第4話 夏祭りの追憶
那津江は今頃どうしているのだろう。夏草の匂いと夜空を彩る花火が彼女との淡い思い出を掻き立てる。隼人は水天宮の祭りに彼女を誘い、エアコンの効いた駅前の本屋で待ち合わせし、ちょっとインテリに見える文芸書を立ち読みしながら待っていた。程なくして那津江が紺色の生地に淡いピンクの花柄を染め込んだ浴衣姿で現れた。
「隼人君待った?」
「いや、大丈夫。さっき来たところさ。」
隼人は那津江の浴衣姿を見違えたことを悟られないようにできるだけ平然と答えた。
「ほんとに?実は長いこと私のこと待っていたんじゃない?うふふ・・・」
「馬鹿言え。さあ、そろそろ行こうか。」
二人は本屋を出ると、水天宮に続く参道脇の夜店を梯子しながら、人ごみを掻き分けて川の堤防まで歩いた。河川敷に降りてレジャーシートを敷くと、まもなく夜空を彩るであろう打ち上げ花火を待ちながら、缶ビールを開けて乾杯した。つまみは夜店で買った烏賊の姿焼きと蛸たっぷりのふっくらたこ焼き、それに天かすと青のり、紅ショウガのトッピングがうれしいもちもち食感の太麺焼きそばだ。辺りが暗くなり夜風が仄かに華やいだ頬に心地よくなって来た頃、「ボボーン」という轟音と共に大輪の花がいきなり夜空を染めた。二人は思わず夜空を見上げ、顔を見合わせた。
「タマヤー」
「こんなに近くに花火が見えるなんて感動ね。」
「やっぱり来て良かっただろう。」
「そうね。私小さい頃、打ち上げ花火の音が怖くて泣いていたの。」
「へえー、那津江だってそんな可愛い頃があったんだ。」
「まあ失礼ね。レディに何てこと言うの。」
連発して夜空を彩っていた花火の音が落ち着くと、川面を渡る風が火薬の匂いと共に夏草の香りを届けてくれる。二人は子供の頃に連れて行ってもらった夏祭りの思い出話に興じていた。
「昔よく買ってもらった玩具で、糸を引っ張ると丸い輪っかの付いたプロペラが勢いよく回って大空に飛んで行くやつなんだけど、知ってるかい?」
那津江は少し茶化し気味に答えた。
「えー、そんなのあったっけ?ドラえもんのタケコプターかな?えへへ。」
「違うだろ。あれは糸を引っ張る必要ないし、人間が飛べるじゃないか。」
隼人は大真面目に答えた。
「でも隼人はそれで大空を自由に飛べるんじゃない?」
隼人は那津江の瞳が心なしか潤んでいるのを感じた。
「俺のこと何か知っているのかい?」
「いいや、そんなことないけど。でも、隼人が突然私の前から居なくなるような気がして・・・。」
「馬鹿だな。俺はいつも那津江といっしょだよ。」
そう言って隼人は那津江の肩をそっと抱きしめた。彼女の目からは大粒の涙がこぼれた。
隼人に召集令状が届いたのはそれから三月ほど経った頃だろうか。
隼人は戦闘機のパイロットとして訓練を受け、知覧の飛行場に転属となった。時は桜の蕾が膨らむ頃である。戦況は日増しに悪化の一途を辿っていた。空母を失い、沖縄を最後の砦とした戦いでは旧日本軍の制空の要は特攻攻撃のみとなってしまった。海軍は鹿屋、陸軍は知覧から、多くのにわか仕立ての若者が海の藻屑と散って行ったのだ。その主力戦闘機は零戦と隼であった。
隼人はかつて水天宮の祭りに那津江と交わした言葉を噛み締めていた。もう一度、那津江と共に夏祭りを楽しみたいと思った。翌朝になると自らの出陣フライトが待ち構えている。写真に写った彼女の笑顔をもう一度目に焼き付けると、一句したためて布団に入った。
『我がみこと 大和の夏へ 捧ぐべし 今散らんかな 舞う桜花』
隼人の辞世の句である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます