四
それから史郎は、椿と共に道を歩く。
「どうなさるおつもりですか? 火車退治に?」
「まだ火車と決まった訳じゃねえさ。町火消しに話を聞きに行くのさ」
「町奉行所では駄目なんですか?」
町火消しは主に鳶職人たちから結成された火消しであり、町奉行所の下に付いていることになっている。それに史郎は頭をガリガリ掻いた。
「下手な政治になったらかなわねえからなあ」
「まあ……陰陽師様であったら尊敬されそうなものですのに。町人だったら誰だってお札や護符を買ってるじゃありませんか」
「勘弁しておくれ、俺ぁ偉くもなんともねえのに持ち上げられるにゃ勘弁ならねえ」
かつて栄華を極めていた頃の陰陽寮であったのなら、彼らが動けば国のお偉方だって動かざるを得なかっただろうが。残念ながら今はそんな時代でもない。
陰陽師の札や護符が売れるのだって、医者が高過ぎて行けない町人が、薬を買うより安いから買っているだけで、必ずしも信心があって買っている訳でもない。そのせいで史郎はできる限り暦以外は売らないように努めている。
椿は納得できてないようだったが、ひとまずは町火消しの屯所に辿り着いた。
町火消しも普段は皆店子や鳶職人だ。その人々が交替ごうたいで屯所に詰めて町火消しは成り立っている。
「すまない、ちょっといいかい?」
「はい? なんだい、陰陽師の先生かい?」
皆でちょうど炭火でめざしを炙っているところだった。香ばしい匂いが漂っている。史郎が会釈をし、それにならって椿もお辞儀をする。椿は服装だけ見れば巫女なため、「こんなところでどうして?」と不思議がって彼女は眺められていた。それを横目に史郎は尋ねる。
「いやあ、この間の長屋の火事の話を聞きたいんだが」
「長屋? どの火事だい?」
「左官通りのさ」
「ああ……左官通りの火事に現場に行った奴いるかい?」
手前でめざしを炙っていた男が奥に声をかけると、ちょうどそのとき詰めていた若いのがいた。
「はい、この間現場に行って長屋を取り壊してきましたけど」
「ああ、あんたか。いやねえ、うちに左官通りの火事で越してきたのがいるんだけどねえ。あそこ、別名猫長屋って言われてたって話じゃねえか。そして猫がどんどん増えてきて、たまりかねて外に捨てたりもしたって。それのせいで罰が当たって猫が火車になったんじゃねえかって話をしてるんだよ。もし付け火だったのならそれまでだから、実際のところはどうなんだいと」
「そのあたりの取り調べは町奉行に聞いたほうがいいと思いますけどねえ」
「いやあ……あんまり町奉行のところに行きたくない」
町奉行は武家であり、陰陽師は一応は京の役人に当たる。いくら幕府と陰陽寮で合同事業を行っているとしても、この辺りの感覚や軋轢を思えば、互いにいなかったことにしてかかわらないようにするのが寛容であった。
もちろん、町人で固められている町火消しのその辺りの感覚は伝わらず、史郎がしどろもどろに答えるのを「そうなんですかい?」で首を捻るばかりであったが。
とりあえず若い火消しはわかる範囲では答えてくれた。
「まあ……たしかに猫の死骸はありましたけどね。ただ、妖怪が出るとか出ないとか騒ぎ立てるほどでもなかったかと」
「ほう」
「ただ、町奉行が調査はしてましたけど、事故にしては大家くらいしか人がおらず、付け火にしては証拠がないとは不思議がってはいましたねえ」
「不審人物はいなかったと?」
「ええ、いなかったみたいですねえ。まあ、自分たちは取り壊しに必死で、そこまでかまける余裕はなかったんで、あとで火事の報告に行った際に何度か質問された程度のもんですよ」
「ほう……」
それに史郎は考え込んだ。一方、話を傍で聞いていた椿は「そういえば」と口を開いた。
「先生が風鈴の音を聞いたっておっしゃってましたけど、今の時期に風鈴はありませんわよね?」
