第1話   悪女スカーレットの始まり①

 国王陛下をも魅了する美貌と魅力を携えたゼレビア・グランツ神官との婚約が決まってからというもの、社交界の癒しの華と謳われたスカーレットの評判は、留まるところを知らなかった。


 叔父夫婦のもとで、愛されて育てられたスカーレット。実の両親からは疎まれ、手紙の一つも返されない日々だけれど、その悲しさと寂しさを埋めるようにして、あらゆる事を励んだ結果、財宝たっぷりの宝物庫から生を受けたかのような美青年から、直接お声が掛かったのである。


 婚約を申し込んできたのは、お相手からだった。お城のパーティの熱気に少々当てられて、景色の良いバルコニーで涼んでいたとき、手を取られて、とても優しい眼差しで。


 少々気がかりだったのは、相手の職業だった。ゼレビアは新興宗教の神官。愛称はゼーレ。スカーレットも、それっぽい宗教の噂は耳にしていたし、正直なところを言えば、怪しく思っていた。


 だが、世間知らずで恋も悲しみも知らず、ただただ戸惑うばかりの初々しい乙女だったスカーレットにとって、彼の灰褐色の双眸はミステリアスで、不思議な魅力に溢れて感じた。


 春の暖かな風に前髪を揺らして微笑む彼の、弧を描く唇が、夢のような言葉を紡ぐ。


「どうか、この私の妻となってください。私には、貴女という絶対的に価値ある女性が、必要なのです」


 スカーレットは、これまで表彰されてきた乗馬大会や絵画の個展などの、一所懸命に磨いてきた技術を「価値がある」と褒められたのかと思い、素直にとても喜んだ。


 しかし、どうせ社交辞令だという暗い思いも湧いて出た。スカーレットが本当にハマって作り続けている作品たちは、誰も好き好んで触れないのだから。


 しかし、彼は違った。


 彼はスカーレットの作品を拝見しており、周囲からは理解されがたい作品も含めて、褒め称えてくれた。社交界を賑わすスカーレットだったが、いまいち恋愛事に疎かったのは、彼女の手掛ける風変わりな発明や細工物に、良い顔をする者がほとんどいなかったから。


 華奢な細腕が、とんでもなく巨大なゴーレム作りにチャレンジしたときなど、別の意味で社交界の話題を掻っ攫った。


 そんなスカーレットの趣味趣向を、絶対的な価値のある女性とまで評して、人生の伴侶に迎えたいと、優しい眼差しで言ってくれた……スカーレットは、彼となら今後とも切磋琢磨しつつ、愛ある家庭が築けると期待した。もしも子供が生まれたら、どんな特技を持っていようと絶対に否定せず、そして親と離れて暮らさせる事も絶対に絶対にさせないと、心に強く誓った。


「はい! こんなわたくしで良ければ、よろしくお願いいたしますわ」


 それからの日々は、薔薇色だった。自分を育ててくれた叔父夫婦のためにと、がんばってきたスカーレットの努力は、今度は恋人ゼーレに相応しくあろうという明確な目標へと昇華され、何かしらの表彰を受けるたびにゼーレから花束とともにお祝いされて、二人で予定を合わせて食事に出かけた。


 ゼーレの言葉は、今まで励んできたスカーレットの全てを認めて褒める内容で溢れていて、特に彼女のモノ作りを評価してくれる言葉選びが、彼女を夢中にさせた。


(わたくしを理解してくださるのは、この御方しかいませんわ。どうか、彼にずっと愛される日々が続きますように)


 ゼーレに愛想を尽かされないように、彼の気に入る行動を取りたいと願うようになった。


(そうですわ、彼のために何か作って、贈って差し上げたいわ)


 何度目かの食事の日、向かい合うテーブル越しに、スカーレットはドキドキしながら切り出した。


 ドキドキするあまりに、水色の涼しげなテーブルクロスのレースの端が、揺れている。グラスに注がれたレモネードの水面まで揺れていて、スカーレットはもじもじするのも恥ずかしくなってきた。


「ゼーレ様、わたくしがモノ作りを得意としているのは、ご存知ですわよね。そのぉ……えっと、何か、貴方のために作ってみたいのですけれども、ご希望などは、ありませんか?」


 水かゼリーしか口にしないゼーレ神官との食事は、最初こそ戸惑ったものの、「そういう宗教」なのだと説明されて以来、スカーレットは疑問に思わなくなっていた。


 彼のためならば、なんでも受け入れてみようと、思うようになっていた。


 その彼が、不思議そうに眉を跳ね上げたものだから、スカーレットは慌てた。


「急に言われたって、困りますわよね。時と場所を選ぶべきでしたわ、ごめんなさい」


「スカーレット」


「あ、はい! なんでしょうか!?」


 つい大声で驚き混じりに返事してしまって、スカーレットは慌てて周りを見た。いつもゼーレ神官が貸し切りにしてくれているのも忘れて、胸をドキドキさせながら。


(あ、そうでした、ここには彼と店員さんと、私しかいないのでしたわ。なのに大慌てしてしまって、恥ずかしい~!)


 良縁に恵まれますようにと、叔父夫婦がお針子を屋敷に呼んでまで仕立ててくれた、夜景をイメージしたドレスが、彼女の動きに合わせて忙しなく、数多のビーズを煌めかせている。


「貴女から言い出してくれるとは、思ってもみませんでした。私と共に、ゴーレムの研究を始めてみませんか?」


「えっ?」


「貴女が数年前からゴーレムに興味を示していることは、知っていました。未だ動かすことが、できていないことも」


「え、ええっと……地下の本棚で見つけた古い本に、ゴーレムの記述がありましたもので、領土の山に埋まっていた大きな土の人形を、もしかしてと思って動かしてみましたの。数歩進ませただけで転倒し、それ以来、動かなくなってしまいましたけれど、おそらくはアレがゴーレムだったのだと考えておりますわ」


「その本、お借りできますか?」


「ええ。叔父夫婦の物ですから、許可を頂く必要がありますけど、ゼーレ様の名前を出せば、許してくださると思いますわ」


 なぜにそのような書物を必要とするのか尋ねると、ゼーレはゴーレムに関する書物を全て集めたいのだと答えた。


「私が過去に手に入れた書物によると、大昔、この地域では空を飛ぶゴーレムが多数存在していたそうですよ。私は、それらを蘇らせて、この国と私の信仰する神に、捧げたいのです」


 なぜに? というのがスカーレットの第一声になるところであったが、ぐっと飲み込んだ。これまでゼーレの奇行や奇妙な提案には、スカーレットも戸惑うばかりだったが、彼にとってのそれらの理由は全て「宗教上の決まりだから」の一点のみ。


 宗教上、人前で固形物を食べない誓いを厳守している彼だから、意味不明なやり取りも全て、そういうものなんだとスカーレットは思うことにしている。内心では納得していないし、どうにもモヤモヤすることも多いのだが、叔父夫婦以外でモノ作りに理解を示してくれたのはゼーレ神官だけだったから、彼が気を悪くしそうな発言は絶対にしないようにしていた。


「わたくし、歴史はあらかた学んできたつもりでしたけれど、まだそのような未知の学問があったのですわね。喜んで、共に学ばせてくださいませ、ゼーレ様」


 いろいろ疑問だったけれど、全て押し殺し、スカーレットは半分本心からそう答えた。


 ゼーレ神官が嬉しそうに笑ってくれたのが、この上なく嬉しかった。


(良かったですわ、二人にとっての正解が選べたのですわね)


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