64.夏は虫が元気です



 恐る恐る入った宿屋の中は、至って普通だった。

 蜘蛛の巣もなければ、埃だらけでもない。

 掃除の行き届いた、田舎のお宿だ。

 ただ、従業員の顔色が悪すぎるが……。


「せっかくお越しになったのに、村がこんな状態でごめんなさいね。

 この時期は、夜になると

 森からおかしなものが来るもんで……。

 だから村の者は怖がって、後の刻になると

 みんな家のなかにこもってるんです」


 エリアーナは途中から耳をふさいだ。

 それでも『夜』になると『何かがくる』というホラー映画の序盤のような話は聞こえてしまった。

 一刻も早くこの村から出ようとジルコを見れば、何やら思案顔だ。


「その、おかしなものっていうのは何なんだ?

 魔物だとしたら、ギルドに調査や退治を依頼すればいいだろう」


 この男、冷静である。

 一切怖がる様子はない。

 その落ち着きを少し分けて欲しいところだ。


「それが……姿を見ると眠らされた上に

 魔力を吸い取られるんです。

 だからまともに見た人がいなくて。

 ギルドに依頼を出してはいるんですけど

 来てくれた冒険者はみんな

 極限まで魔力を吸い取られた状態で

 翌朝気を失って見つかるんです……。

 でもこんなことがあるのは

 夏のこの時期だけで

 ほかのときは平和で住みやすい村なんですよ。

 夏が過ぎれば、何事もなかったかのように戻るんでね。

 今は家にこもって時が過ぎるのを待つしかないんです」


 そう言うと、顔色の悪い女性は部屋の準備をしてくると言って客室へ向かった。

 この時期は村に訪れる人も滅多にいないため、開店休業状態だそうだ。


(さっきの話を聞くに、その『何か』は『魔力』だけを取るんだよね?それって、つまり……恐れるに足らず!)

 

 恐怖心が一気に和らいだ。

 生命力でなく、魔力を吸い取る。

 それはつまり、魔力がないと生きられない『生き物』ということだ。

 エリアーナが知る限り、そんな生き物は一つしかいない。

 ダンジョンでお馴染み『魔物』だ。

 世界には多種多様な魔物がいる。

 そのなかには、他の生き物の魔力を吸い取る性質を持ったものもいた。

 

「ジルコさん、ギルドに出した依頼を、ギルドを介さず引き受けてもいいんですか?」


「解決してもギルドの評価につながらんだけで

 受けても問題ないはずだ。

 ……それに、この案件はギルドで『焦げ付き』扱いになってると思うぞ。

 長いこと解決できない依頼のことを、そういう。

 むしろ依頼を取り消してもらえるなら、ギルドの奴らも喜ぶかもな」


 これはチャンスではなかろうか。

 夜になれば探さずともやってくる魔物を、倒せばいい。

 ただそれだけで、報酬がもらえる。

 どうせ今夜はこの村に泊まるのだ。

 そのついでに、魔物退治といこうではないか。


「シラディクス山で使った暗視眼鏡使えば、夜の魔物退治だって余裕です!

 宿の人に、村長さん紹介してもらいましょう。

 それで依頼を引き受けて、報酬を我が手中に!」


 ぐっと拳を上げて、キリッとした顔を作った。

 もちろん目線は遥か彼方だ。


「……どこを見てるんだかわからんが、アンタのやる気は伝わった。

 でもさっきから、腹の虫すげー鳴いてるぞ。

 まずは腹ごしらえだな」


 そのままの恰好で赤面した。

 かっこつけたかったのに、全て台無しだ。

 なんて正直な体なのだろう。

 やけ食いしたい気分だ。



―― 同日 深夜


 夏の夜はにぎやかだ。

 多くの虫の声が聞こえる。

 とくに、自然豊かな村ではそれが顕著だった。

 

「この世界、蚊取り線香あるんですね。

 しかも私が知ってるのと、形とニオイが一緒です。

 デカいですけど……」


 巨大な緑のグルグルを足元に置いたまま、村の時計台から周囲を見張っていた。

 魔除け魔法を使えば蚊も近寄れなくなるのに、今はそれが叶わなかった。

 それを使えば、魔物も近寄らなくなるからだ。


「今は蚊よけの魔導具が主流だと思うぞ。

 俺も初めて見た。

 たぶん、じーさんばーさん世代の人しか使ってないだろ」


 エリアーナの顔の二倍はある蚊取り線香を、宿の人が持たせてくれた。

 ちなみに、あの女性の顔色が悪いのは、魔物とは関係ないそうだ。

 ぜひ、鉄分を多く摂って欲しい。


「……しかし、村長さん泣いて喜んでましたね。

 まだ解決できるとは決まっていないのに」


 外出を渋る宿の女性を説得して、村長の元へ連れて行ってもらった。

 そこでまたしても、エリアーナは逃げ出しそうになる。

 扉が急に開いたと思ったら、大きな包丁を持った男が出てきたからだ。


(お夕飯時に行ったのが悪いんだけどさ、包丁持ったまま出ちゃだめでしょ)


