その子爵令嬢が小説を書く理由

その子爵令嬢が小説を書く理由

 リヒネットシュタイン公国には、ほんの数年前にデビューし、周辺諸国をも魅力したギュンター・シュミットという小説家がいる。

 ギュンターは公の場に姿を現すことはなく、出版社にもギュンターの代理の者が出向いていた。

 デビュー数年で男性向け、女性向け、更には子供向けのジャンルにおいて、数々の人気作を生み出しているギュンター。

 ギュンターが何者なのか、有識者達からは色々な説が出ているが、真実はまだ明らかになっていない。

 ギュンター・シュミットは謎のベールに包まれた小説家なのである。







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 リヒネットシュタイン公国のカッセル子爵家の屋敷にて。

「ただいま戻りました」

 カッセル子爵家の使用人であるヴェルフ・イザーク・ツー・ホンブルクはヘトヘトの様子だ。


 褐色の髪は少し乱れ、アズライトのような青い目からは疲れが感じられる。

 彼はホンブルク男爵家の次男だが、生家の男爵家が困窮しているのでこうして使用人として働いているのだ。

 まだ二十四歳の彼は、疲労のせいか少しだけ老けて見える。


「あら、ヴェルフ、遅かったわね」

 ヴェルフにそう声を掛けるのは、ドーリス・エラ・ツー・カッセル。


 赤茶色の髪にジェードのような緑の目の、今年十八歳になるカッセル子爵家の次女だ。


「ドーリスお嬢様、人使いが荒すぎませんか? 出版社とを何往復もさせないでくださいよ。もうお嬢様に直接やり取りして欲しいくらいです」

 ため息をつくヴェルフ。

「そうしたら私ががバレてしまうじゃない」

 困ったように苦笑するドーリス。


 そう、彼女こそが今話題の小説家ギュンター・シュミットの正体なのだ。


「別に良いじゃないですか、正体がバレても」

「男の貴方には分からないわ。リヒネットシュタイン公国はまだまだ男社会。最初から女の私が出版社に原稿を持って行ったところで相手にされないわよ。この国もまだまだ遅れているわね。ナルフェック王国やドレンダレン王国なら男女や身分関係なく誰でも平等にチャンスがあるというのに。他の国も少しずつ変わってきているわ」

 呆れたようにため息をつくドーリス。

「だからってわざわざ執事のギュンターさんの名前を借りなくても良いのでは?」

 ヴェルフは困ったように苦笑する。

 すると部屋にいた老執事が答える。

「いやいや、お嬢様に私のような老いぼれの名前を使っていただけるなんて光栄なことです」

 その老執事の名前はギュンターである。

 ギュンターは愉快そうに笑っている。

「最初はハンス・シュミットという名前を使おうと思ったけれど、それだとガーメニー王国やアトゥサリ王国やリヒネットシュタイン公国みたいなガーメニー語圏の書類の見本に書かれる名前になってしまってつまらないじゃない。だからシュミットの苗字はそのままで、カッセル家の執事ギュンターの名前を借りたわけ。ギュンター・シュミットの方が捻りもあるし語感も気に入ってるのよ」

 ふふっと楽しそうに笑うドーリス。

「……左様でございますか」

 ヴェルフは諦めたような表情である。

「さて、休憩も終わったことだし、また執筆再開するわ! お父様もお母様も私の結婚は諦めてくれたし、この先思う存分小説を書けるわ! 私は仕事と結婚するのよ!」

 ドーリスは明るくキラキラした表情で執筆を始める。ジェードの目は心底楽しそうであった。

(本当にこのお嬢様は色々とはちゃめちゃなんだよな……)

 ヴェルフはひたすら楽しそうに小説を執筆するドーリスを見て、少しだけため息をついた。


 カッセル子爵家で働き始めてから、ヴェルフはいつもドーリスに振り回されていた。

 自分の代わりに出版社と交渉して来るよう命じられたり、新作の原稿を出版社に届けるよう命じられたり、自分の代理として作家コミュニティで情報収集して来いと命じられたりしているのである。






