ノルティス・イウストリーナは気付いてしまった。

 ノルティス・イウストリーナは、イウストリーナ公爵家の長子である。そして彼の妹のベアトリスは、この国の第二王子の婚約者であった。


 ……婚約者であった。

 そう、過去形だ。


 可愛い妹は、結婚式当日に「聖女が現れたから婚約破棄」と国王自ら命じられ、花嫁衣裳のまま捨てられてしまった。

 有り得ない。

 本人に非は何もないのだ。なのに、あっさり婚約破棄の一言で王子との関係はなかったものとなった。聖女の歓迎の宴を催すとのことで、結婚式の場に招待されていた貴族たち全員が国王に続いて教会を後にしたことで、彼女は結婚式を執り行っていた司祭とふたり、教会に取り残された。

 なんと寂しい光景だったのだろう。平均的な女性と比べれば高身長でいつも凛としている妹が、あの瞬間は小さくなってしまったように見えた。

 だがそれは、過去の話だ。今、妹は楽しく生活している。

 多分。


 ノルティスは、エミリオという王子を評価していたわけではない。全てにおいて優秀な成績をおさめてはいるが、器用貧乏。どちらかというと、妹もそのタイプだ。しかも彼の場合、無自覚に失礼だ。考えが甘い。周囲の愛を当然だと思っている。尊大なわけではないが、どうにも発言が鼻につくことがある。

 第一王子であるルドヴィクスが規格外に優秀なので、それと比べられ続けているのは辛かっただろうとは思う。しかし、それとこれとは関係のない話だ。それなりの才能は有るのに優秀な兄と比べられ続けて辛い思いをした、可哀想だろう、同情してくれ、愛してくれ、と主張するのは違う。本人が明確に認識していなかったのだとしても、どこかそう考えているのではないかという部分が見え隠れしているように思えて気に入らない。

 王子という立場上、欲しいものは比較的手に入りやすかったのだろう。王妃も、比べられ続けている第二王子を憐れんだのか甘かったとは思う。しかし、それにしても「してもらって当然」というあの態度はどうなのだろう。しかも無自覚。だからこそ性質が悪い。

 そう、エミリオという男は、ノルティスの目から見れば、いわゆるアホ王子だったのだ。

 妹を嫁にやるのはもったいない。しかし、王族だということに違いもない。妹が望んでいるのなら、あのアホがどんなに気に入らなかろうが認めるしかない。だが、どうにも生真面目で鈍いところがある妹自身は「結婚は決まっているものだから」「貴族ならば政略結婚は当然」という思考でそれを受け入れているようで、エミリオ自身に恋愛という意味での愛情を感じているようでもなかった。

 傍から見ればエミリオがベアトリスに気を持っているのは明らかだったが、妹本人にそれに気付いている様子はない。そういう部分では、多少エミリオに同情しなくもない。が、鈍い相手に気付いてほしければ、言葉にして伝えるしかないのだ。アピールしているのだから気付いてくれ、というのは、それまた高慢なことだとノルティスは思う。

 あまり気に入っていない男だったから、腐っても王子とはいえ婚約破棄されたところで惜しかったとは思わない。ベアトリスも彼に想いを寄せていたわけでもないから、妹自身も嘆き悲しんでいたわけではない。ベアトリス・イウストリーナという女性に問題があっての婚約破棄ではなく、致し方ない事情があったことはこの国の国民であればだれもが理解できる。だから、嫁ぎ先に困るということもないだろう。

 だが、それは婚約破棄後すぐに考えなければいけないものではない。状況が落ち着くまで、実家で心穏やかに過ごしてくれたらいい。元婚約者が新たな婚約者となる聖女と共にいる場面を見るとさすがに憂いてしまうというのなら、王家主催の行事にも参加する必要もないだろう。しばらくは妹のしたいことをやらせてやろう。観劇に付き合ってやってもいいし、ドレスを作るのでも、少し離れた領地に静養に行くのでも良い。

