ベアトリスは挑戦してみた。
「お姉様は、シルヴェニア卿にお菓子を手作りなさったりはしないんですか?」
突然のミレーナの言葉に、ベアトリスはぱちぱちと瞬きを返した。
これは、まだベアトリスがエミリオから惚れ薬を飲まされる前のお話。食堂で昼食を取っていたベアトリスの正面に断ってから座ってきたミレーナは、そんなことを言い出した。
「手作り、ですか?」
エミリオは、王家の仕事があって今日は登校していないらしい。開口一番エミリオの不在を告げてきたミレーナは、もりもりとご飯を食べながら続ける。そんな彼女をソフィエルはいつもながらの苦い顔で横眼に見ていて、ベアトリスの隣に座っているアナベルは、聖女様のその旺盛な食欲に目を丸くしていた。
「お菓子でなくてお料理でも。お姉様の手作りなんて、シルヴェニア卿はお喜びになるのではないかと思うんですけど」
「私、お料理はしたことがないわ」
しかし、料理などしたことはない。ナイフなど食事の時に持つくらいだ。それにいつもキーブスの美味しいごはんを食べ慣れているマクシミリアンが、ベアトリスのつたない料理などを喜ぶようには思えない。
と、いうことで、通常の思考であれば挑戦しない。だが、マクシミリアンが喜んでくれるだろうという意見に、ベアトリスの心は揺らぎそうになる。
「ミレーナ様、公爵家の娘であるベアトリスが厨房に立ち入ると思いますか?」
ベアトリスが困惑しているのを見たソフィエルは、ミレーナにこの国の貴族についての知識を詰め込む。いや、この程度は当然知っていると思っていたのだが、隣国で育った彼女はあまりピンときていないようだった。
「貴族の令嬢は、厨房に入らないんですか?」
お菓子作りが趣味な方はいないのですか? と不思議そうに尋ねてくるミレーナに、アナベルも首を横に振る。
「おひとりもいらっしゃらないとは断言できませんけれども、高位の貴族令嬢でお菓子作りが趣味という方は存じ上げませんわ。私も、一人で生きていこうと思ってからですもの。自分でお料理の練習をはじめましたのは」
「アナベルは、お料理するのね?」
初耳だったようで、ベアトリスが興味を示す。
「ええ。とは言っても、簡単なものばかりですけれど」
「……私にも、作れるようなものはあるかしら」
「ベアトリスも、お料理に興味があって?」
「お料理というか――マクス様が喜んでくださるのなら、作ってみたいと思ったの」
私にも、できるかしら。
少し恥ずかしそうに、不安そうに呟いたベアトリスの様子を見てきゅっと唇をすぼめたミレーナの口を、ソフィエルが慌てて塞ぐ。注意しなければ、またミレーナの「お姉様とマクシミリアン様おふたりのご様子は、見ているだけで幸せになれますよね! 良いっとても良いと思いませんかソフィー様!」という黄色い悲鳴が飛び出すだろう。口を押えてくるソフィエルを見るミレーナの顔はちょっと紅潮していて、キラキラと輝いている目はなにかを期待しているようだ。
「ミレーナ様、淑女らしからぬお声を上げるのはおやめください」
こくこく、とミレーナは頷く。彼女を信用して手を離せば「シルヴェニア卿にお渡しした時のご様子、今度聞かせてくださいね!」と満面の笑みで言い出した。そんな風に言われては、基本的に他人の期待に応えたいという思考で動いているベアトリスからは、手作りしないという選択肢は消えてしまう。
了承してしまったがゆえにベアトリスはアナベルの家で料理に初挑戦することになってしまった。さすがに一人で訪問するわけにはいかないのでクララがついてきてくれたものの、彼女が手伝ってくれるわけではない。持参したエプロンをつけたベアトリスは、手を洗った後またしても困惑していた。
「これでも、お料理になるのですか?」
「なりますわよ」
シルヴェニア家から持って来て、と言われたフラーグのジャムの瓶を取り出すと、アナベルは自分の家で用意したチョコラペーストを並べる。
「では、塗りましょう」
「塗りましょう……」
アナベルは、薄切りにしたパンにショコラペーストを分厚く塗る。ベアトリスも真似をして、ジャムをパンに乗せ、広げる。ショコラペーストに対して、フラーグのジャムは果実がごろごろと入っているので均一に伸ばすのに苦労する。
「全体に塗れたら、巻いていきますのよ」
「巻……く?」
言葉通り、アナベルはくるくるとパンを巻くと薄紙に包み、可愛らしいリボンで両端を結ぶ。ベアトリスも同じようにしてみたのだが、パンを巻くまでは良かったものの薄紙で包むのが難しい。ショコラペーストは粘り気が強く、巻いていけばその形のままで止まってくれるのだが、果実がぼこぼこしているのとジャムの粘度がそこまで高くないせいで、ベアトリスの作っている方はきちんと押さえていないと巻きが崩れてしまう。
四苦八苦しているベアトリスを見たアナベルは「少しだけお手伝いしますわ」と紙を押さえた。パンが広がらなくなったところで、両端を捩じってリボンを結ぶ。蝶の形に結ぶのにも少し手間取り、アナベルのようにバランス良く結べはしなかったが、それなりの形になったのではないだろうか。
ショコラペーストのものも作らせてもらって、いくつか作っていくうちに巻きも上手になったような気がする。これならば、と満足した様子のベアトリスを見て微笑んだアナベルは「試食してみませんか」とお茶を淹れてくれた。
くるくる巻かれたそれはジャムのロールサンドというサンドウィッチの一種だという。巻かれているから食べやすい。しかし、1本を一気に口に入れるのは難しいので噛み切る必要がある。
「一口サイズにカットしても良いですわよ」
「その方が食べやすいかしら」
「女性であれば、そうかもしれませんわねぇ」
アナベルがカットしてくれたロールサンドを食べたベアトリスは「……これが、手作りと言えるのでしょうか」とまた難しい顔になる。不味いわけではない。アナベルの用意したショコラペーストも素材の香りが引き立っているパンも、もちろんキーブスが作ったジャムも問題なく美味しい。でも、これを持って行って「作りました」と言って良いものかと、ベアトリスは悩んでしまう。
「わぁ、旦那様きっとお喜びになりますよぉ」
くるくると巻かれた姿が可愛らしいですね、とクララは笑顔になる。食べる? と差し出されたそれをつまんだ彼女は「美味しいです、奥様が作られたものだと思うと、もっと美味しく感じますね」絶対にマクシミリアンは喜ぶはずだ、と太鼓判を押した。
「愛妻の手作りのものを喜ばない夫はいませんわよ」
「本当に?」
「ええ」
大丈夫ですわ! とアナベルに背中を押されたベアトリスは、小さな籠に出来上がったロールサンドを詰め込んでアクルエストリアに戻ったのだった。
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