第2話 芝の香り
プリンセスジャスミンは、日本競馬史上、無敗での中央競馬クラシック三冠を達成した3頭目の競走馬である。横峯騎手は、長年その良き相棒として、その駿馬を栄光の舞台に導いた。
プリンセスジャスミンは、サタデーナイトを父に、ワイルドモーニングを母に持つ、カーニバルファームが生んだ百年に一度現れるかどうかという奇跡の名馬である。牝馬(ひんば:雌馬)でありながら、3200mにも及ぶ長距離コースとなる春の天皇賞において、他を寄せ付けない圧倒的な走りを披露し優勝を果たしたのである。彼女の末脚(すえあし:前半はスタミナをキープしてゴール前終盤に勝負を仕掛けてくるパワフルな走り)は他を寄せ付けない圧倒的な強さを誇った。その実力を知り尽くした横峯騎手でなければ、このような大勝負を勝ち抜くことはできなかったであろう。
プリンセスジャスミンに跨った横峯騎手は、隼人という名が示す通り疾風の如く大空を駆け抜ける隼そのものであった。プリンセスジャスミンは彼の鞭(むち)と鐙(あぶみ)から繰り出される一挙手一投足を逃すことなく、その期待に応え、健気にも全力で走り切ったのである。彼女の瞳は長いまつ毛につぶらな瞳、体全体を覆う光沢を帯びた栗毛に鼻筋にはミルクを垂らしたように甘く滴るような白毛が混じり、その名に相応しく気品を感じさせるチャーミングなアクセントを醸し出している。引き締まった胴体にもどことなくふくよかなボリュームを感じさせつつ、それでいて両脚から尻尾にかけての筋肉の盛り上がりは走り盛りの4歳馬としていかにもパワフルな走りを連想させるのである。
いつからだろうか、ウマ娘というキャラクタが巷で賑わうようになったのは・・・。
そして、競馬場にも馬が大好きな若い馬女(うまじょ)たちが集うようになった瑞々しい若葉の季節にそのレースは行われた。
隼人は装鞍所で調教師の山田や厩務員(きゅうむいん)の藤田とプリンセスジャスミンの体調を確認した。彼女の蹄鉄と蹄(ひずめ)の具合、眼差しや耳の立て具合、鼻息、尻尾の振り方などを観察しながら鞍を装着していつものスキンシップによるコミュニケーションを交わした。隼人には彼女のコンディションが上々であることがすぐに見て取れた。
プリンセスジャスミンは、厩務員の藤田に引かれてパドック(出走馬の下見所)へと向かい、大勢の観客を前に物怖じすることなく悠然と周回しながらその雄姿を披露した。
続いて隼人が彼女の背中に飛び乗り、パドックを一回りして本馬場に入場すると、瑞々しく若草色に輝くコースを渡る風が彼らの元に芝の香りを届けてくれる。出走馬たちは、思い思いに返し馬(準備運動)・輪乗り(呼吸を整える)などの一連の準備を終え、いよいよファンファーレと共にゲートインした。彼女たちは高鳴る胸を抑えつつ発走を待っている。
ゲートが開くと、各馬一斉にスタート。隼人を乗せたプリンセスジャスミンはレース中盤まで7番目のトウカイテイオーから1馬身遅れること8番目に付けている。そして第3コーナーを回った頃から徐々にその順位を上げて行き、最終コーナーを回ると一気に先頭に踊り出た。その走りはもう誰にも止められない。そして、ゴール地点ではぶっちぎりの独走でGⅠ(ジーワン:最高格付けの競馬レース)優勝を飾ったのであった。
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