 そう考えていたのはノルティスだけでなく、両親もだと思っていた。

 のだが。


 聖女の歓迎の宴の最中、父にスッと近付いてきた男がいた。娘が婚約破棄されたばかりというのはその場の全員が知っている。少々遠巻きにされている様子でもあったのだが、声を掛けてくるものも数人はいた。悪意がありそうな連中の顔は覚えた。同情気味なわりには、下衆な好奇心が隠しきれていない連中の顔も覚えた。だが、その男はそのような種類の表情を浮かべてはいなかったどころか、見掛けたことのない人物だった。

 この場に招待されているのであれば、どこかの貴族なのは確かだ。見た覚えがないということは、新興の貴族だろうか。遠目にそう思ったノルティスだったが、男から耳打ちされた父が目を見開いて倒れないように足を踏ん張っているように見えたので、なにがベアトリスに問題でも起きたのかと近付いてみることにした。


「父上、今の男は――」

「ああ、ああノルティス」


 ちょっと、とテラスに呼ばれ、誰もいないことを確認した父はノルティスの耳元に囁いた。


「ベアトリスが結婚したんだそうだ」

「……はい?」

「さっきの男は、その知らせを持ってきた」


 どういうことだ。意味が分からない。

 唖然とするノルティスに「しかも、相手はあのシルヴェニア卿だ」と告げた父の声は震えていた。


「あの辺境伯ですか?」


 滅多に姿を現すことのない辺境伯。諜報活動もしているとかいう噂もあり、変身魔法を得意としているらしく七色の君とも呼ばれている。彼である、と証明するのは王家から授かった指輪のみ。長らく見た目の年齢が変わらないことから不老の君やら不死の君やらとも呼ばれているが、多分代替わりされているのが変身魔法のせいでよくわからなくなっているだけだろう。シルヴェニア卿は、銀髪の美形だったと記憶しているが、それが本当の顔かどうかは知らない。

 全てが謎に包まれている人物。その人が、どうして妹を娶ったという話になっているのか。


「なにがあったのですか」

「わからん。だが……いや、事情があって2年ほどの契約結婚になるだけだから心配するな、と」

「心配はするでしょう。可愛い娘のことなんですから」

「いや、だが……シルヴェニア卿ならば、ビーの相手として悪くはない」


 思いがけない言葉が父の口から出る。どこの馬の骨とも知れぬ男、というには国から認められている人物ではあるが、しかしノルティスからすれば数度見掛けた程度の話したことのない相手だ。妹を安心して託せる相手かどうかの判断はつかない。


「父上は、彼をよくご存じなのですか」

「まあ、まあまあまあ」


 にんまりと微笑む父の表情から伺うに、条件その他を含めて、婚姻相手として合格点を出せる相手なのだろう。


「明日、挨拶に来るそうだ。ビーの荷物を取りに来がてらな」


 もしもあの話が事実だとしたら――とぶつぶつ呟きだした父は思考の海に沈んでしまっていて、しばらくは戻ってこないだろう。父の代わりに社交に出たノルティスだったが、翌日、妹の夫となったマクシミリアン・シルヴェニアという男の正体を知って頭を抱えることになった。


 ――いや、まさかエルフとは。

 妹の夫は、エルフだったらしい。しかも、エルフ族の王というではないか。ある意味で、ルミノサリアなどという人間の国の王よりも立場は上だろう。だが、問題はそこではない。自分たちの王の妻に、ただの人間である妹が嫁いだということをエルフたちは歓迎しているのだろうか。彼女は、エルフから恨まれてはいないだろうか。人間よりもよほど魔法に優れているエルフたちに命を狙われたりはしていないだろうか。

 契約結婚であるから、エルフたちには周知されていることではないのかもしれないが、それだって隠しきれるものではないだろう。ハーフエルフという存在がいることから、エルフと人間が恋に落ちることがあるのも、子供を作ることが出来るのも理解している。一般のエルフならともかく、王族の世継ぎが人間との混血ということを好ましく思わないものは多いだろう。

 ノルティスの悩みは尽きない。


 それにしても、愛の女神ヴェヌスタを怒らせ、この国に不易をもたらさぬようにするための形式上の婚姻とのことだったが――どうにも最近、その言葉が怪しくなってきた。

 シルヴェニア卿の使いが「最近のベアトリス様のご様子です」と持って来てくれたのは、妹の絵姿だった。絵師を招いて描いたものではなく、魔力によって見たものを写し取る魔法具を使用して作られたもの。

