藤の番人 (4)

 家に帰った私は母に「お昼用意してたのに」と小言を言われてしまったが「ごめん」と返事をすることしか出来ずにシャワーを浴びに洗面所へ向かう。

 その日はもうくたびれていて、風呂上りの一杯をしながら台所でお昼を作って待ってくれていた母への詫びに夕飯のおかずを作る。母は台所にあるテレビでお茶をしながら夕方のニュース番組を見ていた。


 その番組では昨今話題となっている薄青い小ぶりの花をつけるネモフィラ畑の様子が中継されており、私も時々テレビを見ていた。


 中継リレーと称して次に映ったリポーターが紹介したのは「樹齢は数百年と言われている藤棚」だった。

 しかしその瞬間、母はチャンネルを変えてしまい、私は中継映像を見るに至らない。


「ねえお母さん、裏山の藤の木も凄い大きいけど百年くらいしてるのかな」


 返事がない。


「お母さん?」

「え、ああ……さあ、知らないわ」

「でも少なくともおばあちゃんがお世話をしていたんでしょ?それにおばあちゃんはお婿さんをとって、お母さんも同じように」

「余所見してるとたけのこ、焦がすわよ」

「あ、やば」


 帰りがけ、近所のおばちゃんから「あら良い台車ゴロゴロを持ってるわね。それなら沢山乗りそう」と数キロにも及ぶ筍を貰ってしまったのだ。まだ掘りたてだから若く小さいのはお刺身にして、大きいのはさっと茹で溢してから甘く煮付けている最中。


 味見ついでのつまみ食い。

 軽い口当たりのビールと少し濃いめに味付けをした筍がよく合う。

 その春の美味しさに私はすっかり、母が藤についての話題を避けようとしていた事など知らず……その日は早めに夕飯をとってまた明日、朝から草取りをしに行く為に早く眠ってしまった。


 耳の奥で、しゃらしゃらと音がする。


 藤色の十二単を纏ったふっくらとした可愛い面立ちの女の子が私に向かって何かを言おうとしているけれど私の耳にはただ、藤が揺れる音しか聞こえない。



 う――う――う――。


 う――う――。


「う――」



 翌朝、目が覚めた私は昨日と変わらず、作業用の汚れても良い服に着替えてまずはボウルを抱えて家の畑に出向いてサヤエンドウを収穫する。昨日の夕方、台所に立っていたら玉ねぎが少なくなっていたので新たまねぎも多めに引っこ抜く。

 玉ねぎは根と葉を切り落とし、外の水道で軽く洗い流して水気を切ってから綺麗なビニール袋に大きいのを三つと更に小さな袋に詰めたサヤエンドウを一緒に入れて昨日、筍をくれたおばちゃんに渡す用意をした。


 母にも玉ねぎとサヤエンドウを渡しながら「おばちゃんちに玉ねぎ置いて来るからね」と言づけをする。おばちゃんちの畑では玉ねぎとエンドウの類いは植えていなかった筈だったので良いお返しになる。


 田舎あるあるで野菜被りが発生する事もしばしばだったけれど私はおばちゃんちの畑を知っているので大丈夫そう。他に誰からも貰っていなければ、の話だったけれど。


 またゴロゴロと台車を押しながら途中、おばちゃんちの玄関ベルを鳴らして昨日の筍のお礼と食べた感想を伝える。

 そして我が家で収穫した玉ねぎとサヤエンドウを渡せば「――さんが丹精していたのを覚えているわ。大切にいただくわね」とおばちゃんは祖母の在りし日の姿を懐かしんでくれた。


 私は台車を押して藤の木がある山裾まで行き、昨日と同じように草取りを始める。

 昨日の進捗は何故だか全然だったので今日こそ進めなくては、と意気込んでいた。


 しゃら、しゃら。


 心地よい藤の揺れる音を聞きながら昨日よりも草取りはとても順調に進んでいた。

 とりあえず入り口から真っ直ぐに根を断つように刈って、それに沿って両脇の草は刈り込み鋏で短くしてしまう。


 しゃら、ら。


 熊手で刈った草をかいて集め、少し離れた場所に山積みにする。一度に全てをこなすのは大変なので少しずつ。これも祖母から教えられた事だった。

 いろんな事を教えて貰ったな、と私も祖母との思い出を振り返りながら作業を進めれば遂に山裾から藤の木の根元までの“道”が完成する。


 まるで神社の参道みたいでちょっと自画自賛をしながら私は藤の木の根元にある小さな祠の回りも綺麗にしようとして気が付いた。


(これは本当に、祠なのかな)


 私は祖母との思い出を振り返る。

 祖母はこの藤を大切にしていたが……私は、一度もこの藤の木の下に来た事なんて無かった。

 祖母は言っていたのだ。


 この時期は蛇が出るからね。

 この時期は草にかぶれるといけないからね。

 この時期はツツガムシが出るからね。


『――ちゃんはお母さんよりもおばあちゃんの血が濃いみたいだから、ここから先には入っちゃ駄目だからね』


 ああ、誰かが私を呼んでいる。

 これは、おばあちゃんの声?


「う――」


 祠の中から、おばあちゃんの声がする。


「う――う――」


 ねえおばあちゃん、どうして私は祠を見ちゃいけなかったの?


「う――う――う――」


 やっぱり蛇とか虫がいるから?

 でもおばあちゃんはもうこの世にはいない筈なのに、どうして声が聞こえるんだろう。


「ち――やん――ちやん」


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