第24話 腐々 その6
そうしてもうひとつ、どうしても気になる事がある。
あの夢。あの夢に出てくる女。和服を着た正体不明の。
花を持っていた。複数本のガーベラの花を。
取材に来る直前の夜から夢を見ていた。夢などいくらでも見たことがあるが、同じような夢を連続で見たのは初めてだった。
古めかしい和服。手にしていたガーベラの花は何本だったか? あの、あかがね姫のお堂の周りに生えていたガーベラの花と同じ本数ではなかったか?
夢には種類があり「予知夢」という夢がある(正夢ともいう)。これから起こる未来を先に夢で見てしまうという、オカルトの一種だ。原因は思考に「認識バイアス」がかかっているからといわれる。未来を見たと思い込み、都合のいい部分だけを繋ぎ合わせて騒ぎ立てる、というのがこのメカニズムだと考えられている。
確かに取材前から和服の女の夢を見ているが、以前の「赤染の着物」から何か影響を受けているのかもしれない。
いずれにせよ、今の俺はバイアス強めの思考だから結論を急ぐ必要はないか。
夢の中の俺は「ガーベラの花は増えてはいけない」と言っていた。
それで少し調べたのだが、ここで記憶の扉が盛大に開いた。
大学生の時の話だ。俺は当時付き合っていた前川彩夏が、ガーベラの花が好きだということを何となく知っていた。
そこで当時の俺は貧乏学生だったにも関わらず、何かの記念日に花屋に赴き手当たり次第にガーベラの花を買った。勿論、彼女に贈る為に。
まあ、恰好つけたかったんだろう。とはいえ、金は大して持っていない。1本300円ぐらいで売っていたのを17本買って花束にしてもらった。今思えば店員さんは微妙な顔をしていた気がする。
俺は意気揚々と彼女に花束を贈った。一瞬表情が硬かったような気がしたが、喜んでくれた。
少し気になったが、すぐ忘れた。彼女が喜んでくれたので、俺は有頂天になっていたのだ。
その後、俺はガーデニングに詳しい友人にその話を自慢気にした。
友人は重苦しい雰囲気で話してくれた。
花には「花言葉」があると。
ガーベラの花には色によって花言葉が違う。また人に贈る本数によっても花言葉の意味が変わってくると。
当時の俺は花言葉というそのものすら初めて聞いた、というレベルだった。
3本「貴方を愛しています」、6本「貴方に夢中です」、12本「私の妻になってください」、40本「貴方に永遠の愛を誓います」、100本「私と結婚して下さい」などなど・・・・。
40本と100本が被っている気がするが、条件次第では数が増えることには問題はない。だが問題の17本は・・・?
答えを聞いて、驚愕し、すぐ前川彩夏に会いに行って平謝りした。
「絶望の愛」という花言葉らしい。
彼女は気づかない振りをしてくれていた。そして笑って許してくれた。彼女の温情に触れたのだ。
・・・忘れていた? 違うな。俺は努めて彼女を忘れるように努力していたんだ。
少し、前川彩夏との関係に触れておく。オカルトとは関係ない。私事だから記事等には使えないが。
大学生時代に前川彩夏と付き合っていたのだが、その後も交際は続き大学卒業後も東京で同棲生活を始めた。
彼女の両親とは面識があったが良く思われていなかった。同棲生活をゴリ押ししたせいもあるだろうが、それだけではないとは思う。(俺の両親は何も言ってこなかった)
それでも微妙な感じというだけで、関係が拗れているというほどではなかった。
そんな状況は彼女を苦しめていたのだろう。
ある日、彼女は一旦実家に帰り両親と話をしてくる。と言ってきた。
俺も同行を申し出たが、まだその段階ではないと断れた。
確かに、この時の状況でいきなり俺が行っても余計に拗れるような気はした。当日は仕事もあった。
不安があった。
彼女がこのまま実家から帰ってこないのでは、という不安。
不安は拭えぬが、俺が彼女の両親と友好的な関係を築けなければ、ただ彼女に不安を与えるだけ。いつまでも彼女に甘えるわけにもいかない。今は焦らず、余裕をもって彼女の両親と対話していけばいい。いずれ雪解けはあるはずだ。と考え、
