系統1‐2 …運転手の口元が、笑っている。

 再度、運転手に声をかけてのぞき込むと、若い男性の運転手がしっかりとハンドルを握っていた。

 全体的に細い印象だが、妙に落ち着いた雰囲気がある。お兄さん、といった風貌ふうぼうで、20代…だろうか。

 帽子から耳横に少しだけ出ている薄い茶色の髪は、さらさらとしていて、眼鏡の奥の瞳はとても優しそうだ。何だか少し、格好いい…


「お客様…」


 目線をこちらに向ける事は無く、真っ直ぐに前を向きながらも、運転手は喋った。

 よかった。この人は話の通じる、普通の運転手だ。


「気付いてしまいましたか。」


 …そうつぶやく、運転手の口元が、笑っている。


「このバス、御北みきた駅行きでは御座いません。」

「え…?」

「お客様がご乗車された時、御北みきた駅行きとご案内いたしましたが…申し訳ございません。あれは、嘘です。」


 しかし、この会話が…すでにおかしい。


「どういう事…ですか? これって、どこ行きです…? 降りたいんです…けど…」


 私は混乱する。

 ―これは何? 何が起きているの? この運転手は…一体…


「お客様、最近の事件や事故…ニュースはご覧になられていますか?」


 運転手は、私の問いになど答えない。親しく世間話をするように、全く別の話題を喋りだした。


「…連続バス爆破事件。頻発していますよね。これまでの常識では有り得ないと思っていた事件が、当たり前のように起きている。とんでもない時代です。」


 連続バス爆破事件。

 勿論もちろん、知っている。知らないわけがない。この御北みきた市で起きて、犯人が捕まっていない凶悪事件だ。


「しかし、すいぶん昔…1970年代は年間500件以上の爆発テロが起きて、テロが当たり前だった時代があったそうです。この日本でですよ? 信じられない事実です。」


 ―この運転手は、何の話をしているの? なぜ今、そんな話をしているの?


「これまでの常識では有り得なかった事件も、連続的に起き続けると感覚が麻痺まひしていき、気付いたら当たり前になっていたという事は、実際に起こり得ます。…そう、バス爆破事件が当たり前などという、有り得ない感覚に。」


 運転手は車内アナウンスのように、流暢りゅうちょうに、恐ろしい話題をつむぐのをやめようとしない。


「傷ましい犠牲ぎせい者ですら、運が悪かったと片付けられて…人々の関心からすぐ消えてしまうような、よくある事件のひとつとなって…」


 そこまで話すと運転手は獲物えもの所在しょざいを確認するように、ちらりと一瞬、目線を私に向けた。

 そして…ぐにゃりと足元からゆがんでいくような、得体えたいの知れない恐怖が…私にい寄ってくる。

 それはもう、考えるまでもなかった。今まで全く関係の無かったあの凶悪事件の舞台に、ずりずりと引きり込まれて…否応いやおうなしに…巻き込まれていく…


 自分の置かれたこの状況は、これまでに起きたバス爆破事件の犯行手口に…ぴたりとにぶく、合致がっちした…

 だから、この運転手は…連続バス爆破事件の犯人…


 ―………爆破魔だ。


 運転手は、これで自分の自己紹介は終えたというように、そこまで語ると口を閉ざした。

 私の反応を、待っている。

 …私は恐怖で、何を言えばいいのか分からない。それでも何か言葉をを振り絞らないと、次のアクションが始まらないような、永遠に近い沈黙が続く…


「あ…あなたが……?」


 ―本物のバス爆破魔ですか? もしくは バス爆破魔ご本人ですか?

 …なんて続けようとしたが、恐怖でのどめ付けられ、無理だった。


「ああ、ご存知ぞんじでしたか! どうも有難う御座います!!」


 しかしこの運転手には、それだけの言葉で充分だったようだ。

 知名度に感謝するこの返答で、冗談ではなく本当に…自身がバス爆破魔である事を、認めた。


「それでは始めましょう、運の悪いお客様。」

「……っ!?」


 もうこの車内は、普通ではない。

 当たり前ではない。

 異常だ。

 異常事態に、おちいっている。


 窓の外は、もうどこを走っているのか分からない。

 とっくに正規せいきの運行ルートから外れている事だけは、分かる。


 次第に雪が降り始め、静かに強さを増していく。

 もうここは、予定時刻よりも遅れて来た、車内が貸切状態の、御北みきた駅前行きの、いつも通りのバスなんかではない。

 私と、得体の知れない人間…バス爆破魔なる男と2人きりの…死に近い、閉ざされた空間だった。


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