 そこに写し取られた妹は、以前よりも美しく、輝いているように見えた。

 ああ幸せに暮らしているのだな、とほっこりしてしまうほど鈍くはない。あまり魔法について明るくなく、魔道具についても多くを知らない母は「ビー、楽しそうね。安心したわ」だの「年頃の娘は少し見ない間に成長してしまうものね」だのと言っていた。特に笑顔の美しいものを見ては「あらあら、こんなにキラキラしているビーを見るのは初めてかもしれないわ。もしかしてあの子、恋でもしたのかしら」と呑気なことを言っていたが……

 ――違う、だろうなぁ。

 ノルティスは複雑な心境でそれを眺める。

 この魔法具は、使用者の見たものをそのまま写し取る性質がある。すべてを的確にとらえることが出来なければ、背景が歪んでしまったり、手の形がおかしくなったりしてしまうものだ。完璧に使いこなすには、かなりの魔法の技術を必要とする。ベアトリスの美しさをちゃんと表現できているし、彼らの住んでいるアクルエストリアの手入れのいき届いた庭の様子も明確にわかる。が。

 ――キラキラしすぎだろう……これ。

 時折鏡越しに妹と話をすることも出来ているから、今の彼女の顔はわかっている。以前よりも笑顔は多く、幸せに暮らしているのだろうことは想像できたが、こんなに美しく愛らしく輝いてはいなかった。


「主人自らがお作りになったものです」

 

 と付け加えていった使いの男の言葉の裏を読めば、つまりはそういうことなのだろう。

 ――マクシミリアン・シルヴェニア……完全にビーに落ちたな……

 これは、完全に恋する男から見た愛しい女性の姿そのものだ。妹の周囲だけキラキラしていて、彼女だけが輝いている。どう考えたって、シルヴェニア卿はベアトリスをかなり愛しく思っているようにしか見えない。

 ――恥ずかしげもなくこれを贈ってくるというのは、どういう意味だ?

 契約結婚と言っていたのをやめにするという意思表明か。これからもずっとベアトリスを妻として愛するという宣言か。それとも、やっぱり娘に手を出すことになりそうだがよろしいか、という意味合いだろうか。

 どれも、ベアトリスがそれを望んでいるのならノルティスに異論はない。夫婦の問題に口を挟めるものでもない。しかし、ベアトリスがどう考えているのかがさっぱりわからないのだ。楽しそうではあるが、それは妻としての生活なのか、客人としての生活なのかも判断がつかない。考えれば考えるほどに頭が痛くなる。

 シルヴェニア卿に遊び人という話は一切ないから、その辺りは信用したいが、エルフ界においては遊びエルフだという可能性は否定できない。あの美形が、エルフたちにとっては唯一の王なのだ。好き勝手出来る立場にあって、さらに周囲も放ってはおかない。どう振舞っているかはわからない。


「夫婦とはいえ、契約だ。娘さんは綺麗な身体のままお戻ししよう」


 最初に本人が父相手に宣言していたようだが、感情というのはいくらでも変わるものだ。愛情を感じてしまえば、もしもベアトリスもシルヴェニア卿を憎からず思ってしまえば、清い身体のまま戻す、という約束が反故にされる可能性は高い。

 マクシミリアン・シルヴェニアはエルフとしてはまだ若いのだろうし、妹は言わずもがな。若い男女が夫婦として過ごしているのであれば、があっても不思議はない。いや、あの変に真面目な妹が「結婚したのですから、夫婦生活はあって当然です」などと妙な方向で暴走でもしたら。


 ――ベアトリスから迫られて、断れる男がいるか?!


 いや、いない。無理だ。あの可憐な妹を前にして、契約なのだから恋慕の情を抱くな、と言うのが土台無理な話だったのだ。


 ――わかってはいたが、あの魅力に抗うのはエルフの王でも無理だったか……


 どれもこれも全部、ベアトリスが愛らしすぎるのが罪なのだ。 

 ノルティス・イウストリーナは、重度のシスコンであった。

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