無欠の空間
「……」
「……」
ギルドの中にある小さな部屋。そこでリクとエリックは向かい合って座っていた。普段なら戦闘でもない限りは険しい顔をしない好青年のエリックだったが、今の彼は重く、暗い表情を浮かべている。その対面に座っているリクも感情を表に出さずに静かに座っている。
「――君は」
重い沈黙を破ったのはエリックだった。彼は真剣な表情でリクを見つめながら、ここまでのリクとの出来事を無意識に脳内で振り返っていた。今回の依頼を通して、エリックはリクの事を仲間思いの人物だと認識していた。
「君は何なんだ……リク」
彼は今でもその認識が間違っているとは思っていないが、帝都に帰還してから起きた事を考えると、彼に対しての認識が歪みそうになっていた。
「どうして皆は、君の事を知らないんだ?」
帰還すると同時に掴みかかったガーボン。ミゲリアの事を守ろうとしたシルア。
「僕だけが、君を知っているのか?」
帝都の中であった冒険者仲間。リクの冒険者登録を行ったセレン。ギルド長のリンド。
「僕が……僕がおかしいのか?」
模擬戦は無かったと言われ、依頼受注の申請も4人。シルアはリクの事を冒険者登録されていないと言った。
「リクが……僕に何かしたのか?だから僕だけが、君を――」
エリックの頭は既に限界だった。イレギュラーの飛竜の存在に、ミゲリアが一度は殺されかけ、仲間がリクを突然敵だと言わんばかりの対応をし、帝都の中でも自分以外の誰もが彼を知らないという。自分が狂っているのだと言われれば、どんなに楽だろうか。
「俺には、特別な魔法が使えるんだ」
「――特別な、魔法?」
頭が破裂しかけたその時、リクが話し始め、エリックはリクに耳を傾ける。
「それは、精霊魔法とかなのか?」
「分からないんだ……そもそもどうして俺が使えるのかすらも」
自らの手を見ながら話すリクを見て、エリックは初めて気づいた。これまでは自分の事に手一杯で気付かなかったが、リクの眼は、表情は決して無感情ではなかった。表面上を取り繕っているだけで、無表情の仮面の下には大きな動揺、そして悲愴が隠れていた。
「――時魔法、それが俺が使える魔法だ」
「時魔法……でも君は、登録をした時、魔力適性は無かったはずだ」
「だから、俺自身にも分からないんだよ」
エリックも帝都にいて、数多の冒険者と交流し、多くの情報を手に入れてきたが、時魔法という分類の魔法は一度も聞いた事が無かった。
「この時魔法は強力な力だ。この魔法が無ければ、俺はとっくのとうに死んでたよ。それに、今日もこの魔法があったから、ミゲリアを助ける事が出来た」
そこでエリックは、彼女を黒炎から救ったのも、欠損した腕を治すことができたのは時魔法のお陰だと理解する。自らの時間を加速させ動くことができ、怪我を治す治癒ではなく、身体の状態を以前に復元する。
「そんな出鱈目な魔法が存在するなんて」
そんな魔法はインチキも良い所だ。誰も敵うわけがない。つまりリクはどんなに怪我を負っても、いつでも身体を復元することができる。無敵の魔法だとエリックは驚愕する。
「そうだよな、俺も最初は……そう思ったんだよ」
乾いた笑いをしながら俯くリク。そこでエリックはそもそもの質問を思い出す。
「時魔法が凄いのは分かったよ」
時魔法と言う無敵の力に気を取られていたが、本来の質問はエリックにとってそこではない。
「でも、それが今のこの状況に何が関係してるって言うんだ」
「――ミゲリアの意識は、そろそろ回復してるかな?」
「ん?君が助けてくれたからね。そこには感謝してるよ。だから、僕の質問に――」
「だったら、もうミゲリアは、俺の事を覚えてないだろうな」
リクが突然何を言っているのか理解できなかった。どうしてここでミゲリアが出て来るのか。
「リク、どういう意味だ?」
「それが、時魔法の代償なんだよ……使えば使う程、皆に忘れられる」
時魔法の代償。それを聞いた瞬間エリックの頭が固まる。
「忘れられる……だって?」
「これでこの状況が理解できただろ?」
