愛しき主人公たちにモブBとしての人生を

碧海にあ

愛しき主人公たちにモブBとしての人生を

 おや、お客様かな?

 

 これはこれは。ようこそお越しくださいました。お疲れでしょう。どうぞ中へお入りください。

 さあさあこちらへおかけになって。普段紅茶はお飲みになられますか? 左様でございましたか。でしたら私のとっておきをお出ししましょうね。いえ遠慮なさらずに。お客様がいらっしゃるのは珍しくてね。気分が高揚しているんですよ、ええ。改めまして、ようこそ。よくこんな偏屈な場所にいらっしゃいましたね。いったいどうやって見つけられたんです? ふふ、迷惑なんてとんでもありません。それにときどき迷い込んで来られる方はいられるんですよ。まあごくごく稀にですがね。折角のご縁です。どうぞゆっくり休まれていってください。

 

 先ほどからこの部屋が気になっているご様子ですね。まあ何と言ってもそこら中本だらけの部屋ですから。読書がお好きなんですか? 素敵なご趣味です。……ええ。構いませんよ。どうぞお好きなものを。

 読めましたか。いや、読めなくなりましたか? ふふ。驚いていらっしゃいますね。仕方ありません。途中から白紙のページになるだなんて思いもしませんからね。

 実はここにあるものは私の主が書いているんです。おや、お伝えしていませんでしたかね。失礼いたしました。私、この屋敷で仕えているものでして。ああお気になさらず。この屋敷にいる間はたいてい自室に籠もっているので。来客も別に嫌がりませんよ。私の相手をしなくてもいいわけですしね。

 主についてですか。そうですね、まあなんだか気の毒な人でして。考えすぎるのでしょう。あの人もまた読書を好まれるのですが、読み終えた数十分後には苦い顔をしているんです。ファンタジーでも青春モノでも、主人公たちの人生って輝いていますよね。あの人は物語に浸っている間その世界を楽しんで、現実に帰ると自分の人生に絶望するんです。なんてつまらない、なにもない、退屈で平凡な人生なんだと。嫉妬ですね。

 彼女はそうやって思えてしまうのが苦しくなって、物語は、主人公の人生のうち、最も輝かしい一時を切り取ったものだと考えることにされたのです。まあ実際そうでしょう。いつもなにか特別が起こる日が続けば誰だって疲れてしまう。ここにある本はみんな、白紙のページを持っているんです。そこには主人公たちの退屈で平凡な人生があります。なにもない日々を、別の誰かの人生に背景として登場するモブB としての人生を与えたのです。主の顔を立てるような言い方をするなら、まあ、休息を与えたとも言えましょう。彼女にすらそんなつもりはないでしょうからその必要はありませんがね。それから彼女は反対に、自身と同じように何も無い日々を生きる愛しき人たちのために主人公としての一時を描き始めたのです。

 まる自分より良い玩具を持つ友人を妬む子どものようですよね。憐れだとも思いますが……まあ主が明るい顔をしていれば私はそれでいいのですよ。ふふ、こころなしかあなたもなんだか明るい表情をしていらっしゃる。わくわくする、ですか。あなたもなかなかに捻くれた人だ。そういうところは、彼女と少し似ているかもしれませんねえ。

 はい、なんでしょうか。おや本当だ。もういいお時間ですね。お客様が帰ってしまうのは残念ですが。私めの語りにお付き合いいただきありがとうございました。とても楽しい時間でした。ぜひまたいらしてくださいね。お気をつけてお帰りください。


 またお会いしましょう。

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