プロローグ④ まさに、春のイントロのような────

「いらっしゃいませー」

入口をぐぐると、か細い挨拶に迎え入れられ、新しい世界を目の当たりにした。


胸に熱い感情が湧き上がるのと同時に、ツーっとむせ返るような甘酸っぱい臭いに、思わずシワが寄る眉間。


一方、後ろから着いてきた妹は「うわー。 ここがェロゲーのあるお店かー」と、目を煌めかせていた。


まあ、エロゲーはあくまでこの店の一部なんだけどな。


それにしても、こういう店に来たの初めてなだけに、いきなりR18コーナーにいくのには少々抵抗があるな。


よし、先ずは健全コーナーに目を通して、この店の雰囲気に慣れておこう。


「ど、どこから見ようかな」


そう逃げ腰で呟くと、妹に「ェロゲー……買うんじゃないの? ほれ。 あの、じゅぅはちっ……って、書いてるとこ、行くよ!」

と、エロゲーがある場所の目印らしき所を、しなしなとした指で探し、R18と記された暖簾を見つけると、「あれだ!」と指し示す妹。

そして、俺は腕を引っ張られた。


重い荷物のように引きずられながら心の抵抗も虚しく、R18の暖簾をくぐらされる。


すると、ピンク色の景色が広がった。


周囲の匂いも、若干フローラルになものに変わった気がする。


流し目で商品を見遣ると、陳列されたサキュバスに妹……エルフに人妻モノのパッケージたち……


家以外の場所で見るエロゲーイラストに、むず痒さと感動を覚えつつも、驚きの叫びを心で上げる。


なんだここ、天国か!?


カオスに呑まれてアガった心は、つい、もしここを貸切に出来たら、感動で涙を流す自信さえある! なんて意味の分からないことも言い出した。


「ェロゲーコーナーはここかな」


少し俺を引きずり歩くと、妹がそう言って立ち止まる。


親近感すら覚えるエロゲイラストに囲まれていたからか、心の中で盛り上がって気が抜けたからか、両方だろう。

慣れない店の雰囲気に、ほんの少し落ち着きを取り戻しつつある俺は、ふと冷静になった。


そういえば、咲、家ではエロゲーって単語を聞くのも恥ずかしがってたけど、こんなとこ来て大丈夫なのだろうか。


ある事を思い出して、そう思いつつ妹を見ると、どうやら様子がおかしいようだった。


顔が赤くなっている。


「こ……こぇが……エロゲ……」


「だ、大丈夫か?」


動揺しつつ俺がそう聞くも、聞こえていないのか、妹はそのまま小さな声で続ける。


「ぉっぱぃ……に、ァソコ……ゎぁ……」


頭から湯気が出ている。 てっぺんの黒い玉ねぎが蒸し上がりそうだ。


すると、妹は突然「やっぱエチィのは無理ぃー!!!」と叫び声を上げて、r18コーナーから出ていってしまった。 回転力が凄すぎるがあまり、脚が車輪に見えた。 ひょっとすると俺のクラスのエースより早いのでは……


