シャランシャランと音がする。耳障りなほどに。それに椿は呆気に取られて裏長屋の軒差しを眺めていた。


「どこの家にも季節外れな風鈴がかけられていますわね」

「お守りって言われたら、そりゃ町民だったら黙っちゃいねえわな」

「どうしてですの?」

「医者にかからねえためだったら、町民はなんだってするんだからな」


 腹を下した、熱が出た。そう言ってすぐに医者に診てもらえるのは運がいい人間だ。少なくとも金とコネがある。

 大店の店子だったらいざ知らず、裏長屋に住んでいるような町人がそう簡単に医者にかかれる訳もなく、そうなったら病気にかからないようにするしかあるまい。だから有事の際に備えてお守りを買うのだ。

 厄介なことに陰陽寮も、みかじめ料が払えるならという条件の下、どう考えても詐欺まがいなお守りの売買を認めていた。それには毎日毎日こつこつと真面目に暦をつくって生計を立てている史郎からしてみればうんざりする話だった。

 やがて問題の陰陽師が住んでいると言われている長屋が見えてきた。大家を探すと、猫を抱えてお茶をすすっている老人が見えた。


「おや、陰陽師様がなにかご用ですか?」

「ここにも陰陽師が住んでいると聞いているが」

「ああ、喜助きすけでございますね」

「会いに行っても大丈夫かい?」

「最近羽振りがいいせいで、なにかと勢いづいておりますよ。正規の陰陽師様に叱られれば、もうちょっと考えも改めるかとは思いますが」


 大家はたしかにうんざりとした口調をしていた。史郎は「ありがとう」と礼を言ってから、喜助の長屋に足を向ける。その大家のほうを振り返りつつ、椿は「先生」と尋ねる。


「喜助さんは先生と違って民間の陰陽師なんでしょうか?」

「だろうなあ……ああ、商売あがったりだよ、いい加減なことばかりされちゃ」


 史郎はそう言いながら、喜助の部屋の前に辿り着くと、玄関で叫んだ。


「こら喜助ぇ、いるんだろ。いるんだったらとっとと返事しろぉ」

「はあ……? この天下の喜助様に大きい口を叩くたぁ、どういう了見だぁ?」


 史郎は思わずこめかみに手を当てた。出てきたのは、たしかに狩衣に烏帽子と、史郎と同じく陰陽師らしい格好をした男だったが。昼間っから酒を飲んでへべれけなのだ。なるほど大家がうんざりして「叱られろ」と言うはずだと、史郎は苦虫を噛みつぶした顔で喜助を診た。

 史郎の隣では、目をまん丸に見開いた椿が、顔を思いっきりしかめて「臭い!」と悲鳴を上げている。本当に臭くて臭くてかまわないほどに、ベロンベロンに酔っ払っている。しかも並んでいる酒を眺めてみると、どう考えてもそれは高い酒だ。

 それを診て、史郎は心底うんざりした顔をして喜助を睨んだ。


「ずいぶんと羽振りがいいみたいじゃねえか」

「はあ? 誰だあんた。俺が羽振りがいいのを見て、商売の種を奪いに来たってかあ?」

「みかじめ料」

「……はあ?」

「民間の陰陽師だって、陰陽師を名乗っている以上みかじめ料を陰陽料に払うのが筋ってもんだ。あんた払ってるのか?」

「なあに……ちゃあんと、払って……」


 あからさまによそよそしくなってしまった。それに椿がこっそりと史郎に耳打ちする。


「あのう……払ってないのでしょうか?」

「いや? 一応は払ってるはずだ。でなかったら、陰陽寮も普通に町方で詐欺だと訴えてる。それでもこの様子じゃあ……一部ぼったくってるだろ?」

「なっ! 通報だけは、通報だけは……!」

「別にあんたに金払えって言いに来たんじゃねえんだよ、俺も。あんたがそれをお守りって言いふらして回ってたのか?」


 そう言って史郎が指差した先。長屋の中は酒と鏡の風鈴だらけだった。それに喜助が笑う。


「……元々は、出島で品を仕入れてきた商人から相談されたんだよ。南蛮渡来の鏡で、御店のお嬢さんたちに流行らせようとしたものの、ちっとも売れやしねえって。それだったら、縁起物の風鈴と名乗って売っちまおうって」

