第6話 夜を駆ける列車
隼人は、気が付くと故郷へと向かう寝台特急「はやぶさ」のベッドを兼ねた傾斜の無い背もたれ座席に少し窮屈を感じながら座っていた。窓の外には工場の灯りが港の海面にその光を映して揺れている。彼は、車窓から見えるそんな街の明かりをぼんやりと見つめ、ピーナツ混じりの米菓をつまみに缶ビールを飲んでいた。時折車両のガタゴトと揺れる音に反応して、つまみやビールを溢しそうになるが、不思議とその揺れを巧みにかわしては、ぼんやりと明日の葬儀のことを考えていた。
彼が故郷に残してきた年老いた一人暮らしの母が昨夜亡くなったという知らせを受けたのである。隼人は母の伊織を東京へ呼び寄せようと幾度となく説得したが、彼女は近所の友人と毎日を楽しく過ごしていると言って、離れたがらなかったのだ。彼女が小料理屋を営んでいた頃、剛腕政治家の臼杵と知り合い、愛人として付き合ううちに二人の間に隼人が生まれた。しかし、臼杵の正妻の和代は、夫が通い詰める愛人の伊織に激しく嫉妬し、ヤクザを頼んで伊織の店が立ち行かないように妨害した。困り果てた伊織は店を畳むと息子の隼人を連れて、地方に流れて行ったのだ。それでも彼女は、住み込みの店でコツコツと働きながら女一人で隼人を育て上げ、学資を捻出して大学にも通わせてくれた。そして、息子の目から見ても、彼女は女優にしてもいいくらいに器量良しで優しい母だった。
車両の灯りが暗くなると、隼人はシャワーを浴びてから、寝台を広げ、備え付けの布団に潜り込んだ。カーテンを少し開けて外を眺めると、夜空に三日月が浮かんでいた。
彼は、その夜、夢を見た。
隼人は地球を後に、夜空を走る銀河鉄道の車内で母親の伊織に抱かれながら、宇宙を旅していた。
伊織は隼人が生まれて間もなく地球を後に土星の衛星であるタイタン(※3)に移り住んだ。伊織は地球での温暖化が招いた愛憎によるトラブルから生活に困窮し、新天地を求めてタイタン開拓者の募集チラシに応募したのだった。しかし、乳飲み子の隼人を抱えてのタイタンでの生活は容易ではなかった。地球を飛び立った大型輸送ロケットは国際宇宙ステーションで「銀河鉄道」と呼ばれる複数の飛行寝台棟を連結した小型核融合炉を推力とする高速大型宇宙船に乗り替え、太陽系の各中継基地を経由しながら最終目的地タイタンへと向かうのだった。
※3
『タイタンは土星の衛星うち最も大きい衛星で、原始地球の様相を呈しており、地球以外で唯一地球と同様大気と、山や川、湖や海があり、風雨による大気の循環が行われている星として知られている。ただし、大気は大部分が窒素で満たされており、液体メタンの雨による大気循環なのである。さらに、表面温度はマイナス179.5℃と至って寒い。しかし、地表や大気中にあるメタンや窒素だけでなく、地中には岩石の他に氷やアンモニアなどの層があり、人類や動植物が生きていくための水や空気や有機物を生成するには十分な環境が存在するのだ。そして、アンモニアからは核融合に使用される重水素が容易に抽出可能なのである。土星の公転周期は約29.5年なので、その衛星であるタイタンも当然同じ周期で太陽の周りを回っているが、土星の周りも約16日で公転して、自分自身もそれと同期して自転している。したがって、土星に面する側は常に同じ地表面となりほとんど太陽の光を遮られるが、その反対側の地表面では土星と同様に昼と夜が存在する。そして、地球と同じように地軸が傾いているため29.5年の公転周期で一巡する四季が存在する。もし、タイタンに生命体が存在した場合、土星(タイタン含む)の公転速度は地球の1/3で、タイタンの重力は地球の1/7程度なので速度と重力の違いが及ぼす影響としては特殊相対性理論と一般相対性理論により若干ではあるが地球上より早く時間が進むことになる。したがって、単純には地球より成長速度が速くなる傾向が予想されるが、そのような環境が生物にどのような影響を与えるかは不明で、樹木の年輪などのように公転・自転周期などによる影響を受けるとすれば生命の成長過程は地球の約1/16~1/30ずつしか成長しないのかも知れない。また、重力の小さい環境では自らの体重を支える力が小さくて済むから地球上の生物より相対的に大型化することが予想される。ギリシャ神話に登場するタイタン族は巨人族で、彼らを統率するクロノスと同一名の神が時間を司る神とされているのも興味深い。』
地球では既にレーザ核融合による人工太陽の技術も確立しつつあった。そして、それらの技術を使って、宇宙コロニー計画が進展していた。人類は既に月や火星にも中継基地を建設してはいたが、人類が永住して生活必需品を自前で調達できる環境を整えられるような星ではなかった。そこで、次なる計画は土星の衛星であるタイタンに白羽の矢が立ったのである。
銀河鉄道は約2年間の飛行を終え遂にタイタンに到着した。タイタンは月と同程度の重力だが厚い大気が存在するため、銀河鉄道は翼とプロペラを広げて離着陸することができる。既に多数の輸送船で運び込まれた建設資材を使って大型ロボットによる駅舎棟や制御棟、居住棟などの建設が進んでいた。
