クララは意外と読書家である①
クララというハーフエルフの第一印象を問われた場合、明るくてお喋りで人懐こい、というものが過半数だろう。場合によっては、少々落ち着きのないように受け止めるひともいるかも知れない。
しかしその実、新人メイドの教育係を任される程度には優秀であるし、本人に学ぶ気がないから魔法も多くを扱えないだけであって、魔法の才能がないわけではない。
自分自身への評価が低いところがあるのは、ハーフエルフとして幼い頃からあまり恵まれた環境にいなかったせいだろう。
エルフ族の中でも、クララの母の家系は特に純血を重んじていた。厳格な家訓を持つような、言うなればエルフの中の貴族のような立場の家柄出身だった。それが、ただの人間、しかも王族やら貴族やら有力な魔術師やらではなく、ただの農夫と恋に落ちてしまった。当然のように、クララを身籠った彼女の母は親族から追い出され、農夫の元に身を寄せることとなった。
人間の社会で生まれたクララは比較的人間寄りの性質をしていて、成長に関してもエルフのようにとても遅いわけではなかった。とはいえ、一般的な人間の子供と比べればその成長はゆっくりで、同じ年代に生まれた子供たちと比べて身体が小さいこともあり、からかわれることも多かった。
魔法についても、人間の真似をして生活していた母が教えてくれることはなく、後から思えば出生がバレてはいけないと思ったのだろうけれど、適正を調べることもさせてくれなかった。その結果、村の子供たちからは才能なしと悪態をつかれることとなった。
「笑っていればいいことがあるわ」
母の言葉は、クララの中に深く染みついている。どんなに生活が辛い時でも、母は穏やかに笑っていた。父と寄り添いあって生きていることが幸せそうに見えた。ただそれだけで、愛している人と共にいるだけで満足しているようだった。
まだ幼いクララに両親は「相手の笑顔に心を奪われたのだ」と口を揃えて言った。このひとの隣ならば笑って生きていかれると思ったのだ、笑っていられることが幸せだ、と。
両親が揃ってそう言うのだ。ならば、どんな時でも笑っていれば、そうすれば、いつかはきっと本当にいいことがある。好きな人と生きていかれるようになる。
言葉通りに受け止めた子供が母の言葉に忠実にすればするほど、どんなに難癖付けたところでいつも笑っていて気持ちが悪い、と言われて周囲から浮いていった。でもクララは、他に幸せになれる方法を知らなかった。
自身の出自について知ったのは、父が亡くなった後。生活にも身を寄せる場所に困って、笑えなくなった母が実家に頭を下げに行った時だった。
反省して帰ってきた娘を受け入れた母の実家は、しかしハーフエルフであるクララを受け入れてはくれなかった。エルフに限りなく近い身体と性質を持っていれば、少しは違ったのかもしれない。でもクララは、運悪く人間寄りのハーフエルフだった。しかも、幼い頃から魔法を使うこともしてこなかった。魔法は使えなかった。結果、クララは落ちこぼれと判断され、母の実家で使用人のように扱われていた。
母だけは優しかったが、ただそれだけだった。愛する人を失ってしまった母は笑顔をなくしてぼうっとすることが増え――そのうちにまた笑えるようになったかと思えば、愛する人を作って家を出ていった。愛していなければ、愛されていなければ、生きていられないひとだったのだろう。そして、その愛は幼い子供から注がれる量では、彼女が生きていくには足りなかったのだ、と思えば諦めもつく。クララは、母が迎えに来てくれるなどと期待することはなかった。
使用人として扱われていたクララだったが、母の部屋、そして母の書斎に入ることは許されていた。そこには、母が個人的な趣味で買い集めたらしき、人間の作家が書いた恋物語が多く集められていた。この家では下賤な読み物として廃棄されてもおかしくないような本。しかし、母はよほど愛されていたのだろうか。この本たちは、身内からはないものとされていたようだった。
――人間の書く恋物語に夢中になっていたから、人間と恋してしまったとは思わなかったのかな。
何度も読み返したのだろう開き癖のついてしまっている本は、どれもが人間とそれ以外の種族との恋愛物語ばかりで、特にお気に入りはエルフの王に愛される人間の少女の話だったようだ。
――エルフ族の王様と人間が恋に落ちるなんてこと、ないだろうに。
クララは、夢見がちな少女であることを許されなかった。人間は嫌いではない。しかし、関わり合いになると、お互いにろくなことにならないのも知っている。残されたものが悲しむ様子も、残していかざるを得ないものの葛藤や苦しみも、両方間近で見てきたクララにとって、そのエルフと人間の恋物語はまさに夢物語でしかなかった。
しかし、本を読むこと、それを読んで想像を膨らませることだけが娯楽であり、本の中の物語に没頭することは辛い日々から逃避する手段でもあった。徐々に恋愛物語のパターンというものも理解して……実際には起きえないからこそ、こうやって楽しむことができると考えるようになっていた。