そう驚きと動揺を抱きながら、いや、でもそうか。まぁ……そうなるよな。


なんてことを思うと、同時に今まで無理をさせてしまった、と少し気の毒に思えた。


──────もう帰るか、咲も逃げ出した事だしな。

あと、気遣わせたことは謝っておかないと、てそれは咲に失礼か。

でも、今から一人で探しても、結構待たせる事になりそうだしな。


よし、咲には『ここには欲しいエロゲーが無かった』と言って、誤魔化して……買うのはまた次の機会に。


そう、自分に言い聞かせるように心で呟いていると、二件のLINEが。


妹か。内容は『エロゲーは、お兄ちゃん一人で買ってきて。 私はちょっと外の空気吸ってくるから』『あと、急に逃げ出してごめん! 』だと。


あ……そう来るかー。


なんか先手を打たれたような気持ちになった。


ここまで気遣わせて、確かめもせずに無いから買わずに帰るって言うのは、かえって咲に対して失礼では無いのか……。


それこそ、咲の勇気に傷を付けるような……。


クソ馬鹿かよ。俺。


急いで探すか。


踵を返すと、俺は再びエロゲーコーナーに陳列された商品を眺める。


棚が三メートル程の範囲で助かった。探しやすい。


しかし───迷うな。


まぁ何も決めずに来たからな……。

こうなるんだったら、事前に調べてリストでも作っておけばよかった。


苦い後悔に拳を握りながら、良さそうなエロゲーを探していると、今度は人の歩く音が聞こえてきた。


近付いてくる……。


店の雰囲気には慣れてきたが、人への耐性はない。


何より、自分の好きなものを眺めてるという状況だから、余計に緊張してしまう。


早く逃げだしたい。 そんな思いを胸に俺は、エロゲーを探す目を早めた。


その時、その歩く音がすぐ隣にやって来た。


脂汗が背筋を伝うのを感じながらも、きっとそのまま通り過ぎる、通り過ぎてくれ! と念じた。



けれど、その歩く音は俺の隣でピタリと止まる。止まってしまった。



どうして隣に……。いや、よく考えればここは店だ。 そして俺は客。 客が店の中で商品を眺めるのは当たり前のことで、そんな客を気にする人は、いないと……思う。


つまり、隣に来た人は、俺の事なんて特に気にしてなくて……

普通に商品を探しているだけだから……



俺も気にしないフリをしないと……自意識過剰なキモイやつに……



なんて言い聞かせつつも、やはり気になってしまう。



俺はつい、隣の人を横目で確認してしまった。


そして、その隣の人の姿を視界に捉えると俺は、仰天する。


なんと、そこにはコートを身に纏う金髪美少女がいたのだ。


え……女の子!? それも金髪の……美少女……って……どういうこと!?


サッと視線を元に戻す。


ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!

緊張し過ぎて心臓がヤバい。

見なきゃ良かったわほんと!


あー! ヤバい今すぐここから逃げ去りたい……!


そうテンパりながら、いや、でも急にこの場から去るのはおかしいよな。

何よりなんか避けてるみたいで、傷付けるかもしれないし。 避けられたって。

過去に避けられて傷ついたことあるから分かる。

あれは辛い。


て、いやいやいやいや! この子俺の事なんか一ミリも気にしてないだろ!!!


だから寧ろ、この場から逃げ出したら『え? 何逃げてんの? もしかして、私を気にして? 自意識過剰かよ、私はちっとも意識してないっての』みたいな感じでキモがられそうだけど!?


こりゃどっちにしろ、動けないな。 て、さっきから俺何考えてんだよ!

咲待たせてるだろ! 早く選んで買うんだよ!


そうすれば解決だろ────


「あの」


「え?」


俺の心の中での早口は、突如として、鈴を転がすような可愛い声に掻き消された。


そして、思わずマヌケな声を出した俺に、少女は続ける。


「あなたも、ラブフレを買いに来たのデスカ?」


え……


思いがけない少女の発言による衝撃で当惑しつつ、そのカタコトな発音に新鮮な気持ちが芽生える俺の心。


そして少女に目を向ける。 するとまた衝撃を受けて硬直した。


この子……海外の子!?? 目鼻立ち整い過ぎて人形みたいだ。


「あの、実は私……ラブフレを買うために……オニーサン? キコエテマスカ?」


「ああ、うん! そうです、買いに来ました! はい!」


覗き込み、眼前で手を振る少女。

心の声が再び掻き消されると、動揺のあまりめちゃくちゃな返事をしてしまった。


が、それが功を奏したのか、少女は、ニッコリと目を細めてはにかむ。


たんぽぽみたい───


そのとき───俺の双眸を掠めたのは、まさに春のイントロのような、麗らかな気配だった。

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