使用すればするほど、皆の記憶から存在が消えていく。エリックが時魔法の存在を知った上で、思い返すと、リクが飛竜との戦闘で時魔法を使用したのは2回。そして戦闘後に1回の合計3回だ。
「ちょっ……ちょっと待ってくれ、あの飛竜との戦闘のせいで、皆はリクを忘れたってことなのか?」
「――そうみたいだな」
「そんな……そんなことが」
魔法を使用するほどに自分の事を周囲が忘れていく。リクのこれまでの口ぶりからすると、彼はこれまで何度も時魔法を使ってきたであろうことはエリックにも理解できた。
「なんで、僕はリクの事を覚えてるんだ?」
「それは分からない。俺も誰から忘れられるのかは制御できないんだ」
「そ、それじゃあ!ミゲリアだって、さっきまで意識を失ってた。だからリクを覚えている可能性だって――」
「いや、
「そんな……」
リクは既に帝都に着くまでの間、機会があればルールを理解するために積極的に時魔法を使っていた。その中でリクは幾つかのルールを発見していた。
「1つ目、自分を対象にした時魔法を使用した場合、誰の記憶から俺が消えるかは選べない」
「じゃあガーボンやシルアがリクを忘れたのは、偶然ってことなのか?」
「――そうかもしれないな」
誰の記憶から自分が消えるかを制御することができれば、仲間と旅ができると考えたリクだったが、生憎誰が自分を忘れるのかを制御することはできなかった。
「2つ目はミゲリアが俺を絶対に忘れている理由」
「ミゲリアの治療をする為に時魔法を使ったから」
ミゲリアの両腕の欠損に関しては、これまでの経験上であれば、1日足らずの関りでは治せないはずなのだが、何故か治せてしまった。今となっては無意味だが、リクが思っていた以上に、ミゲリアはリクの事を気に入っていたようだ。
「最後に、紙とかに時魔法とか自分の事を書いて、後で誰かに思い出させようとしても、書いた内容が消滅する」
「ギルドでの依頼受注人数に冒険者登録が消えたのは」
「ああ、ギルドの職員側で俺の事を覚えている人が、誰もいなかったんだろうな」
これが一番厄介なルールだとリクは睨んでいた。これまで、紙にリクの事や時魔法の事を書いて事前に他の冒険者に渡していたことがあったのだが、彼らが忘れると同時に紙から記述が消えていたのだ。そこには筆跡の跡は微塵も残っておらず、まるで記述したという事実そのものが無くなってしまったかのようだとリクは感じていた。
「だから、俺が依頼を受けてないどころか、冒険者登録をしてないことになってる」
リクは懐から自分の冒険者カードを取り出し、エリックに見せる。
「そんなことが……」
リクが取り出したカードは全てが空欄であり、帝都ギルドの署名すらも消えていた。
「だから、今は覚えているが、いずれはエリックも俺の事を忘れる」
「止めてくれよ!」
思わずエリックは立ち上がり机を叩く。リクは仲間を救ってくれた恩人であり、既にエリックにとってはパーティメンバーである。そんな彼の事を忘れるのは、エリックにとって許しがたい事だ。
「あの飛竜を放ってはおけないだろ。次、奴と戦うなら、俺は躊躇せずに時魔法を使って全力で殺す」
「駄目だ!君はこれ以上その魔法を使うべきじゃない!」
「あいつはいずれ帝国どころか、隣国すらも滅ぼしかねない」
帝国から一番近い国は東に位置するルクス王国。リクにとって、そこは何が何でも守らなくてはならない場所だ。あの飛竜の脅威が分かった今、奴を殺すために時魔法の使用を躊躇するつもりはリクには無い。
「――いずれにせよ、リンドさんが情報を皇帝陛下に直に伝える。それまでは待つしかない。リクだって、あいつに1人で挑むのが危険だという事くらいは分かっているだろ?」
「あぁ、そのくらいはな」
短く告げるとリクは席を立ち、個室の扉へと向かう。
「エリック、お前はミゲリア達の所に行ってやれ」
「君は、どうするんだい?」
「宿に戻る」
リクが個室を去り、独り個室に立ち尽くすエリック。彼にとっては未だにリクが述べた事は信じたくなかった。
「戦えば戦う程、リクは皆に忘れられていく。いずれは、僕だって……」
