六
冬の日差しは弱い。しかし日が出ている場所はぽかぽかと温かい。今は鏡が紙をじりじり焼いたにおいだけが残っている。
そのにおいの中、史郎が話しはじめた。
「なにも鏡を出していたら、どこだってすぐに燃える訳じゃねえ。ただ、出す時間を気を付けないと、たちまち火車が現れちまうのさ」
「だとしたら……先生はそれが原因で火車が現れて、裏長屋が燃えたとおっしゃいますの?」
「ああ、たださっきも言ったように、こいつはただの人災だ。妖怪が現れて意思を持って燃やした訳でも、猫が祟った訳でもねえ。まあ……知識がなかったら、人災だって気付きようもないがな」
そう言いながら、史郎は空を指差した。
「夏のかんかん照りのとき、日が落ちるのは遅くなるな?」
「そうですわね。夏は昼が長くて、逆に冬は短いです」
「そう。そいつは空を毎日見ていたらだいたいわかる。もちろん正確な時間を知りたきゃ水時計でも日がな眺めていなきゃならねえが、だいたいでいい。で、冬の場合は日が短い」
「そこまではわかりますが」
「日が短いってえのはなあ、日が地面に近付くって訳だ」
そう言いながら、史郎は懐から糸を取り出した。あやとり用の糸であり、手慰み用のものだ。それを指に引っ掛け、ぐるぐると回しはじめた。
「夏のときは日は地面から遠い。日差しは強いが、地面から遠いんだ」
「そうですわね?」
椿の相槌を聞いてから、史郎は糸を二重にして指に引っ掛けた。二重になった分、糸の長さは短くなる。
「で、冬のときは日は地面から近く……日はもろに鏡に近くなる」
「あら?」
「俺たちは紙を燃やすとき、鏡をわざと日の光に当てながら燃やしたが、冬の場合は窓や軒差しに簡単に日の光が入り、たまたま燃えやすいものが近くにあった場合は、その光を受けて物を燃やすことがある。これが、火車の正体だ。あの陰陽師が出島の商品を売り捌くためにお守りだってでっち上げて各店に売り捌いた結果、裏長屋が燃えたって寸法だな。殿様だったらいざ知らず、裏長屋が鉄や金でできてるなんて聞いたこともねえ。燃えやすい木が日の光でじりじり焦げた結果燃えたっていうのが真相だろうさ」
後の世では、
鏡やびいどろなど、光を一点に集めた結果、そこが焦げて火災が発生するもの。本来夏場でなければ風鈴が売れる訳もなく、夏場であったら日が高い分、日差しがそのまま鏡に入ることもなく起こらなかった不幸な事故。
しかし、冬に出島の鏡を売りたいという相談の結果、陰陽師のお守りとして軒差しに次々鏡を引っ掛けるという習慣が生まれてしまったがばかりに、その不幸な事故が発生したという訳だ。
暦をつくるために、毎日欠かさず空を眺めているような陰陽師だったからこそ、真相に気付くことができた。
人災ではあるが、故意ではない。まさしく妖怪のしわざとしか言いようがない事件だ。
それを椿は黙って聞いて、そして首を傾げた。切り揃えられた髪が揺れる。
「たしかに理屈はわかりましたけれど……これは陰陽師のお守りだということで売り捌かれていたものですわ。これをどうやって撤回しますか? このまま放置しておいても、第二第三の火車が生まれてもおかしくはないじゃありませんか」
「ああ、それなんだよなあ……」
史郎は非常に頭を痛そうに、こめかみを指で押さえた。
「民間の陰陽師が売っていたこととは言えども、これが原因で火車が出るなんて言ってしまえば、陰陽師の権威に傷が付くしなによりも……瓦版屋で買ってもらっている暦が売れなくなる」
「先生、自分の話ですか」
「俺だけじゃなくって、他の陰陽師もだよ。これが原因で陰陽寮の締め付けが厳しくなったら……小役人の俺は簡単に吹き飛ぶ」