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 数日後。

 この日もヴェルフはドーリスの代わりに出版社へ行って、戻って来た。

「お嬢様、また新しい仕事だそうです。もう今回はお嬢様の自由に書いて良いとのことでした」

 ヘトヘトになりながらそう伝えるヴェルフ。

「本当に!? 嬉しいわ! 自由に好きな物語が書けること程楽しいものはないわ!」

 ドーリスは嬉しそうにジェードの目をキラキラと輝かせた。ルンルンのドーリスである。

「前から思っていたんですけど、ドーリスお嬢様はどうして小説を書こうと思ったんですが?」

 ヴェルフはふと思い立って聞いてみた。

「そんなの決まっているじゃない。この国の娯楽がつまらないし、私好みの物語がないからよ。ないなら作れば良いと思ったの」

 得意気な表情のドーリス。

「つまらない……ですか」

「ええ。昔は小説も舞台も面白かったのに、最近は廃れて来ているでしょう? お茶会や夜会でも面白い小説や舞台が減って来ているってよく言われているわ。特に舞台なんか、人気女優頼りで脚本はイマイチなものばかり。今では他国から小説を取り寄せる人が増えているって話よ」

「まあ……そうですね」

 それはヴェルフも薄々と感じていた。


 リヒネットシュタイン公国は娯楽産業が弱いのである。


「このままだとどんどんこの国がつまらなくなってしまうわ。私は私好みの物語を作りたいし、この国の娯楽産業を廃れさせたくないのよ」

 ドーリスのジェードの目は真剣だった。

「もちろん、私が書いた小説を読んで楽しんでくれる人もいれば、そうでない人もいるのは分かっているわ。私が書いた物語が誰かを傷付けることもあることは重々承知よ。この前も、私が書いた小説を読んで人生を否定された気分になったって批判が届いたもの。だけど、批判の中には新たな視点も見つかって、それをヒントに新たな物語を書くことも出来るわ」

 明るい笑みのドーリス。

「……左様でございますか」

 ヴェルフは何となく納得した。

「あ、そうだ! この前のリヒネットシュタイン公家こうけ主催の夜会で起こった騒動は知っているかしら? リヒネットシュタイン公家の第三公子殿下がある伯爵令嬢を守る為にある侯爵令息に冤罪をふっかけたことを」


 リヒネットシュタイン公家は、このリヒネットシュタイン公国の君主の家系だ。

 ガーメニー王国の王子が臣籍降下して公爵位とガーメニー王国北東部に小さな領地を賜り、そのまま平和的に独立したのがリヒネットシュタイン公国及びリヒネットシュタイン公家の成り立ちである。


「何でも、その侯爵家令息はその伯爵令嬢が好きなのだけど素直になれず意地悪をしていたの。それが嫌だった伯爵令嬢は第三公子殿下に相談をしていたらしいのよ。それで、第三公子殿下は伯爵令嬢を守る為に暴挙に出たわけ。これを元に物語を書きたいわね! 時代はやっぱり好きな子をいじめてしまう男よりも好きな子の為に悪に染まれる一途な男よ!」

 執筆意欲に沸くドーリスの目はキラキラと輝いている。

「いやでもそれはリヒネットシュタイン公家に許可を取った方が良いのでは?」

 若干引き気味なヴェルフ。

「確かにそうね。じゃあヴェルフ、リヒネットシュタイン公家に手紙を出してちょうだい。ギュンター・シュミットが第三公子殿下の夜会の行動に関する小説を書きたいとでも伝えて欲しいわ」

「そんな無茶な……」

 ヴェルフは盛大にため息をついた。

 しかし、キラキラと明るい表情で好きなことに打ち込むドーリスの姿は、見ていて飽きない。いつの間にかヴェルフはドーリスに振り回されるのも悪くないかもと思っていたのである。

(まあ、お嬢様が楽しめるよう手助けするか)

 ヴェルフは楽しそうにフッと笑うのであった。

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