自分の心に嘘を吐けても妹に嘘は吐けない

「アキねーちゃ! あっち! あっち行きたい!」


「はいはい」


 ボルボルと別れてから少しの間、私はフユを連れてピースフルレイクを当てもなくウロウロとしていた。ピースフルレイクはそれなりに広い街だ。しかもサービス開始から一ヶ月しか経っていないMMOのホームタウンというだけあって、人でごった返している。この人の多さを見て、ああそういえば今日は日曜日だったということを思い出したくらいだ。


「はぁ……」


 フユと並んでピースフルレイクを練り歩く私の表情は固い。


 その理由の半分は、この街に漂う悪臭が原因だ。

 マジで臭い。ピースフルレイクに充満するこの臭いの元は、どう考えても街のあちこちにうずたかく積み上げられたゴミ山のものだろう。こんな場所で普通に生活している人間は、プレイヤーだろうとNPCだろうと既に嗅覚がイカれてるに違いない。私のような乙女には耐え難い環境である。


 そしてもう半分の理由は、サラサの件についてである。

 十中八九、誘拐されたスカベンジャーの子供とはサラサのことだろう。私の勘がそう告げている。サラサを探すという名目で歩いているが、本当は確認するまでもないと頭で理解出来ていた。


 サラサには、私がログインした直後に一度攫われそうになっていた実績がある。その時はたまたま通りかかった私が、攫われそうになっているのはフユだと勘違いして救出した。それがほんの2時間ほど前の出来事だ。


 そこから舌の根も乾かぬうちに二度目の誘拐。

 しかも今度はNPCじゃなくて、プレイヤーによる誘拐ときたもんだ。


 どう考えてもサラサが狙われているのは偶然じゃないだろう。

 あの子には何か秘密があるに違いない。例えば、何か重要なイベントのフラグになっているとか、レアなアイテムの在処を知っているとか。まあ、その程度はいくらでも想像が付く。


 問題の本質はそんなところになく、私にとって何よりも重要なのは『どこまで深入りするべきなのか』である。


 別にボルボルの忠告が胸に刺さったわけじゃあない。

 ただ……ここからサラサ救出に挑むなんてことになったら、間違いなくリアルが疎かになってしまう。それが一番の問題なのだ。


「ゲームを始めたのが13時になるちょっと前だったから……今は大体15時くらいか」


 私としてはそろそろログアウトして、残りの家事を終わらせてから晩御飯の準備に取り掛かりたい所存なのである。なのに今からさぁ誘拐犯を追跡だ! なんてやり始めたら、絶対にまた夢中になって全部やり遂げるまで帰って来れなくなるに決まってる。


「う~ん……時間的にそろそろ潮時なんだけど……でもなぁ……」


 サラサのことはそりゃ心配だ。フユ探しを手伝って貰った恩義はあるし、助けたいとも思ってる。でもリアルを犠牲にしてまでゲームのNPCのために時間を割くべきかどうかは、また別問題だ。家を預かる者として、高校生として、姉として、いつまでもゲームなんかにうつつを抜かしていてはダメなのだから。


「アキねーちゃ! アキねーちゃ!」


「……うん? どったのフユ」


「アキねーちゃの言ってた、フユと友達になってくれそうな子はどこだ!? ぜんぜん見つからないぞ!」


「そうだねぇ、どこに行っちゃったんだろうね」


「真面目にさがせー!」


 怒られてしまった。どうやらフユには、私が真面目に人探しをしているようには映らなかったらしい。実際そのとおりなのだから、よっぽど私はやる気のない顔をしていたのだろう。

 ダメだな……やっぱりゲームはここまでにするべきだ。続きはまた来週の日曜とかでもいいじゃないか。案外その頃にはサラサも無事に戻って来てるかもしれないし。


「フユ、ちょっと聞いて欲しいのだけれど」


「やだ!」


「え、いいから聞いてよ」


「や!」


 今日のゲームはここまでとフユに提案しようとしたのに、フユは耳を塞いでぶんぶんと頭を振る。周囲から生暖かい視線を感じるが、見せもんじゃねえぞと睨んでやったら全員足早に逃げて行った。それでいい。