そんなある日、エルフの族長が突然やってきた。母の実家は、上を下への大騒ぎだった。慌てて準備を整え、族長には見せたくないもの、つまり半端者であるクララは母の書斎から出ることを許されなかった。族長が訪問している間は、ずっとそこでおとなしくしているようにと言われた。
仕事を押し付けられることもなく、好きなだけ本を読むことが出来るのならこんなにいいことはない。嬉々として本の山を作って読書に没頭していたクララだったが、ふ、と知らない香りがすることに気付いて顔を上げた。
「それ、面白いのか?」
目の前に、見たことのないひとがしゃがんでいた。本棚にもたれかかるようにして床に座って本を読んでいたクララと視線を合わせるようにしながら、手の中にある本を覗き込んでくる。
「……どなた、ですか……?」
「ん? 私か?」
他に誰もいないだろうに、と思ったが、クララはなにも言わずに相手の返事を待つ。
「マクシミリアンだ」
「マクシミリアンさま……」
うん、と頷いたエルフ族の男は、流れるような長い銀の長い髪に、空を固めたような不思議な色の瞳をしていた。美形揃いと言われているエルフだが、その中でも際立って美しいのではないだろうか。長いまつげが頬に影を落としていた。
――あの物語の中の、エルフの王様みたい。
クララは男に見惚れる。人間の書いた物語の中で、人間の少女と恋に落ちたエルフの王。エルフは、人間たちからは金髪と蒼い目で表現されることも多いが、あの話の王様は銀髪に淡い水色の瞳をしていたのだ。整いすぎて恐ろしくも思えるほどの美形。まさに、目の前の人そのものだった。
「ほら、私はお前の質問に答えたぞ。そっちも答えたらどうだ」
彼は小首を傾げる。しかし、喋り方は物語の王様のように優しく甘くはなかった。
「この本、面白い、です」
「人間の書いたものだな。読めるのか?」
「はい」
ああ、もしかしたらこの家の人は人間の文字を読めなかっただけかもしれない。マクシミリアンの言葉から、本が処分されていなかった理由に思い至る。
「へぇ……どの国の言葉が読めるんだ?」
「ええと」
これと、これと、これが読めます、とクララは積んである本を指す。なるほど、と頷いたマクシミリアンは「それで? その本はどこがどう面白いんだ?」と重ねて聞いてきた。
「人間の、恋愛に関する価値観が、面白いと思います」
「ふぅん」
聞いておいて、さして興味の無さそうな返答をしたマクシミリアンは「お前、ハーフエルフだろう?」とクララの耳を指差す。またなにか蔑んだことを言われるのかと警戒したクララに、彼はにんまり笑った。
「純血主義のこの家だとやりにくいだろうに。どうだ、ここを出たいとは思わないか?」
「出ても、行く場所がありません」
「ああいや、そういうことを聞いているんじゃない。お前の意思を尋ねている。ここを、出たいか、出たくないか、だ」
そんなの、答えは迷うまでもない。この狭い社会で、いないものとして、価値のないものとして生涯を終えるのは、嫌だった。クララには、知りたいこと、経験したいことが山のようにあった。物語で読んだあれやこれ、全部自分で経験してみたかった。
「出たい……です」
「わかった」
ぽん、とクララの頭を撫でた男は、そのまま来た時と同じように音もなく消えてしまった。なんだったのだろう、と茫然としたのは数分。すぐに祖父が慌てた様子でクララを探しに来た。
「お前、さっさと着替えなさい」
「どうして――」
「無駄口を叩いている暇はない。着替えて、この鞄に入りきるだけの私物を積めて、家から出ていくんだ」
――え、なんで?
今日は、まだなにも失敗していない。ご飯を食べさせてくれと我儘も言っていない。なのに、なぜ。
混乱はしたが、ぐずぐずしていると怒りを買う。
――でも、出て行って良いんだ。
先程の男に聞かれて気付いたばかりだが、クララはこの家を出て世間を知りたいという気持ちを自覚していた。
――だったら、とりあえず後のことは路頭に迷ってから考えよう。お母さんだって、家を飛び出してはみたものの、たくさん困ったはずだもの。でもなんとか生きて行けていたもの。
彼女には父がいた。でも自分には頼れるひとはいない。不安はある。でも。
――物語の主人公たちも、実家を追い出されたあと自分の力で幸せを掴み取っていた。
あれは創作の世界で、ハッピーエンドが決まっているものだとしても、自分にもその可能性がまったくないわけではないだろう。彼女たちの生き方を参考にはできる。
メイドとしての仕事は全般叩き込まれている。まだ失敗することもあるから、人間の貴族の家は無理だとしても、ちょっと人手が必要になってきたくらいの庶民出身の商人なら、雇ってくれるかもしれない。
前向きにそう考えることにして、クララは家を出る準備を急いだ。
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