ミレーナによる【今日はなんの日】①
「シルヴェニア卿、キスの日って知ってます?」
「あ?」
今度はなんだ、と顔に貼り付けたマクシミリアンを無視してミレーナは続ける。
「わたしが育ったところでは、日付によって記念日があるんです」
「それが今日だと?」
多分、そのキスというのは自分の知っているそれなのだろうな、という予感を抱きながら尋ねれば「知りませんけど」と返ってくる。
――何なんだそれは。
ミレーナの発言の意図がわからずマクシミリアンは眉をひそめる。
「でも、イチャつく口実なんていうのはどれだけあってもいいですからね!」
と彼女はまたグッと親指を立てるので、多分とてもいい提案をしたと思っているのだろうというのは、今までの経験から予想できる。
「それは――私にビーとキスをしろと言っているのか?」
「そんなの、わたしがわざわざ言わなくてもしてらっしゃるんでしょう?」
「…………」
――それはそうなのだが……なんでこの子はこんなに嬉しそうなんだ?
マクシミリアンの眉間のシワは深くなる。しかし、ミレーナはそんなことは気にしない。いっそ無邪気と評するに値するような表情を浮かべてマクシミリアンを見ている。
下世話なことを言われているのは確かなのだが、そういう話を好む連中のような、下衆な感情からの発言ではなさそうなのが不思議だ。
「いってらっしゃい、と、おかえり、のキスを教えてくれたのはあなたではなかったか?」
「そうです、わたしです! 毎日してらっしゃるんですね!? わぁっ!」
「…………」
――いやだから。
どうしてそこでミレーナが誇らしげな顔になるのかかわからない。つくづく変な子だ。
あなたはなにを求めているのか、と率直に聞いてみれば「お姉様の幸せです」と返ってくる。
「ビーが幸せだと、あなたも幸せなのか?」
「シルヴェニア卿は、お姉様が幸せだと幸せになりませんか?」
「質問に質問で返すんじゃない」
「はい! 幸せです!」
「ああ……そうか」
どうして家族でも恋人でもない、ましてや友人関係すら本人から否定されている状況で、こんなに一方的に好意を持ち続けられるのだろうか。理由が不明すぎる。
――とはいえ、ビーの場合は『友人』の条件がごく狭いのだろうな。
ベアトリスにとって彼女はあくまでも友人以外の扱いという意味からくる発言であって、嫌悪感から来る「友達と思わないでくれ」という意味合いの言葉ではないようだ。少なくとも今は。
そういう部分をわかっているのかいないのか、真正面からはっきりきっぱり「お友達ではありません」を食らっても笑っているらしいのだから、彼女もベアトリスと同じくらいにはズレている。
「わたし、お姉様がご自分で選んだ愛する方と、幸せになってくだされば満足なんですよね」
「うん」
「だから、シルヴェニア卿には頑張っていただかなくちゃいけないんですよ」
「私が?」
そんなの、言われるまでもなくそのつもりだ。
マクシミリアンはベアトリスへの愛に関しては誰にも負けないと思っているし、自分以外が彼女から完璧な笑顔を引き出したとなれば軽く嫉妬する。そんな様子を、召使いたちから生温く見守られている自覚はある。
――しかしまあ、期待されているのなら応えなければいけないだろうな。
ベアトリスに関する、彼女にとって有益だと思われること以外で、ミレーナの要求を飲む気はあまりないのだが。
「だって、今のお姉様を幸せにできるのはシルヴェニア卿しかいないじゃないですか」
それはそうだ。今のマクシミリアンにとっては、自分以外と幸せになるベアトリスを素直に祝福できないだろうことは目に見えている。
ミレーナにとって、マクシミリアンとベアトリスが夫婦であることは歓迎すべきことであるようだ。しかも、マクシミリアンが妻を溺愛して甘やかしていればいるほど、彼女にとっては都合が良いらしい。
――私とビーが仲良くしているのを望んでいるのだろうな。
だから、あれこれとふたりがイチャつけるようなネタを提供してくれているのだと思われる。
「それをしたとして、結果を伝えたりはしないぞ」
「そこまで野暮じゃないですよぉ」
「……聞きたくはないのか?」
「聞きたいですけど」
「ははッ、素直だな」
そんなわけで、マクシミリアンはベッドの上で彼の妻を組み敷いていた。
「マクス様、この姿勢は……?」
「うん、今日はキスの日なんだとあの聖女から聞いてな?」
「はい……はい?」
キスの日とはなんでしょう、と問い掛けてきながらも、妻は期待に瞳を潤ませているように見える。焦らすように、額や目蓋、頬にキスを落としていけば彼女は身を捩る。
「どうした?」
問うても、返事はない。
ただ、荒い息で潤んだ瞳でマクシミリアンを見上げている。
「ビー、あなたは本当に可愛いな」
軽く唇を合わせれば、物足りなさそうな目で見つめられる。
「可愛い」
思わず繰り返して、また口付けを交わして、愛を囁いて、徐々にそれを深くしていく。
ちゅ、と音を立てて吸って離れた後で彼女の目を覗き込めば、完全に潤んだ様子で見返される。
「ビー……」
ああ好きだ、と思いながらまた唇を寄せれば「マクス様ばかり……」と妻は呟いた。
「私ばかり?」
「私だけが振り回されているようで、マクス様はいつも余裕たっぷりでいらっしゃるのが……」
「悔しい?」
問えば、彼女は黙ってしまう。
マクシミリアンは、ベアトリスの頭を抱きかかえるようにしてベッドに転がる。胸に彼女の耳を押し付ける。
「マクス様の心臓、とても早く鳴っています」
「ああ」
ベアトリスの言葉に、マクシミリアンは頷く。
「わかるか?」
「これは、エルフだからの脈の速さではないのですね」
「っ……ふふ、そうだな」
「私と口付けをしたから、ですか?」
ああ、と答えれば、彼女は目を丸くして。
「もしかして、マクス様は、私とこういうことをすることで、ドキドキしていらっしゃったんですか?」
「今更か?」
低く笑えば、彼女はなぜか動揺したように「私だけだと思っていました」と呟いた。
「こんな風になったことは、今までにない。私をこんな風にさせるのは、あなただけだよ」
ぎゅうっと彼女を抱き締めれば、気付いたようでベアトリスは息を呑んだ。
「でも、その……」
「今日はキスの日だそうだから、なにもしないけれど」
「……しない……んですね」
それは、マクシミリアンの言葉を繰り返しただけなのかもしれない。でも、彼にとっては十分すぎるほどの煽りになってしまった。
――したくないわけがない。今すぐにでも……しかし。
「私、これ以上精神的に鍛えられる必要はないと思っていたんだが。」
「なんのお話ですか?」
「いや、なにもしない。誓ってなにもしないんだが」
――これは、キツい。
正直、なにもしないと誓ってしまったあの日の自分を恨みたい。
マクシミリアンはベアトリスを抱き締めて、自身が落ち着くまで何回も深呼吸した。
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