しかし現に起きているこの状況は、彼にリクの言っていたことが全て真実だと告げていた。
「――そんなことは起こさせない。何が起きようと、リクの味方であり続けるんだ」
新たな決意を胸にエリックは部屋を出た。
* * * *
「エリック、やった来たか!」
「どこ行ってたのよ!」
ここは帝都の中にある医療所。怪我をした冒険者や市民が訪れる場所だ。そんな医療所の2階の部屋の前で、エリック、ガーボン、シルアの3人は話していた。
「ごめんね、ギルドに報告に行ってたんだ」
ギルド長があの飛竜の件を皇帝に伝える事を告げると、ガーボンとシルアはどこか安堵したような表情を見せる。
「それじゃあ、もう大丈夫だよね」
「うん、帝都の兵士達を中心に討伐隊が組まれるはずだからね」
大規模な討伐隊が組まれるのであれば、エリックは参加をするつもりでいた。一方で、ガーボンとシルアは参加はしないだろうとエリックは予想する。あの飛竜は余りにも強大すぎた。
「そうだ、エリック。あの飛竜との戦闘中に突然現れた、あの男はどうなった!」
「――ごめん、彼には逃げられたんだ」
リクの事はエリックには話せない。今のギルド全体においてはエリックの方が少数派であり、全体の共通認識としては、リクは存在していないことになっている。仮にここでエリックがリクの事を話したとしても、彼らは到底信じないだろう。
「畜生が!あの野郎!」
「医療所なんだから、もっと静かにしなよ。でも……あの人が、ミゲちゃんの腕を、治してくれたんだよね」
憤慨するガーボンに、未だに困惑した様子のシルア。2人からすると、突然見知らぬ男が、両腕を失った仲間を肩に担いで戦闘中に現れたのだ。彼らの反応も仕方が無いと言えるだろう。
「いずれにしても、気味の悪い野郎だ。何時からあの場にいたのかが分からねー」
「まあ、その話はいったん終わりにしよう。幸いにも僕達は、全員無事だ。誰もいなくなって……」
「エリック、どうしたの?」
「――いや、何でもないよ」
気を取り直し、エリックは部屋の扉を開け、中に入る。
「ミゲちゃーん、やっとエリックが来たよ!」
「調子はどうだい、ミゲリア?」
ミゲリアはガーボンとシルアの奥にあるベッドの上に座っていた。一見してどこにも怪我が無さそうな彼女はぼーっと外を眺めている。
「身体は、全く問題ないわね。でも一応、今日はここで安静にしてろってさ」
「それは、よかったよ。君が無事で」
リクの時魔法で両腕を完全に復元されたミゲリア。本来であれば命は助かったとしても、喰い千切られた両腕は戻ってこず、彼女は冒険者としての道を諦めるどころか、残りの人生を腕が無い状態で過ごさなければいけなかっただろう。
「私さ、なんか記憶が曖昧なのよね。はっきりとは覚えてないんだけど、この腕って――」
自分の腕を眺めるミゲリアに、帰還時の彼女の状態を知っている3人は口を噤む。ミゲリアには、一度は両腕を失ったことは言わない方が良いとエリックは判断したのだが、彼女の反応を見るに、ガーボンとシルアの2人も彼女には伝えていないようだった。
「そ、そうだ……ミゲリア、1つ聞きたいことがあるんだけど」
これ以上彼女が両腕に関しての記憶を深堀するのは良くないと判断したエリックが話題を変える。
「なによ?」
「――えっと、君は……リクって名前に、聞き覚えは、あるかな?」
「――」
エリックの問いに、ミゲリアだけでなく、後ろにいる2人も表情が固まる。エリックにとっては気まずく、非常に長く感じられる無言の間が暫く続く。
「――ごめん、リーダー。色々考えたけど、私は聞いた事無い名前ね」
「うん、そうだよね。ごめんね、変な事聞いちゃったね」
「エリック、そのリクってのは誰なんだ?」
「まあ、友達……かな」
「へー、私達が知らない友達がエリックにもいるんだ!今度紹介してよ!」
「そうだね……機会があればそうするよ。きっと3人共、彼の事を気に入るよ」
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