マクシミリアンは決められない
今日も今日とてマクシミリアンは悩んでいた。
目の前の飾り棚の上は、もう既に置き場がない。しかし、壁にまでこのコレクションを広げていいものかどうか。
ここ以外にまで置き場所を増やしたら、多分際限なく増えていく。そんなのは、自分でも充分に予想のできることだ。しかし、かといってここに置ききれる数だけにしようというのも、あまりに酷だ。
――うん。無理だな。
マクシミリアンは早々に諦める。
さて、ではどこに次なるコレクションを飾ろうか。壁? 壁ならばかなりの数を飾ることが出来るだろう。そうだ、特にお気に入りのものは机の上に飾ってもいい。そうだ、魔導師の塔の執務室にもコレクションを持ち込んで……いや、あそこに置きっぱなしにして誰かに持って行かれでもしたら激怒どころでは済まない。
誰でも入れる場所ではないし、信用のできる連中しかいない魔導師の塔とは言えど、なにがあるかわからない。コレクションを見て、彼女に岡惚れするような不届きな輩が出現しないとも知れない。さすがに自分の妻という立場の娘に手を出すような愚か者はいないと信じたいが、しかし恋というのは自分の感情ではどうしようもないものだというのも見聞きして知っている。
マクシミリアン自身は焦がれるほどの恋というものを経験したことはないが、周囲のものたちが恋に狂う様子は何度も見ていた。彼女がそんなものに巻き込まれるのは、この数年を無事に預かりきらなければいけない立場のマクシミリアンにとっては好ましくない。自分は、あくまでも彼女を保護しているだけなのだ。
妻として愛させてほしい、とは言ったが、手を出すつもりは毛頭ない。あまりにも愛らしくて堪らなくなって、つい抱き締めてしまったり膝に乗せて愛でてしまうことはあるが、あんなのは子供や愛玩動物に対する感情と一緒だ。
――可愛すぎて食べてしまいたい、というのはああいうことか。
マクシミリアンの同年代のエルフの中には、妻を娶って子を持っている者もいるし、相手が人間だった場合には孫までいる者もいる。彼らが「可愛い。食べちゃいたい」とデレデレしているのを、なにを言っているんだこいつは、といつも醒めた気持ちで眺めていたマクシミリアンだが、この数週間でその感情は理解できるようになった。
愛らしい存在は、腕の中に閉じ込めたくなる。誰にも触れられないように自分の元に常に置いて可愛がりたくなる。ちょっと触れた時の反応も信じられないほどに可愛らしいのだ。何度でも見たくなって、ちょっかいを出したくなる。
ペットや子供、孫を可愛がりすぎて煙たがられてしまった、嫌われたかもしれない、と悲観している者をみることは珍しくはない。彼らを反面教師として、彼女の迷惑にならない程度に構っているつもりだ。
抱き締めるだけで真っ赤になってしまう彼女のこと、口付けをしたらどんな反応をするのか、とうずうずしてしまうこともある。あの小さくて柔らかそうな薔薇色の唇に自分のそれを重ねたら、と堪らない気持ちになることもある。
――ああ、契約結婚をしたのだから、その時に誓いの接吻くらいしておくんだったか。
失敗した、と思いながら、絵姿の彼女の唇をそっと撫でる。
「旦那様」
「……コレウスか」
「それ以上増やしてはいけません」
「どうしてお前に指示されなければいけないんだ」
音もなくやってきて後ろから声を掛けてきたコレウスは、もう飾り切れなくなっているベアトリスの絵姿コレクションを、いつも通りの無表情で眺める。
――こいつ、どうしてこの愛らしいビーを見て、この無表情が保てるんだ?
