プロローグ③ 初エロゲへのマーチ

鉛のような溜めを意に返さず妹は訊いてきた。「先ず、お兄ちゃんって何か、素の自分になる前にやりたいこと、みたいなのはある?」


「やりたいこと?」


「うん。 やりたいことがあれば、嫌なことあっても強くなれると思うし、何より夢中でいられるかなって。 

ほら、現実イヤな事ばかり考えがちじゃん。

その点、夢中でいればその時だけ、イヤな現実を忘れられる。 それは、楽しいし、幸せな事でもあるんだよね。


お兄ちゃん、幸せな人は、強いんだよ


で、改めて聞くけど、やりたいはことある?」


きっと妹は、サッカーを通してそう思ったのだろう、言葉に実感がこもってると感じたからか、説得力があるように思える。


俺は、つい『おー』と、心で喝采した。


とはいえまあ、無いから今こうなってしまってるんだけど……と沈みつつ一応。


「うーん」


考える人のような雰囲気で顎に手をやり、やりたいことはあったか? と、脳内検索をかけてみる。


すると、ふと、さっきまでしたいと思っていたエロゲーが頭に過ぎった。


いや……これは流石に言えないな。


「なんでもいいよー」


ウキウキとした様子の妹。


エロゲー以外で、何かしたい事は……

彼女作るとか、エッチとか、結婚とか、好きな人と一生を添いとげるとか……


なんでこんな恥ずいワードばっか出てくるんだよ……!


まあ、それ以外、考えたことないからなんだろうけど……


俺は普段、自分の将来や、やりたい事ではなく、好きな人と結ばれることを前提とした、荒唐無稽で華やかな人生(r18)を妄想している。


無論、考えることもその妄想に付随する都合のいいものばかりで。


というかそもそも、エロゲーが欲しいと言ったのも、元を辿れば妄想のシチュエーションを増やす為(あとオカz……)だし。


けど……一応、でも。 念の為に、でも。 

他の事も考えておけば良かったな。


「お兄ちゃん、もしかして出し渋ってる?」


「ギクッ!?」


後悔の念に苛まれていると、妹が覗き込むようにこちらを見据えてくる。

何その目……俺の全てを見通してくるような透明感のあるその目は……!


怖い……!


すると、妹は畳み掛けるように「やっぱり」と言い放つ。


「い、いや、渋ってる訳じゃ……」


咄嗟に言い訳を探すも、あたふたとかえって怪しい雰囲気を醸してしまう。


すると、妹はまた痺れを切らしたといった風に呆れた口調で切り出した。


「じゃあ、私の言い難いエピソードをもうひと────」


「わ、分かった! 言うから……」


咄嗟だったため、声が上ずってしまったが、もう妹に、言い難いことを打ち明けさせない為にもと思うと、口が動いていた。


もうあんな恥ずかしそうな顔で頑張る妹を、見たくない。申し訳なさと自身への嫌悪感でおかしくなるから。て、この文言もんごんちょっといやらしくないか?……て、おい。


しかし、妹のやつ味を占めやがったな?


「次は無いよ?」


「おう……」


妹は再び目をクリクリとさせながら俺の言葉を待っている。


もう、どうにでもなれ……!