「フユ、良いから聞いて……って、すごいパワー。全然ビクともしないんだけど……恐るべしSTR極振り」


「やー!」


「何がそんなにイヤなの。ちょっと話を聞いて欲しいだけなのに」


「だって、アキねーちゃがそういう顔をするときって、いつもウソつくときなんだもん」


「嘘? お姉ちゃんは可愛い妹に嘘なんかつかないよ?」


「ウソ!」


 酷い言いぐさである。まあ嘘なんだけど。

 でも私がフユに言おうとしてたことは、別に嘘でもなんでもない。

 ただゲームを中断しようと、そう言おうとしてただけ。それは嘘でも何でもなくって、ただリアルでやらなくてはならないことがあるからという、至極真っ当な理由があるからだ。誰にも嘘なんか吐いちゃいないし、なんにも間違ったことは言っていない。


「アキねーちゃのウソツキ!」


 それでもフユは叫ぶのだ。

 何も聞いてすらいないのに、私が嘘を吐くつもりなのだと。


「……ねえ、フユ」


 私は膝を折り、小さな妹と目線の高さを合せる。


「お姉ちゃんは、一体誰に嘘を吐こうとしているのかな?」


「ん」


 私の問いに、フユは一片の迷いなく私の方を指差した。


「私?」


「うん」


「私、かぁ」


 私は、私自身に嘘を吐こうとしている。

 フユはそう言っているのだ。


「どうしてそう思うのかな?」


「アキねーちゃ、いっつもガマンしてる」


「我慢?」


「ほんとはゲーム好きなのに、おそうじとか、せんたくとか、忙しいからって」


「――」


 否定の言葉が咄嗟に出てこなかった。

 否定しても、それはどうせ嘘だと見抜かれるから。


「フユは、ゲームを好きなアキねーちゃが好きなの! むかしのアキねーちゃはもっとキラキラしてた!」


「――そうかな?」


「そうなの!」


 いや、実際のところそれはどうなのだろうか。ゲーム廃人だった頃の私はぶっちゃけ相当ひどい有様だったように思うけど。ゲーム世界での邪悪さが現実にまで波及していたというかなんというか……。自分自身で危機感を覚える程度には終わっていたように思うのだけれども……。


 しかし、ひとつだけ分かったことがある。


「フユが私をゲームに誘ってくれた理由って、本当は私のためを想って……なの?」


「それはりゆうの半分で、もう半分はフユがかいじゅーと戦いたかったから」


「半分だけかい」


 脱力して項垂れる。

 しかしまあ、それでも半分は妹が私を想ってくれたことに嬉しみを感じないはずがない。


 私が我慢してる、か。

 そうだね、そうだとも、そうだろうさ。

 今は伝説とまで呼ばれてすっかり過去の人になってしまっているこの私が、ゲームを好きじゃないはずがないのだから。


 ゲームを忘れたことなんて一瞬たりともない。

 ゲームこそが我が人生。

 私こそが、ゲームの申し子。

 私はゲームを愛している。


「……ふっ」


 認めたらちょっとだけスッキリした。


「ふふふ」


「アキねーちゃ、おかしくなった?」


「いいえ、お姉ちゃんは正常です。おかしかったのは、むしろ今までの私の方かな」


 立ち上がり、フユの手を引いて歩き出す。

 ゲームを止めるのは止めにして、私が為すべきことを成しに行こう。


「フユ。これからフユの未来のお友達に会いに行くけど、多分結構大変な道のりになると思うの。付いて来れる?」


「アキねーちゃ……だれにものを言っているのかな?」


 私は微笑み、生意気な妹にデコピンを喰らわせた。


 ともかく腹は決まった。

 今日の晩御飯はカップラーメン決定だ。

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