陰陽寮で羽振りを利かせているような陰陽師だったらいざ知らず、市井の人々を相手取って生活をしているような陰陽師であったら、風が吹いたら簡単に潰される。
ただでさえ陰陽師のやっていることは傍からはよくわからないからこそ「式神を操れる」「術比べを行う」「百発百中の占いを行う」など、その行動に尾ひれが付くのだ。
「陰陽師が私利私欲のために妖怪をばら撒いた」なんて風評被害は勘弁して欲しい。
史郎が頭を抱えている中、椿は「ええっと」と切り揃えた髪を揺らしてから言った。
「それならいっそ、逆にしてしまえばよろしいのでは?」
「逆?」
「要は冬の日差しに鏡を当てなければよろしいので」
椿がそう言って、人差し指を突き刺した。
****
そろそろ明日の記事を出すべく、瓦版屋も人の出入りが激しくなる。
記事を書いているところで、追加の記事を頼もうとするならば、他の人間ならば怒鳴られてそのままほっぽり出されるところであったが、日頃から暦を売りに来ている史郎が相手だったがために、追加の記事を頼んでもすぐに追い出される真似はされなかった。
史郎の出した記事を読むと、顔見知りの瓦版屋は、当然ながら変な顔をした。
「妖怪を呼ばない対策ですか? 日頃から妖怪に否定的な先生にしては、ずいぶん普段の言動と合わない記事ですね?」
「そう言わないでおくれよ。この間の火事は知っているだろう?」
「そりゃもう。号外を刷ろうにも、町火消しがガヤガヤしてるもんで、なかなか思うように捌けはしませんでしたがね」
「なら、妖怪対策の記事で、その赤字を取り戻しておくれよ」
「はあ……なら、そうしましょうか」
瓦版屋はそう言いながら史郎の文を受け取ってくれた。それを渡してから、史郎は路地に出ると、その文の原案を考えた椿はにこにこ笑っていた。
「これで先生の素晴らしさが人にも伝わりますわね!」
「勘弁しておくれ……そもそもお前さんじゃねえか、俺にあの記事を書けって言い出したのは」
「私はまだなんにも成していない陰陽師ですよ? 私が言っても説得力はございませんが、先生は陰陽寮に所属している立派な陰陽師ではございませんか。それならば、皆が耳を傾けて……いや、瓦版の記事を読んで感銘を受けてくださるはずですよ。それに、これならば陰陽寮に目を付けられたり、出島から鏡を売り捌いていた陰陽師や商人と揉めたりはしないはずでしょう?」
「そりゃあまあ……」
出した記事は、単純にこういうものだった。
【鏡は使わぬときは布を被せるべし。
鏡は人がいぬ間に日の光に当てていると、妖怪を誘き寄せてしまうことがある。妖怪を招いた鏡は、次に使うときに悪さをすることがある。
そうならないためにも、使わぬときは布を被せ、他のものが写らないよう努めるべし。】
この記事ならば、火車が出たという騒ぎになることもなく、お守りと称して売り捌いていた者たちに喧嘩を売ることもなく、妖怪を出さないためにお守りや護符を買えみたいな過剰商売で陰陽寮から目を付けられることもない。
ただ鏡を使わないときに、日の光が当たらぬように布を被せておけとしか書いてないのだから。
これでもう、むやみに火事が発生して、ひどい目に遭わないといいが。
そう史郎は思いながら、椿と一緒に長屋へと帰ることにした。
「それで、惣菜屋で今晩はなにを食べるかい?」
「そうですわねえ。味噌田楽が食べたいです」
「味噌田楽な、なら売っているかどうか確認しようか」
気付けばあちこちで夕餉の支度の湯気が漂うようになってきた。きゅるりと腹の虫も鳴り、北風で歩く背中も丸くなる。ふたり揃ってぶるぶると震えながらお惣菜屋に顔を出し、味噌田楽と菜飯の握り飯が、その日の夕餉となった次第だ。
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