どこか、なにか抜けているのではないかと疑いたくなるが、まあ彼女に対して変な感情を持ちそうにもないのは安心できる要素ではある。
「それは、奥様のご実家に送ると言って何枚も作ったものではありませんか?」
コレウスは飾り棚の一番手前に2枚並べておいてある小さな額を指す。
「そうだが?」
「旦那様は、奥様に嘘を吐かれるのですか?」
「なにを言っているんだ。そんなことするわけ――」
「では、早々にお送りください。いつまでも似たようなものをいくつも並べていないで、あれも、これも、どちらか選んでしまいましょう」
「いやお前」
似たものだって? とマクシミリアンはコレウスの言い出した言葉が信じられない。
どこからどう見たって、違う絵姿ではないか。
こちらは、視線がまっすぐにこちらを見つめている。コレウスが同じものと言い張る隣の絵姿は、少し眩しそうに目を細めている。
もう1つのクララたちと並んでいるものは、ひとつは少し恥ずかしそうに微笑んでいて、もう1つは穏やかな笑みだ。それに、こちらは髪がそよ風になびいているではないか。
あれもこれも、どれも全く違う2枚を指して「似たようなもの」とは。流石に目を疑いたくなる。さして年齢は変わらぬとはいえ、彼の方がいくつか上ではある。もしかして、目が悪くなっているのか? とその片眼鏡をじっと見る。
「目が悪いわけではありません。それぞれがまったく同じとも思っておりません。しかし、たいして差がないのだから、どちらかを選ぶべきでしょう、と申し上げております」
「いや、お前」
「先日、奥様のご実家にご連絡することがあった際に『旦那様が、ベアトリス様の絵姿をお贈りするとのことですので、近々お持ちいたします』とお伝えしておきました」
「は?」
「ですので、約束を違えないよう、早くどちらかを選んでください」
ほら、数枚減ればそれだけ新しいのが置けるようになるではありませんか。
コレウスは残酷なことを言い出す。
確かに、ベアトリスには実家に送ると言って何枚も同じ場所、同じ姿勢での絵姿を作っている。マクシミリアンだって、最初は本当にイウストリーナ家へ送るつもりだった。可愛い娘と年単位で離れて過ごさなくてはいけないのは辛かろうと思っていたのだが――しかし、いざ作ってしまうとどれもこれも自分の手元に置きたくなってしまった。
「お前、無理なことを言うな」
「無理ではありません」
「無理だろう! こんなに愛らしいビーのどちらかを手放せなどと――」
「本人は、旦那様の妻という立場で我が城にいらっしゃるではないですか」
「そりゃそうだが」
「実物をいつでも抱き締め愛でることが出来るのです。好きなことをすればいいではないですか」
好きなことをすればいい、と言われて一瞬脳裏に浮かんだものはあまりにも破廉恥で、マクシミリアンは慌てて首を左右に振って想いを打ち消す。
――ああなんだ。最近めっきりそういうのとは縁遠くなっていたから、さすがに溜まっているのか。
しかし、妻帯者である今、手頃なところで発散させるのは妻に対してあまりにも不誠実だ。しかし、かといって彼女を想ってということなど、穢してしまうようで絶対に出来ない。
「旦那様、そろそろ選んでください」
「もう少し待ってくれ。選んで、ビーの実家に贈るから」
「そちらもですが」
「うん?」
「……いえ、出過ぎたことを申しました」
申し訳ありません、と頭を下げたコレウスは三日以内に選んでください、と非情なことを言って部屋を出ていく。残されたマクシミリアンは、一番新しいベアトリスの絵姿を手に取った。
「あぁ、ビー……」
そこで微笑んでいる彼女は、この世のものとは思えないほどに愛らしい。
目に入れても痛くない。彼女の笑顔を守れるのなら、全世界を敵に回しても構わないとさえ思える。いや、実際に彼女を傷つけようとする存在が現れたなら、マクシミリアンは容赦しないだろう。自分の全力を持って叩き潰しに行くだろう。
人間の国が相手だろうがなんだろうが、彼女を守り切るだけの実力はある。歴代最高峰の魔導師の塔のマスターと呼ばれる存在であり、エルフの国の長なのだ。今この城の下にある人間の国の城の一つや二つ、指先1つ振れば消滅させられる。
しかし、妻を悲しませたくはない。彼女は人間で、育ってきた国への愛情もある。多少気に入らないことをしたからと言って、簡単に滅ぼしてしまうわけにもいかない。ルミノサリアとは契約もあるのだから、正当な理由なく攻撃も出来ない。
だが、漏れ聞いてくる話によると、例の元婚約者が愛する妻を煩わせているというではないか。
――目障りだな、アレ。
さっさと聖女と結婚してしまえばいいのだ。もうベアトリスとの婚約はとうに破棄したというのに、未だに幼馴染という立場で親しくしてこようとしているというではないか。
――なにが幼馴染だ。付き合いの長さ程度で私の上に立てると思うなよ。私の方が、あの王子よりもよほど深く彼女を愛しているんだ。
……もちろん、契約上の妻として、だが。
ベアトリスが自分の手元にいる間は、彼女を誰にも傷つけさせないつもりだ。この短い契約結婚期間が、彼女の人生において忘れられない日々になってくれたらいいと思う。ベアトリスの人生のうちの一部に、自分が刻み込まれるのだと思えば、それだけで胸が熱くなる。
――私が隣にいれば安心だ、と心から信頼してくれたらいい。その信頼は裏切らない。私は、あなたを……
絵姿の向こうから微笑みかけてくるベアトリスの唇に、マクシミリアンはまたそっと触れるのだった。
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