「風鈴ー? この季節で風鈴なんて……」
「なんというかねえ、そんな江戸桐子みたいな洒落た音ではなかったよ。ただ金属のシャランシャランという音は聞こえたんだけどねえ」
「さあ、さすがにそこまでは」
これ以上は話を聞き出すこともできず、再び先程の長屋跡まで歩きはじめた。椿は史郎の周りを歩き回る。
「先生先生、奉行所ですら付け火の証明ができてないって。それだったらやっぱり妖怪の……」
「あのなあ、椿。どれだけ妖怪が好きなんだ」
「妖怪が好きなんじゃありませんわ。私は先生が妖怪を祓う姿が見たいだけです」
そうえっへんと胸を張る椿に、史郎はげんなりとする。
「だから何度も言ってるだろうが。俺ぁ、妖怪を祓う力なんか持っちゃいねえって……うん
?」
史郎は一瞬目を細めた。冬は日差しが弱く、目を焼くほどに強い光は放たないはずだが。史郎は光の方向を探した。史郎が急にきょろきょろとし出したのを、椿は不思議な顔で眺める。
「先生?」
「……なんか今、一瞬光らなかったか?」
「光りましたか? ええっと、光かどうかはわかりませんけど、なんだかチカチカはしましたわね」
「それだよ。どっかに光源が……」
「あら? あちらの軒先が光ってますわね」
「あれ。ああ……!」
椿が見つけたものを見て、史郎は声を上げた。そこにはたしかにしゃらんしゃらんと音を立てて金属がぶら下がっていたのだ。この金属音は、たしかに史郎が聞いたものだ。
「でもなんでこんなもんが……」
「あら? 先生。これ」
「なんだ椿。知ってるのかい?」
「はい。私、土佐を出る前に、一度行ってみたいと思いまして出島にまで出かけたことがありますの」
出島は長崎にある海外との貿易拠点である。大がかりな海外との取引をしていなかった幕府は、出島でのみ貿易を許可していた。
しかし。思わず史郎は目を細めた。
「あそこは遊女以外の女は禁止だろうが。よく行けたな?」
「遠巻きに見るくらいならばできるでしょう? あれが外国のお船なのですねと眺めてました。その際、このようなぴかぴか光る鏡も売られていたなと」
「ああ、鏡。鏡なあ……」
「でも鏡があるのに妖怪が出たなんて、おかしな話があったものですわね?」
椿はこてんと首を傾げた。
鏡は古くから神聖なものとされ、邪気祓いのものとして知られていた。それに史郎は少し目を細める。
「……ちょっと話を聞いてみるか。番頭さん、ちょっと話をいいかい?」
軒先から戸を開けると、どうもこの店は口利き屋だったらしく、番頭はこてんと首を傾げて出てきた。
「陰陽師様ですか? 何用ですか?」
「外にかけてるあれ。ありゃなんだい?」
「風鈴でございますね」
「冬に風鈴をかけるのかい?」
「ええ。この間別の陰陽師様がいらっしゃいましてね。冬の守りにちょうどいいと振る舞いまして。この辺りでは大勢買ってらっしゃいましたよ。まあ、先日長屋も火事で焼け落ちてしまいましたし、お守りで効く効かないはあるのかもわかりませんが」
そう番頭に言われ、史郎は額を抑えた。
「先生?」
椿に尋ねられ、史郎は口を開く。
「ところで、その陰陽師ってぇのはどこでお守りを売っているか知ってるかい?」
「裏長屋にお住まいの方ですね。たまに車で引いてはお守りを売ってらっしゃいますよ」
「ありがとう。おい椿行くぞ」
「あれ、先生。まさかとは思いますが」
椿は目を輝かせながら、史郎を見上げた。
「陰陽師同士の術比べですか!? 安倍晴明と蘆屋道満みたいな!」
「そんな訳あるか。でも、あいつが原因で間違いないよ」
史郎は教えられた裏長屋に向かうべく、路地に入っていった。
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