エピローグ



「わざわざ引っ越しの手伝いまでして頂いてありがとうございます」


「いえいえ、捜査のついでですから気にしないでください」


私がペコリと頭を下げると、若い警官が謙遜した風に答えた。


「こんなことになったのも俺達のせいだからな。本当にすまなかった」


その隣で、申し訳なさそうな様子の先輩警官。

この2人は以前私の部屋を調べてくれた警官達だ。

引っ越しのための荷物の運び出しも一通り終わり、今はマンションの駐車場で立ち話をしながら最期の挨拶を交わしているところだ。




…あの事件から数日後。

到着した救急車によって病院へと運ばれた私達はそこで治療を受け、なんとか無事に退院することができた。

私は軽い打撲や擦り傷で済んだものの、美希の方は脇腹を刃物で刺されたらしく、もう少し手術が遅れていたら失血死していた可能性もあると後から聞いて冷や汗をかいたものだ。

容体が安定するや否や、気を落ち着かせる暇もなく今度はこの警官達が病室にやってきて取り調べが始まった。

あんな恐ろしい出来事など思い出したくもなかったが、捜査の手前そういうわけにもいかず、私と美希はありのままの事実を話した。

…ただし、幽霊のことは除いて。

何故なら私自身は何も“視ていない”し、美希も刺された後は意識が朦朧としていた。

そんな曖昧で不確実な証言を付け加えたところで、余計な混乱を与えてしまい、捜査が遅れるだけだろうと判断してのことである。




何はともあれ、全て終わった。

こうして無事に退院して、あとはこのマンションから立ち退くだけ。


「あの後部屋を鑑識に調べさせたら、ベッドの下から犯人の髪の毛が見つかったと。つまりあんたが正しかったんだ。気のせいでも、幽霊なんかでもなかった」


気まずそうな先輩警官の言葉に、私は無言で苦笑いを浮かべる。

確かに犯人は生身の人間だったが、この警官の言う幽霊話もあながち間違いではなかったからだ。


「…でもどうやって窓から入ったんですか?ちゃんと鍵は締めておいたのに」


私の疑問に、今度は若い警官の方が答える。


「窓に細工が施されていて、外側から解錠できるようになってたんです。どうやら誰も住んでいない時期に犯人があらかじめ仕込んでいたらしくて」


「でもまさか、あんなところを壁伝いに隣の部屋まで来るとはな…」


先輩警官の方からボリボリと頭を掻く音が聴こえる。

私は実際にマンションの構造を見ていないので何とも言えないが、きっと頭を抱えるような無謀な行為だったのだろう。

若い警官も同調している。


「まあ自業自得でしょう。大雨の中そんなことをすれば、手を滑らせて当然ですよ」


「そうだな…。あと警官がこんなこと言っちゃまずいんだが、あんな奴死んで良かったよ。当然の報いってやつさ」


先輩警官の歯に衣着せぬ大胆な発言に、思わずうんうんと頷いてしまった。

荒々しい言動やタバコの匂いは苦手だが、こういうはっきりしたところは美希に似ていて何だか好感が持てる。


「早苗〜、まだ〜?」


先に車に乗った美希が、私を呼んでいる。

運転席で待ちくたびれたに違いない。


「それじゃあ、失礼しますね。不動産屋さんへの対応とか、色々お世話になりました」


「なに、ちょっと脅しただけさ」


「先輩、言い方…」


不動産会社からは引っ越し費用どころか、少なくない慰謝料まで貰えた。

それもこの人達の“口添え”あってのことだ。

きっと私だけなら都合の良いように丸め込まれて泣き寝入りするはめになったであろうことは想像に難くない。

私が再度お辞儀をして白杖で地面を叩きながら車へ向かうと、若い警官の足音が素早く先回りしてドアを開けてくれたのが分かった。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


親切に甘え、助手席に乗り込んだ私はシートベルトをつけ、背もたれに体重を預ける。

既にかかっているエンジンの振動を背中に感じ、リラックスしてホッと息を吐いた。


「………」


しかしどうしたことか、警官が支えてくれているはずのドアは一向に閉まる気配がない。

てっきりそのまま閉めてくれるのかと思い込んでいたが、もしかして私が閉めた方がいいのだろうか。


「あの…ドア、閉めても大丈夫ですか?」


「…あ、ああ!すみません、すぐに閉めますね」


何かに気を取られていたのか、警官はそう言って慌ただしくバタンッとドアを閉めた。


「もう大丈夫?終わった?」


運転席から、美希が私に問いかける。


「大丈夫。全部終わったよ」


私が笑顔で返すと同時に、車はゆっくりと走り出した。

どこかで聴いたことのあるような流行りの音楽と、初夏を思わせるほどに蒸し暑い温風、それに濃厚な石鹸の香りを車内に漂わせながら。







…走り去る車を見送っていた先輩警官は、車が駐車場から出た途端、おもむろにタバコを取り出してライターをカチカチと鳴らす。


「さて、今日はこれで帰るぞ。さっさと報告書を書いて終わりにしよう」


返事はなかった。


「?」


タバコを咥えながら訝しげに振り向くと、若い警官がずっと車の後ろを目で追っているではないか。

その目つきがどうにも気になり、首をかしげる。


「ん、どうかしたのか?」


「…先輩。事故物件って、一度でも誰かが入居した後は告知義務が消滅するのって、何でだと思います?」


いつまでも車から目線を外さぬまま唐突にそんなことを言い出す相方を不思議に思いつつ、空に向かってフーッと豪快に煙を吐く。


「さあ…、考えたこともなかったな」


もうもうと白くけぶる濃密な息が一瞬の内に風に流され消えていくのを眺めながら、空返事。

対して若い警官の声色はただならぬ気配を漂わせ、ずしりと重い。


「…部屋から出て、ついて行っちゃうんですよ。次の住人に」


「………!」


先輩警官の口から、火のついたタバコがポロリと落ちた。






亡者の一室  了

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