真珠のような白さになっていた。
よくよく見なくても、お人形さんじみてる。
こいつ、こんなに可愛かったっけ? バージョンアップしてないか?
大きな目が開いた。
ピントがゆっくりと絞られる。
俺に焦点があうと、花びらがほころぶように微笑んだ。
「トドくん」
「……」
これが女だったら、俺に気があると勘違いするところだ。
ちなみに名字が東堂なので、友達はだいたいトドと呼ぶ。
「牧田、身体痛いところないか?」
「だいじょーぶ。トドくんの横で寝たから治った」
「どういうこと?」
「トドくん、いい匂いで、身体が元気になる」
また匂いだ。しかも元気になるですと?
そういえばオーサブローと野木美月も、俺の能力がどうのと言ってたっけ。
俺のスメルが牧田翡翠を元気にさせるってこと?
あれ? ほっぺの擦り傷、なくなってないかい?
牧田翡翠は大きなあくびをすると、また俺の体に顔を寄せて眠った。
俺もそれに誘われるように、目を閉じた。
人の体温ってのは、なんでこんなに気持ちがいいんだろう。
くーくー
次に目が覚めた時には、傍らにいたはずの牧田翡翠はいなかった。外も明るくなっている。
起きあがって、あたりを見渡した。
再度見渡して、思わず声が出た。
「こ……」
ここはどこ?
石造りの家に暖炉、木枠の窓、短くなった蝋燭。どう見ても中世ヨーロッパ映画。
でもこのベッドの感覚は上質なマットレス。たぶん最高級クラスで、一週間ぐらい寝続けても体が痛くならないやつ。
趣味で中世風に室内を整えただけなのか。
やあ、という明るい声に振り返ったら、そこにオーサブローがいた。
「誘拐しちゃったよ」
「は?」
「翡翠が君に懐いていたから、悔しくって誘拐しちゃった」
それは夕べのお布団シェアの件でしょうかと言おうと思ったが、オーサブローの目が笑っていなかった。
「おまけに、翡翠は君の匂いで元気になっちゃうし。こうなったらもう、君を僕の物にするしかないのかな」
オーサブローはベッドに上がり、俺の両足の間に膝を突いた。
Tシャツがはぎ取られる。
なんで逆らえないんだろう。それどころか、俺の両手が協力してバンザイしているんだが。
オーサブロー、俺にどんな魔法をかけた。
吸いつくような手のひらが、俺の胸をゆっくりと撫でた。
鳥肌のさざ波が凄い。
「好みの大胸筋だ。だが最近運動してないだろう? 僕はこんなうっかり贅肉が大好きなんだ」
俺のうっかり贅肉と乳首が、やつの手の中で弄ばれていた。
オーサブローは俺の首筋に顔を寄せた。
ああ、吸い込まれる。
うっとりとしたようなため息が、俺の髪を通り抜けた。
「治癒能力は低めだけど、軽めの麻薬みたいだね、最高だ。美月と翡翠だけに独占させるのは、もったいない」
「野木さんは、吸ったこと…ないです」
「そうだね。二人には僕の知らないところで、勝手に元気になってもらっては困る」
「どうしてですか」
「二人は僕のものなんだ」
「なぜ、ですか?」
「僕がそう決めたからだよ」
オーサブローの声は晴れやかだった。
「君も同じだ。全身猫毛になった方が、匂いは上質になりそうだから、猫になってもらおうかな」
「いやです。学校が」
「もう学校へ行く必要はないよ。ここで僕と暮らせばいい」
「絶対いやです」
「大丈夫だよ。猫になれば人間の意識も薄れて、僕にまとわりつく二匹目の子猫ちゃんになるから」
オーサブローの手が肌を滑り、またあのざわざわ感がやってきた。
視界が涙で歪んだ。
お願い神様、俺いい子になりますから、どうせ猫になるんなら、オーサブローではなく野木美月か牧田翡翠の猫にしてください。
が
ざわざわ感は、ざわざわ感で終わった。
「何を、したの?」
何をされたの?
「多分翡翠から、何かもらったね」
あの葉っぱのことだろうか。
オーサブローが首筋に顔を寄せ、くんと匂いをかいだ。
反射的に身体がすくむ。
耳の中に、またしても生ぬるい息が吹き込まれた。
「夕べ翡翠からもらったのは、どんな物だった?」
「わ……忘れました」
「忘れっぽい子だね。翡翠が僕に逆らうのも君のせいだから、おしおきしちゃおうかな」
俺は震え上がった。
殺されるよりももっと悲惨な運命がやってくるような気がした。だってこいつは、俺の想像を超えた思考回路の変態だからだ。
オーサブローの顔が近付いてきた。
「玉ちゃんじゃなくて、僕が噛みついたら、どうなっちゃうと思う?」
「わ……わかりません」
「体に直接教えてあげるよ。どこを噛まれたい?」
「……場所によって、症状が変わるんですか?」
「僕のやる気が変わるんだよ」
ああ、ダメだ。
やっぱりこいつは俺が対抗できる相手じゃない。
きっと玉ちゃんレベルじゃない症状が出るんだ。
だが、またしても救いの声が響いた。
「玉ちゃんが、てめーの可愛い子猫ちゃんだったことがあるか?」
俺は心の中でスタオベした。野木美月、君はやっぱり僕の真のヒーローだ。
「最初は可愛い子猫ちゃんだったよ」
「翡翠も、いつまでもお前の言うことをきくガキのままだと思うなよ」
オーサブローは俺の身体に手を回したまま、野木美月に色っぽいまなざしを送った。
「君を呼び出したかったら、この子を拉致するのが一番だね」
「これ以上こいつを巻き込むな。猫化がなくなれば、匂いもなくなる」
そっか、猫化がなくなったら、野木美月と牧田翡翠とも関係がなくなるのか。
なんとなく二人の仲間入りができていた気分でいた。
「あいにく僕はこの子が気に入ったんだ。この子に何を飲ませたか教えてくれ。戻しの薬を飲ませなきゃ」
「知らないね」
「だったら、翡翠に聞こうか」
オーサブローは薄く笑ったが、その表情に俺はぞっとした。
オーサブローの気に入ったは、生殺与奪まで込みの所有権なんだ。
野木美月は静かに木刀を構えた。
「美月ちゃん、君の弱点は情に脆いところだね」
そう言いながら、オーサブローも木刀を手にした。
「お前に比べたら、だいたいの人間は情の塊だ」
突然オーサブローの呪縛が解けた。
逃げろ! という声が頭の中に響いた。
俺はTシャツを掴んでベッドから飛び降りた。
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