第23話 腐々 その5

 U市に着いた時、日はとっくに暮れていた。


 今夜は市内のビジネスホテルに泊まる予定なので余裕がある。


 俺はとある古いカフェに寄った。

 ネットで検索しても閉店時間がわからなかったので、店が早めに閉まっているのではないかとヒヤヒヤしていたが、幸いなことに、店はまだ開いていた。ありがたい。


 「いらっしゃいませ」

 店内に入ると、白髪のマスターが出迎えてくれた。

 俺はコーヒーとカフェオレをひとつずつ頼むと、禁煙席に座った。



 さて、少し仮説をまとめていく。


 仮説その1だ。これは取材でいい結果が得られなかった場合を想定して考えていたものだが・・・。


 ネットミーム的な言い回しで「ドグサレ様・ゾンビ説」だ。


 ゾンビとは・・・・、まあ説明するまでもなく、皆さまご存じだと思うのだが、まずは本来の意味合いから。

 カリブ海のハイチにある「ブードゥー教」という宗教のシャーマンがまず、ゾンビパウダーと呼ばれる粉、一種の薬物を使用して一般人を死亡させる。死亡判定を受けた一般人はそのまま葬式、埋葬されてしまう。実はこれはゾンビパウダーによる薬物中毒の一種で、死亡ではなく仮死状態になってしまっているのだ。

 目覚めた一般人は墓から出てくるのだが(自力で出てくるのかは不明)、何故か自我と記憶を失っている(大変シャーマンにとって都合がいい)。

 そんな朦朧とした状態でシャーマンにかどわかされ(シャーマンが墓から出てくるタイミングを把握出来ているのかは不明)、シャーマンの荘園で奴隷として強制労働されるという。

 これが「ゾンビ伝説」の最初の説だ。我々が知るゾンビとは少し違う。


 現在のゾンビのイメージは海外のホラー映画等の影響が強く、墓場などから出てくる腐った死体だ。またゲームとかで雑魚キャラで登場し、簡単にやられるだけの存在という認識だったりする。(病気で感染する設定のもある)

 また最近の作品などではホラー要素すらないのもあり、以前ゾンビ映画好きの知り合いに話を聞いてみたことがある。すると、

「人型の物体に、遠慮なく銃をぶっ放したり出来るのが楽しいんだよ。」

 との言をいただいた。

 例え創作のフィクションであろうと、戦争映画などでの人死にのシーンでは爽快感など得られず、ゾンビなどのすでに死んでいて人の形をしているが、人あらざる者に発砲するのには罪悪感は生まれない。

 エンターテイメントとして特化してると言うことだ。

 このエンタメ性が現在のゾンビに不可欠、かつ求められるものということなのだろう。


 では映画やゲームなどを除いて、現在の日本におけるゾンビの立ち位置はどこにあるのか?


 オカルトネタの定番である都市伝説、怖い話、怪談などでゾンビネタはあるのか?

 結論、無い。もしくは無いに等しい。

 仕事上、かなりの数に触れてきたが記憶にあるのは1件ぐらいだ。正直、現代においても河童や天狗などの妖怪系のネタの方がまだ散見する。それほどオカルトネタに置いてのゾンビさんの居場所が無い。


 まあ、幽霊が実在するか論とゾンビが実在するか論を比べてみると、


 幽霊がいる→見える、見えないが発生。見えない側から「霊感が無いから、霊能力者じゃないから」と見えない理由を作り、存在を信じる人が一定数いる。


 ゾンビがいる→死体が動く、という現象を目撃しなければならない。それに対し見える、見えないという格差はない。曖昧な部分が存在しないのが実在性を証明するのに高いハードルとなっている。


 存在自体はオカルトネタなのに、オカルトネタとして確立させるためには高い実在性を示さなければならない。なんとも浮いた存在か。




 ここでマスターが注文したコーヒーとカフェオレを持ってきてくれた。

 コーヒーは自分用の、カフェオレは席の対面に置いていただく。



 

