マクスとビーは『愛しているゲーム』をやってみた。

「愛しているゲーム、ですか?」

 

 夕食後、ふたりきりになった夫婦の寝室でマクシミリアンから提案されたベアトリスは、ぱちぱちと瞬きした。


「申し訳ございません、マクス様。私、そのようなゲームは聞いたことがありません」


 遊び方がわからない。なにをするものかもまったく想像がつかない。マクシミリアンがなにも持っていないところを見ると、特別な駒やカードなどが必要なものではないのだろう。彼のことだから、どこからともなくそういうものを取り出してくる可能性はあるが。

 ――もしかして、を口にしなければいけないのかしら。

 隣に座っている男に、ゲームであれどを伝えなければいけないと想像すれば耳が熱くなる。

 ――落ち着くのよベアトリス。まだ、と決まったわけではないのだから。

 別の遊び方だという可能性を信じて、平静を装って尋ねる。


「どのような遊びなのですか?」

「ん? うん。ミレーナ嬢から聞いたのだがな」


 その前置きで先程の予想通りの内容なのではないかと不安が増す。あの聖女様は、よくわからない知識をいっぱい持っているのだ。隣国の習慣なのだろうけれど、ミレーナから新たな知識を得るたびに、自分はまだまだ世間を知らない、とベアトリスは反省するばかりだ。


「こうやって向き合って」


 マクシミリアンはベアトリスを抱き上げ、向き合うような形で自分の膝の上に乗せる。至近距離で見つめ合うことになってしまったベアトリスは、多分これは絶対やらなくてはいけないポーズではないのだろうと察する。しかし、抵抗したところで無駄だということも学習しているので、文句はつけない。


「順番に『愛してる』やら『好き』だという言葉を伝えていくような遊戯だ。言う方でも、言われる方でも、照れてしまったり笑い出してしまったものが負けになる」

「……なんのために言うのですか?」

「意味などないよ。ただの遊びだ。ミレーナ嬢がせっかく教えてくれたんだ。せっかくだからやってみようと思ってな」


 あくまでもミレーナから教えてもらったから、と理由付けしているものの、マクシミリアンは満面の笑みだ。面白そうだろう? と聞いてくるが、それだけではないのだろう機嫌の良さが垣間見える。絶対になにかしらの下心がある。

 とはいえ、聖女様がせっかく教えてくれた遊戯を、よくわからないからやりませんでした、というのも失礼だ。ミレーナは、きっと近いうちに「やってみましたか?」と聞いてくるだろうから、一度は試してみる必要がある。


「私には、それを聞いただけで楽しさを想像できる頭はないようです」

「そんな風に自分を卑下するな。あなたは愚かな人ではないよ。……では、とりあえずやってみようじゃないか。どちらからはじめる?」


 にこりと微笑む夫に、ベアトリスは真剣な顔で「私はルールがよくわかっていませんので、マクス様からお願いいたします」とお願いした。私から? と聞き返され、どちらが先かで有利不利があったのかもしれないと頭によぎったものの、ベアトリスの意思は固い。

 

「勝負事に間違いがあってはいけませんから、マクス様からで」


 意見を変えないベアトリスに、小さく肩を竦めたマクシミリアンはその整った唇を開いた。


「ではいくぞ。……ビー、『愛してる』」


 ――なるほど。

 ベアトリスは納得する。これは、言われ慣れていないとかなり響く。ただの友人関係でも照れてしまうだろうに、好意を抱いている相手から言われたとなれば、これはかなり恥ずかしい。

 ――危なかったわ。

 真剣にこのゲームの内容を把握しようとしていたベアトリスは、マクシミリアンの言葉に特に反応をすることなく「次は私の番ですね」と確認をした。聞かれたマクシミリアンは微妙な反応だ。ベアトリスは不安になる。


「私、なにか間違ったのでしょうか?」

「いや、間違ってない。よし、言っていいぞ」


 余裕の笑みを浮かべたマクシミリアンに、ベアトリスは改めて「マクス様」と呼びかけた。


「なんだい?」

「……『愛してます』」


 マクシミリアンの頬が少しだけ引き攣ったようにも見えるが、多分気のせいだろうと判断したベアトリスは順番を譲る。マクシミリアンは甘い声で「『愛してるよ』、ビー」と囁いてくるが、これもさして恥ずかしがることなしに聞くことが出来た。これくらいなら、連日囁かれている。朝も昼も、寝る前でも、いつだって彼は愛を囁いてくるのだ。今のベアトリスは、この一言で真っ赤になっていた頃の彼女ではない。鍛えられたのだ。


「マクス様」


 次は自分の番だ、とベアトリスは口を開こうとするが、マクシミリアンはまだ攻撃の手を緩める気はないらしい。何度も何度も「愛してる」「好きだ」と囁いてくる。


「あなたのこの熟した果実のような髪も、陽の光を受けて輝く蜜のような瞳も、もちろんこの愛らしい唇も、すべてが愛しい」


 マクシミリアンは、言いながら順に触れてくる。触るのはルール違反ではないのだろうかとも思うが、彼がやってきているのだから多分これは許容範囲なのだ。ここまでされるとさすがに胸の奥がジリジリしてくる。甘く疼いて、呼吸が浅くなりそうだ。


「あまりに美味しそうで――食べてしまいたくなるな」


 そう吐息混じりに言う彼は、自分の表情や声がベアトリスにどう作用するかとてもよくわかっているのだろう。ベアトリスは、羞恥心が溢れだしそうになるのをきゅっと唇を引き締めてなんとか堪えた。