時間はまだある。
そう思った。思う事にした。
当日、彼女を最寄りの駅まで送った。交通費を浮かす為、新宿から高速バスでU市に帰る予定だった。(電車でも時間をかければ安く帰れるが、バスの方が早い)
それが間違いだった。
なぜか偶然というヤツは重なる。それも悪ければ悪いほどヤツらは徒党を組みたがる。
これらは後に分かった事も含む。高速バスの前を鋼材を積載した大型トラックが走っていた。トラックは過積載だった。さらに鋼材を固縛する鋼鉄ワイヤーの本数が足りておらず、その鋼鉄ワイヤーも経年劣化の為、一部樹脂のコーティングがはがれ、錆による浸食が始まっていた。
鋼鉄も腐るのだ。
人為的な過失と最悪のタイミングの奇跡のコラボレーション。
誰も頼みもしない、最悪の偶然のアンハッピーセットが俺と前川彩夏、バスの乗客その他に無事に届けられた。
〇〇トンネル内にて、自動車数台による玉突き事故が発生した。
それが事故の第一報だった。
テレビのニュースで知った俺は急いで事故の怪我人が運び込まれた病院を調べて向かった。その間に次々と続報が舞い込んでくる。
高速道路を走っていた大型トラックが、トンネル内にて鋼材の荷崩れを起こし、鉄板や鉄骨がバラ撒かれすぐ後ろを走っていた高速バスに直撃した。その後、後続車のブレーキが間に合わず、次々と追突事故が重なった。重軽傷者、心肺停止状態の人も多数おり病院に搬送されている。
前川彩夏は病院にて死亡が確認された。
苦しまず死んだであろう事がせめてもの救いだったか。それだけだった。
病院の廊下で呆けていると、彼女の両親と妹の前川千秋が来た。
両親は変わり果てた娘の姿を確認すると泣き崩れ、その後、悲しみは怒りに変わった。
母親は俺に花瓶の水を浴びせ、父親は怒鳴りながら何度も殴りつけてきた。看護師たちに押さえつけられるまで何度も。前川千秋は・・・・、何かあったか? 泣いた後に黙って俺を睨んでいたいた気がする。
圧倒的かつ巨大な理不尽は彼女の肉体を踏み潰し、同時に俺の心も踏み潰したらしい。
俺はただ呆けていた。言葉も出てこなかったが、涙も出てこなかった。
不安は当たっていたんだ。
実家からではないが、彼女は帰ってこない。
今考えるとこれが「心が死んだ」状態だったのだろう。
その後、彼女の実家にて厳かに葬式が行われた。
雨天の中、訪ったが家には入れてもらえず追い返された。
その時、門扉のところに前川千秋が立って、黙って俺を見ていた。中学生ぐらいだっただろうか? それから今朝、駅にて偶然出会うまで会ったことはなかった。彼女が言う「付きまとい」とはこの時の事だろう。
それから傘もささずに駅まで歩いて行った。電車の他の客はさぞかし迷惑だったと思われる。
やはり涙は流れなかったが、胸のところにデカイ穴が空いた様なそんな気分だった。
しばらく無気力に支配されていたが、立ち直らなければという考えがどこからか湧いた。
忘れることにしよう。忘れなけば彼女の死は乗り越えられない。
そっからなんやかんや仕事に打ち込んで、10年といったところか。
仕事がらみのネタで、何やら記憶の扉が開いた、と言えばいいのか? 妙な偶然ではあるが。ガーベラの花の件もすっかり忘れていたな。勿論、彼女のすべてを忘れていたわけではないが。
まあ、ただ思い出したからには・・・。
10年前は葬式にも出れなかった。だから今回はせめて墓参りぐらいでも、というわけで。
このカフェは大学生の時に前川彩夏と待ち合わせをした事がある喫茶店だ。
この席に座り、彼女は対面でカフェオレを飲んでいた。俺は彼女の前ではタバコは吸わなかった。
葬式にすら出られなかった俺には、彼女がどこの墓地に眠っているかもわからない。
このカフェに来たのは、せめてもの墓参りの代わりだ。
カフェオレもすっかり冷めてしまったな。
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