銀河鉄道はラグランジュ・ポイントに到達するとタイタンの周回軌道に入り、翼を広げ徐々に速度を落としながら高度を下げ大気圏内に進入して行った。濃い大気に満たされ視界はそれほど良くないが、誘導信号を受け自動操縦で地底に建設された駅舎にゆっくりと着陸した。
伊織たちに課せられた新天地での役割は、タイタン環境における人類の入植の可能性を検証するために乳幼児の適応性と成長過程を記録することが主たる業務であった。
まだ住環境の整備が十分でないタイタンでの生活は困難を極めた。例えば宇宙船では人工重力装置により地球上と同様な生活が送れたが、タイタンではその環境への適応性を検証することが目的として課せられているため温度環境や空調などは別としてできるだけタイタンの環境そのものでの生活が要求された。そのため地球の約1/7の重力下での生活に慣れることから始めなければならなかった。それは歩行や運動、食事、洗面、排泄、入浴、睡眠などの全てに対して関わってくる問題であった。また、地球環境のような自然に接することもできないため、ドーム内の動植物園やファームなどでの擬似環境で代替するしかなかった。しかも十分な育児環境など整備されていないため、幼い隼人への影響は甚大だった。しかし、伊織の創意工夫を駆使した育児のお蔭で、隼人は見る見るうちに成長し、10タイタン年を迎える頃には3mを越える巨大な青年に育っていた。伊織は入植すると間もなく同じタイタン開拓者の雅琉(まさる)という青年と知り合い再婚し、隼人を育てる傍ら一男一女を設けた。タイタンの人口も徐々に増え、地上にも町が作られて行った。そして、銀河鉄道はタイタンからさらに延伸し、太陽系を越えて文字通り天の川銀河(※4)に広がって行った。開拓プロジェクトは概ね成功し、将来は第二の地球として繁栄していくであろう。
※4
『宇宙には2兆個以上の銀河が存在するとされているが、その中でも太陽系が属する銀河は天の川(ミルキーウェイ)銀河と呼ばれ、軟らかな光の集まりが帯状に連なる棒状渦巻き銀河であることが分かっている。
ミルキーウェイの語源は、ギリシャ神話に由来し、天空神ゼウスが死の運命を持つ人間の女性アルクメネに産ませた幼子ヘラクレスを不死にしようと、眠るヘーラーの胸に置くと、子供はほとばしる母乳を飲み不死となったが、ヘーラーが目覚め、見知らぬ幼児が乳を飲んでいる事に気づき突き放したので、彼女の母乳が夜空に噴き出し、ミルキーウェイの名で知られる軟らかな光の帯となったからだとされている。
太陽系はこの天の川銀河内の楕円軌道を約2億4千年かけて一周するらしい。天の川銀河もまた、広大な宇宙をさらに周回しているようだ。
そして、宇宙を構成する物質とエネルギーの割合は通常の物質が4.9%程度で、残りはダークマターと呼ばれる暗黒物質26.8%と、ダークエネルギー68.3%で占められていると算定されている。暗黒物質を光すら閉じ込めてしまう巨大な質量を持つブラックホールとすると、残りのダークエネルギーとは物質としては存在しない霊的エネルギーが支配する世界=冥界に相当すると考えられないだろうか。
なお、冒頭に記した通りヘーラーにより牝牛に変えられたゼウスの愛人イオは放浪の末エジプトに至りエパポスを生み、エパポスはエジプトの王になったとされている。牡牛座を象徴するゼウスの愛人なのでイオが牝牛で、ヘラクレスの母アルクメネ=イオとすると、ヘラクレス=エパポスとなり、エジプトに登場するがギリシャには登場しない毒蛇や獅子を殺して自らの象徴としたヘラクレスがエジプト王となったとすれば辻褄が合う。
そして、エジプト神話の天空神ラーと冥界王オシリス、ギリシャ神話の天空神ゼウスと冥界王ハデスをそれぞれ同一神とすると、その子ホルスとヘラクレスも同一神である可能性が高い。
さらに、放浪を続けたイオが流浪の民ユダヤ民族を象徴していると仮定すると、流浪の末、最後に辿り着いた先は日本で、古代イスラエル王ソロモンの秘宝が眠ると噂される剣山がそびえる四国に愛媛(愛の姫)という地名や五百木(いおき:イオの末裔で千の片割れ?)という姓などにその痕跡を留めている。』
地球との星間通信を介して映像で地球の様子を観ることはできたが、隼人は故郷の地球を実際に自分の目で確かめてみたいと思った。ある時、タイタン人の地球環境適合調査を兼ねた留学生募集があり、隼人はそれに応募した。
隼人は伊織たちに別れを告げ、再び銀河鉄道に乗り、地球に向けて旅立った。今度は幼い頃に旅した時とは逆に太陽に向かっての旅である。2年程の宇宙生活の後、いよいよ窓の外には碧く輝く地球が見えて来た。幼心にも辛く長かった流浪の旅も間もなく終わろうとしていた。
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