「もう、マクス様ばかりズルいです」


 私も言いたいのに、とベアトリスが訴えれば、マクシミリアンは小さく眉を動かした。その反応に、自分の手番として良いのだと判断したベアトリスは一度深く呼吸をして、可能な限り柔らかな声を出そうとした。


「マクス様」

「ああ」

「――だいしゅき」


 あ、噛んだ。


 恥ずかしい、と頬が赤くなりそうになる。

 しかし、間違いなどしていません、という表情を保つ。ミスしたことを顔に出さない訓練はしている。感情を表に出してはいけない場など、何度も経験してきている。このくらいの甘嚙みで動揺するようでは、公爵令嬢として風上にも置けない。

 すん、としたベアトリスを見て、一瞬ぽかんとしたマクシミリアンはすぐに顔を伏せると肩を震わせる。


「……マクス様?」

「ん……っ、ふっ、ふふっ、ははははは! 駄目だ。それはズルい。そんなの愛らしすぎて、反応するなというのは国2つを同時に滅ぼせと言われることより難しい」


 笑い続けているマクシミリアンに、勝負には勝ったものの、なんだか負けたような気分にもなって釈然としないものを感じたベアトリスだったが、そのままソファーに押し倒されて目を丸くする。なにをするつもりか、と見上げれば


「では、勝負に負けてしまった私に、なにか1つ要求していいぞ。なにをすればいい? 欲しいものがあれば、なんでも手に入れてこよう」


 マクシミリアンはそんなことを言い出すが、この体勢はどう見てもベアトリスが奪われる方ではないのだろうか。やっぱり釈然としない。

 してほしいことも、欲しいものも、すぐには思いつかない。第一、普段からなにをお願いしてもやってくれるマクシミリアンに、この場で改めてお願いしたいことなどない。

 しかし勝敗の結果となれば、なにもいらないというのも格好がつかない。さんざん悩んだベアトリスは、ふと先日ミレーナから聞いたものを思い出した。


「罰ゲーム……はいかがでしょうか」

「うん?」

「ゲームに負けた方が課される試練のようなもの、らしいです。ミレーナ様から教わりました。恥ずかしいことをさせられたり、言わされるたり、買い物に行かされる……そういうものらしいです」

「ん? ビーはそういうなにかを私にやれと言っているのか?」


 別に構わないが、とマクシミリアンは応える。恥ずかしいことをやれだの言えだのと言われたら、ものによっては断固として拒絶したいものがあるベアトリスは、彼のように簡単に頷けはしない。このひとには本当に怖いものなどないの? と思いながら、さてなにをやってもらおうかと真剣に考えだす。


 ――以前付き合っていた方のお話をしていただく? そんなの、私が聞きたくないわ。

 ――小さい頃のお話は? それならコレウスに聞けば嬉々として教えてくれそうだし。

 ――苦手な食べ物を食べていただく? それも、私が食べてくださいと言えばなんだって食べてしまいそうだし、このひと。


 色々考えてみるけど、いい案がない。そうしている間にも、マクシミリアンは好き勝手にベアトリスの頬や額、耳などに口付けをしているのだが、集中して検討している彼女は特に反応を示さない。そのまま数分。ベアトリスを抱き上げたマクシミリアンはまだ考え込んでいる彼女をベッドに運んだ。

 ぽすっと布団の上におろされたベアトリスは、改めて覆いかぶさってきた夫の頭に手を伸ばした。


「おや、さすがにこれ以上は調子に乗りすぎだと止めるのかい?」


 やっと反応してくれたと笑うマクシミリアンだったが、真顔で頭を撫でてくる妻に徐々に困惑してきたようだ。なでなでなで、とベアトリスは無表情にマクシミリアンの頭を撫で続けている。


「……ビー? これは、なにを?」

「頭を撫でています」

「それはわかっているんだが」

「こういうのは、子供扱いされているようで恥ずかしくなりませんか?」

「――ああ」


 なるほど、と答えたマクシミリアンは微妙な顔になる。


「これが、罰ゲームというものなのか?」

「なっていませんか?」

「いや」


 もごっと口の中でなにか呟き、彼はベッドの上に座ると片手で額を押さえる。ベアトリスは、彼の動きに合わせて自身も起き上がって、なおも頭を撫で続けている。指の間からちらりと見てくるマクシミリアンと目が合ったベアトリスだが、どこまでも真顔だった先程に比べれば口元が緩んできている。しかし、本人にそんな自覚はなかった。


「楽しいかい?」

「そこそこ楽しいです」

「ん……そこそこ……ああ、うん、それは良かった」

「マクス様は、恥ずかしいですか?」

「ん? あー、まあ、そこそこな?」


 その答えを聞いたベアトリスは、『頭を撫でられるのはマクシミリアンにとって恥ずかしいこと』なのだと理解してしまった。

 もちろんマクシミリアンは頭を撫でられ慣れているわけでもなかったが、特段恥ずかしいとも感じていなかった。ただ、満足そうにしている妻を見てきゅんとしてしまっただけなのだけど、本人はそんなこととはつゆ知らず。

 これ以降、マクシミリアンの言動にベアトリスが少々腹を立てた時などに嫌がらせのように頭を撫でられることになるのだが、それが彼にとってご褒美なのか罰なのかはわからない。更に、その場面を目撃した使用人がニヤニヤするのを見てなんとも言えない気持ちになる未来が待っているだなんて、さすがのマクシミリアンにも想像できていなかった。

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