 村長は夕飯の支度中だったらしく、肉切り包丁を片手に迎えてくれた。

 ……この村の人はホラー演出をしないと登場できないのだろうか。

 

 実力を示すため銀色の冒険者証を見せると、村長はエリアーナたちを歓迎した。

 最近はもう、やってきてくれる冒険者もいなくなっていたそうだ。

 魔物を退治した暁には、金貨100枚の報酬を約束してくれた。


「この村の主な収入源は『魔ルビア』の栽培って言ってたからな。

 夏から秋にかけて咲く花なのに

 今の時期作業する時間が、前の刻だけなんて相当辛いはずだ。

 解決する可能性があるなら、藁にもすがりたいんだろ」

 

 魔ルビアは魔力回復薬の材料として使われるサルビアに似た白い花だ。

 村の外れには、魔ルビアがたくさん咲いている。

 今は月の光を受け、眩しいほどに白く光っていた。

 まるで前世の冬の定番、イルミネーションだ。

 ……終ぞ、異性と見に行くことはなかった。


(あ、今見てるわ)


 全然ロマンチックな状況ではないが、イケメン(エルフ)とイルミネーション(光る花)を見ていることに変わりはない。

 一人にやにやしながら魔ルビアの花畑を眺めた。

 

 ――ギロッ


 身体がこわばる。

 今一瞬、射るような鋭い視線を花畑から感じた。

 時計台から花畑までは、それなりの距離がある。

 それなのに、確実にこちらを見ていた。

 さっきから鳥肌が立ちっぱなしだ。

 去ったはずの恐怖心が、全力で帰ってきた。


(来るな!そのままどこかへ行っててよー)


 怖すぎて身震いする。

 思わず、ジルコの服を掴んでいた。

 

「……アンタ、何で泣きながら震えてんだ。何か見たのか!?」


 自分では気づかなかったが、どうやら泣いているようだ。

 たしかにホラーは大嫌いだ。

 だとしても、こんな風に泣くだろうか。

 ふと、そこで少し冷静になった。


(何かを見たのは確実だ。でも一瞬だったし、何を見たのか全然わからない。それなのに、ここまで『怖い』と思うっておかしくないかな……)


 以前、今のエリアーナのような状態の人を神殿で治した記憶がある。

 その人は魔物によって『恐慌状態』にされたのだった。


「い、異常を浮かせ 全てっ、流れよ ≪状態治しキュラーレ≫」


 震える口を何とか動かし、状態治し魔法を自分にかける。

 すると先ほどまでの恐怖心は消え、涙や震えも止まった。


「さっき、魔ルビアの花畑で一瞬、何かの目を見た気がするんです。

 おそらくその時に『恐慌状態』にさせられました。

 ……こんなに距離が離れているのにですよ!

 すごく強力な催眠を使える魔物かもしれません」


 並の冒険者では歯が立たなくて当然だろう。

 しかも恐慌状態に陥ると、その間の記憶が曖昧になると聞く。

 魔物と対峙した者は、魔力と一緒にその時の記憶も失っていると、村長が言っていた。

 だから魔物の正体がつかめず、対処することもできなかったらしい。


「あの魔物は『エルフの森』からやってくる。

 つまり、森に住むその能力を持つ魔物を調べればいいんだ。

 アンタのスマホ、たしか魔物図鑑あるよな?探せるか?」


「黄金スマホは各種図鑑完備です。

 エルフの森内にあるダンジョンで出現する魔物に絞って、検索してみます!」

 

 手汗が出てきた。

 気が焦る。

 指を動かし、目でたくさんの文章を追った。


 ―― 羽を広げると『恐怖の目』の効果あり。


 そんな一文に目が留まった。

 恐怖の目、というが何だかは分からない。

 でも、相手に恐怖を与えるということは何となくわかった。

 さらにそれに続く文章で確証を得た。


 ―― 鱗粉に触れると強制的に睡眠状態となる。


 恐怖して動けないところを、鱗粉で眠らせる。

 そして、苦労することなく魔力を吸い取るのだ。


「これです!きっとこの魔物に違いありません」


 ジルコに黄金スマホを見せた。

 のぞき込んだ先にいるのは……。


「モ・スーラか!」


 巨大な蛾の魔物だった。






 

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