第8話 凹々 その8

 息が切れる。もう走れねぇ。

 気がついたら隣の駅近くまで走っていた。時間は…、もう23時近くだ。

 とにかく、一旦落ち着こう。状況を整理するんだ。

 ひとまず、近くにあった24時間やってるファミレスに入った。

 タバコが吸えるのがありがたい。店員にコーヒーを注文していると、嫌な予感が頭をよぎる。

 ギョッとして、店員の顔を見た。…顔は凹んでいない、普通の顔だ。俺の妙な反応を見て、訝しんだ顔はしているが。


 小泉八雲の「むじな」だったかな。のっぺら坊を目撃して驚いた男が、逃げ出した先々で会う人々が皆「それはこんな顔でしたか?」とか言って、のっぺら坊になっているという。そんな話を今、急に思い出してしまった。


 よし、大分落ち着いてきた。

 運ばれてきたコーヒーを飲みながら、メモ帳にペンを走らせる。アナログだが、これが一番手っ取り早いんだ。

 …川畑S子が、凹み女だった。というのは間違いないだろう。そして川畑が言っていた「夕方以降の時間帯にK駅に出る」というのは、駅の鏡に写っていた自分自身を見ていた。という可能性が高いと思うのだが…。

 川畑の凹んだ顔面は、中央部の黒い穴に眼も吸い込まれていた。はたして川畑に視界が確保できていたのであろうか。そこは疑問が残る。

 そういえば…、川畑S子がうちの事務所に来た時に奴をドアのスコープ越しに見た。あの時の川畑の円状に歪んだ顔。あれはてっきり魚眼レンズ越しに見たから、歪んだ様に見えたと思ったんだが。…もしかすると、凹ませた顔面の穴んとこをレンズに近づけていたのか?

 奴は何故、俺に執着したのだろうか。ほぼ初対面のはずなのに。何か意味ありげな事は喋っていたと思うんだが、あの状況では俺以外の人間でも聞き取る事は出来ないだろう。

 やはり、Bか。あれは何かを知っていて、川畑S子を俺に振ってきたんだろうな。

 こんな時間ではあるが、スマホでBに電話をしてみた。Bは電話を取らなかったので、留守電に川畑S子の質問を残して切った。

 まあ、自分なりの思考の整理を続ける。

 そもそも川畑S子は何者なんだ? そして何処へ行った?

 どう見ても、考えても、あれは人間じゃないよな。

 初対面の時、奴は異常にタバコを嫌っていた。昨今そんな人間は珍しくもないと思っていたが、タバコを擦り付けたら消えちまった。通常、火のついたタバコを他人に押し付けるなんて、絶対に有り得ないが、そこは抜きで。

 ん、消えた? 確かに消えた。自分自身の顔面の穴に吸い込まれた様に見えた。

 左手に視線を落とした。

 異常は見られない。普通に動く。左手が奴の顔面の穴に吸い込まれていた。下手したら、飲み込まれていたのだろうか。

 感触は…、そうだな。掃除機に吸い込まれているというよりは、蛇に飲み込まれるカエルの気分ってところか。もっとも俺はカエルでもなければ、蛇に飲み込まれたことも無いが。

 まてよ。もしかして、川畑S子は死んだのか?

 死んだとしたら…。容疑者は俺か??

 いや待て、奴は人間じゃないだろ?だったら殺人にはならんだろ。んん? これはなんか、聞こえによってはただの殺人犯の証言みたいだな! そもそもあれぐらいで死ぬのか? 普通の人間より打たれ弱すぎだろ?!

 まずい、まずいがまず明日だ。川畑S子の所在を確認する必要がある。

 そしてBにも話を聞かなければならない。


 俺はなんとも言えない妙な気分だった。

 ガキの頃からオカルトネタが好きで、今ではオカルト雑誌のフリーライターをやって都市伝説なんぞ追っかけいる。

 しかし、今まさに自分自身が怪奇現象に遭遇しているのに、喜びや高揚感などが一切わいていないんだ。

 まあ、首は傾げているがな。もしかすると世間で怪奇体験や心霊体験をした人達もこんな気分だったのか。

「怖い」という大袈裟な感情が前に出ず、尽きぬ疑問に頭を悩ます…。


 起きた事象に引いた目線で考えるライターとしての喜びと、初めての怪奇体験に感動を得れないオカルトマニアとしての哀しみが、俺の中で渦巻いていた。

 あ、いや、なんか格好つけてしまった。スミマセン…。

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