「鏡を風鈴として売り、それが縁起物だからお守りとして売れるようになったと。普通に鏡として売ってくれりゃあよかったのに余計なことしやがって」

「え……?」

「これが夏だったらよかったんだがな、冬にやることじゃねえよ。悪いこと言わねえから、あんたの相談者とよく相談して、売り方考えな。町方はずっと付け火の犯人を捜して回ってんだよ」

「はあ!? 俺は付け火なんてしてねえぞ!? 付け火なんて死罪じゃねえか!」

「そりゃそうだ。どれだけ粋がってようが、死罪になんぞなりたくはねえな。それじゃあな。ああ、そうだ。その鏡ひとつ恵んでくれねえか? もしかしたらしばらく売れなくなるかもしれねえからな」

「……勝手にしろ」

「ありがとな」


 史郎はひょいと鏡を袖に納めると、喜助の家を閉めた。それに椿は首を捻った。


「先生、もしかして火車が出たからくりがわかりましたの?」

「烏がよく集まるようになったって話で、変なもんだと思ったんだよ。猫長屋って呼ばれるくらいに猫がいる長屋に、なんで烏が来るんだと」

「子猫がいたら、烏も来そうですけれど……」

「子猫がいたら親猫がいるだろ。子を襲われた親猫なんておっかないったらない」

「たしかにそうですわね。空が飛べても子猫を襲いに来たら地面に近付くはず。それが親猫に見つかったら、死ぬのは烏のほうですわ」

「だろう? だから変だと思ったんだ。なのに、烏が集まっていた……こりゃ烏がめぼしいもんでも見つけたんじゃねえかと思ったんだよ」

「それが……あの鏡ですか?」

「烏が光り物好きなのは相場が決まっている。簪や銭を烏に持って行かれたって話は、割と耳にするからなあ」

「でも……烏と火車にはなんのかかわりが……?」

「烏と火車は関係ないが、烏と鏡、鏡と火車は関係があるからなあ。これは付け火ではないが、普通に人災だよ」


 史郎は心底うんざりした顔をして、袖から先程喜助宅から取ってきた鏡を見せた。鏡はつるりと光っているだけで、あまりにも無害に見えた。


****


 史郎と椿が長屋に戻ると、糸が煙管を吹かせていた。

 彼女は元々夜鷹だった関係か、ときおり色っぽく煙管を吹かせては、通りかかる人々の鼻の下を伸ばす仕事をしていた。もっとも、彼女は亡くなった亭主ひと筋なため、この長屋の大家を辞める気は当面ないらしいが。


「糸さん、ちょっと中庭で焚き火をしていいかい?」

「焚き火? そりゃかまわないけど、乾燥してるんだ。長屋に燃えたら怒るからね」

「燃えないように井戸の近くでするさ。じゃあ椿、念のため井戸水を桶で汲んでおいてくれ。それで見せるから」

「はあい」

「なんだい。火車がどうのって言ってたのに。火車祓いはどうなったんだい?」

「これから火車の正体を突き止めるところさ」


 糸は煙管を噴かせながら「わからんないねえ……」と見守っていた。

 史郎は家のいらない紙やらを持ってくると積み重ね。その上に鏡を照らした。それを椿は見守っている。糸はそれをまじまじと見つめていた。


「なんだい、火打ち石ないんだったら貸すよ?」

「いや、火車の正体がこれだから」

「火車って……鏡と紙でどうしろと」


 糸はなにをやっているのかわからないまま、そろそろ日が傾いて寒くなったのを確認し、自宅へと引っ込んでいった。

 一方中庭に座る師弟は、震えながらも鏡を傾けている。


「あ、あのう。先生。本当に火車は現れますの!?」

「現れる。現れるから落ち着いて鏡を……くしゅん」

「先生、冷えは万病の元ですわ。もう帰りましょうよ……あら?」


 ずっと鏡を傾けていた紙束が、焦げ臭くなってきたのだ。紙束が、火もないのに焦げている。


「どうして……!」

「はあ、やっぱりな。これが火車の正体だ」


 そう言いながら史郎は桶を傾けて、紙束の焦げ付きを納めた。それに椿は納得がいかない顔をした。


「鏡を傾けていただけなのに……」

「ああ、鏡を傾けただけじゃ、ただ紙が鏡に映るだけでなにも起こりゃしないさ。ただ、条件が揃った途端に火車が現れる。さっきも言っただろう。こりゃ人災だと」

「どうやって……」


 椿はおろおろするのを、史郎は薄く笑って見ていた。

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