 それでは「ドグサレ様・ゾンビ説」を裏付ける為の逸話をひとつ。


 むかーし、昔、イザナキとイザナミという神様がおりまして・・・・。

 そう、有名な日本神話なんで簡単かつ砕いて説明しまっす。


 イザナミは火の神カグツチを出産して死んでしまう。


 夫のイザナキは悲しみのあまり、カグツチを殺害し、イザナミのいる黄泉の国へと追いかけていく。


 黄泉の国で再会したイザナミは「こっちのメシ食っちまったから、帰らんね。ただこっちの神さんに相談したらワンチャン帰れるかもだから、ちょっと話してくる。」

 ただし、相談中はこっちを見ないでほしいから、後ろを向いていてくれ。とイザナミは言います。


 というわけで待たされたイザナキさんですが、これがなかなか長い。ついつい後ろを見てしまった。


 なんとそこには全身腐りはて、蛆が湧いてるイザナキさんが突っ立ってました。


 驚愕して逃げ出すイザナキさん。「待デ! ゴルゥア~~」と追いかけてくるイザナミさん。


 夫婦の楽しい追いかけっこが始まりました。


 その後、イザナキさんは黄泉の国への入り口を大きな岩で塞いで難を逃れました。 



 めでたし、めでたし・・・、というわけではなく神話は続くわけだが、今回は割愛。


 この話は非常に有名な神話である。さらに昔話的には「死んだ人間は帰らない」という教訓の意味を含んだ話である(まあ、お話の中で死んでいるのは神だが)。またガワは変われど、世界各国にも似たような「死んだ人間は帰らない」をテーマにした逸話はあるらしい。つまり生者と死者との超えられない壁の話は、全人類史において永遠のテーマとも言えなくもない。その後は宗教などが絡んでくるが。


 これを「超」拡大解釈する!


 イザナミは死後腐乱死体となって復活しました。そして旦那を走って追いかけていく。

 ・・・この行動はまさに「ゾンビ」ですよ。日本神話はゾンビを暗示していた?!


 そしてドグサレ様。ドグサレ様は異臭を放ち、体がドロドロに溶けている。そして洞窟に身を潜めていて、ある時、人を攫いに村へやってくる。・・・・はっ! これはゾンビ!?


 イザナギは死んだ妻に会うために、黄泉の国へ。黄泉の国とは根の国とも死者の国とも。地下とも山の中の洞窟にある(島根県の)と言われてる。・・・・洞窟? はっ、ドグサレ様ッ?!

 ドグサレ様は最後に和尚の息子に退治されている。ゾンビは銃で撃たれて倒される、・・・これがエンタメ性か?!



 と、まあ、展開してみたが、苦しい。これは苦しい。

 オカルト雑誌の記事として考えるなら、これはこれで正しい気もするが。少し冷静になると苦しさが際立ちますねぇ。ええ。



 そして仮説その2を加えていく。

 とは言っても、ここにあかがね姫の要素が入って来るだけなのだが。


 先に触れたが、あかがね姫の伝説は民間伝承の話だ。口伝によって時代の流れの影響を受け、変節していく。

 実際にあったであろう、何かしらの姫の落人話が変化をして形成された。という点に触れたが、もうひとつの可能性がある。


 それは有名な伝説や逸話などの影響を受けて物語が構成されるパターンだ。

 そしてそのベースがイザナキ、イザナミの話。

 女神、姫が悲劇的な死を迎え、それが洞窟に隠される。その蓋を開けたものが目撃するのは、変わり果てた妻の姿、あるいはまったく朽ちることのない死体。

 ここは真逆なっているが、状況の設定を逆にしただけで同じ過程を辿っている。


 そしてドグサレ様。物語の構成は他の有名なネット系怪談の話を流用している。


 イザナミ腐乱死体←→あかがね姫不腐乱死体←→ドグサレ様腐乱?の化物


 すべて死から始まり、洞窟内にて変事に遭遇する。


 イザナミ構成→あかがね姫構成→ドグサレ様(他ネット系怪談)構成


 口伝(ネットの噂話)が時代の流れ(新しい要素の追加、ゾンビ)の影響を受け、最後は埋葬ではなく退治(ゾンビ銃殺等のエンタメ性への昇華)へと変節した、と考えるならば合点がいく。


 これならば、T県U市S町の「あかがね姫伝説」は「ドグサレ様」の元ネタである、と断言できなくもない。


 取材の成果はあったと言い切っていいだろう。

 だが、どうしても引っかかる。編集長は何故この場所に俺をよこしたのだろう?

 あかがね姫の伝説の話を知っていたのだろうか? だとしてもどんな結果になるかは予想つかないはずだが。


 ある女が脳内をチラついたが、それはいい。

 まあ、どう考えても答えは出ない。取材結果を編集長に渡せばわかるだろう。

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