「……ロゲ」


「ロゲ?」


「エ……ゲ……」


「なに? よく聞こえない。 もっと大きな声で……」


「エロゲーだよ! 俺は、エロゲーがしたいんだよ!」


俺は、ヤケになり大声を上げた。


キョトンとした表情を浮かべ「へ?」と、マヌケな声を零す咲。


「……なんだよ」


綺麗な目をぱちぱちとさせ、どこか困ったような反応を見せる妹につい、ふてくされたような反応をしてしまう。


「え、エロゲー……エロゲー? エロゲ……。 エロゲ!?」


その言葉を咀嚼するや、ぽっと顔を爆発させる妹。

髪が数本跳ねているのが見えた。


「そ、そうだよエロゲーだよなんだよ! てかなんだよその反応! こっちも恥ずくなるだろうがよ!」


咄嗟に謎の強がりを見せる俺に、頭から湯気を発しながら「そ、そんなの知らないよっ!」と語気荒めに返す妹。


続けて、ふにゃふにゃとした声で「で、でも……そうか、お兄ちゃんエロゲーがしたいのか……そうか……」と、どこか自身に言い聞かせるように呟いている。


もはやその瞳は宇宙を煌めかせていた。


そして、今までに見たことがない反応を見せる妹に、より強い動揺を覚える俺。


「……」


動揺のあまり、俺は言葉を失っていると、今度はペチペチと自分の頬を両手で挟む妹。


「何……やってるんだ?」


すると、妹はよし! と震えた声を出し、続けて「やりたいって事は、まだ買っては無いと思うんだけど……買えるだけのお金はある?」と聞いてきた。

うるうるとした目に、左右の頬にはモミジが付いている。

その様子が、あまりにも可笑しくてつい吹き出しそうになるも何とか堪えて質問に答える。


「まぁ、あるにはあるが……なんだ?」


「じゃあ今から、買いに行こっか」


「え?」


俺は再び、妹の突飛な発言に驚かされた。


つい「いやいや何言ってるの?」と、ツッコんでしまう。


「今からその、エロゲ……を買いに行くんだよ」


エロゲーって単語だけやけに小声だな……

ってそこじゃなくて。


「え、いやいやいやいやそれは無理でしょ、俺たち未成年だし、てか、そもそも結構遠いぞ!?」


「徒歩でどのくらい?」


うそ徒歩で行く気かよ……


「まあ、チャリで一時間ちょいだから、だいたい二から三時間くらい?」


困惑しつつ、家から一番近いエロゲ売り場までの距離を答えると咲は再びニッと、はにかんだ。


「じゃあ、私準備してくる。 ママには私の練習に付き合ってもらうって言っとくから」


「え?」


「お兄ちゃんも準備済ませといてねー」


「いやいやいやいやい……」

すると咲は、俺の言葉を聞くこと無くそのまま部屋を後にして階段を降りていく。


……参ったな。

もし行ったとして、知り合いにでもバレたら……不審者や警察に目をつけられでもしたら……お互いタダじゃ済まない、というのに。


ほんと、どんだけ無理すんだよ……。


自主練の時間を使ってまで……。


こんなダメ兄貴の為に……。


これが行動力の化身か……今回に限っては悪い意味だけど。


そう思いながらも、心の底には少しばかりのワクワクが芽生えており、『俺は、愚かな兄だ。 誰か殺してくれ……』と、思う遥斗であった。



「お! お兄ちゃん! 準備出来てるね! じゃ、行こっか」


「おう」


まぁ……? 練習付き合ってもらってる事になってる以上は、仕方ないが……? なんとも不思議な感じだな。


こうして、愚かな兄である俺と心優しき天使のような妹は、ジャージ姿でエロゲーのある地へと赴く事となった。


いぶかしげに物珍しいモノでも見るような目を向けてくる家族に「行ってくる」と挨拶をすると家を出る。


妹がはにかんだ。


「お兄ちゃん、久しぶりだね。 一緒にゲーム買いに行くの」


「ああ、確かに」


そういえば、こうしてゲームを買いに行くのは三年前だから、中一以来だな。


あの頃は、テレビゲームにハマっていて三ヶ月に一回は、カセットを買いに出掛けたっけ。


それも一度に貰える小遣いが少なかったから、家事やお風呂掃除を手伝う事で、貯金していたな。


ただ、中学二年に入ってからは、ゲームを殆どしなくなったから、貯金はだいぶ出来てると思う。(現在の貯金額1万9千円)


「ワクワクするね」


そう、にこやかな笑顔を星が煌めく空へと向ける妹。


それに「そうだな」と、苦笑いで返す俺。

歩き始めて十五分が経つ頃には、もう不安でいっぱいだった。


車や自転車、歩道を歩く人、走る人々が行き交う、騒がしくも綺麗な9時頃のバイパス沿い───


勢いで来てしまったけど、よく考えたらだいぶヤバい状況じゃないのかこれ!?

ジャージを着た未成年の兄妹が二人で、補導時間ギリギリの街を歩いている。


それに何より、これから二、三時間歩くとすれば帰りはおそらく早くても深夜二時頃……普通に、いやめちゃくちゃにマズいんじゃないか?

今更だけど!!!


というかそもそも咲の自主練、長くて二十二時には終わるよな!?


家に帰ったら絶対に怒られる。


説教百時間コースは確実か……!?


ここは、言わないといけない。 人として。 今更だけど。


「おい、咲、補導時間ギリギリなのもそうだけど、この調子だと家に着くの夜中の二時過ぎとかになるぞ……流石に危険じゃないか?」


「大丈夫! お兄ちゃんいるから! それにここ結構治安いいし」


「いや、俺は頼りにならねぇよ。 それに治安は良くてもな……もしもって事があるだろ。

なにより、お前、この時間っていつもは自主練じゃなかったか? 俺とエロゲー買いに行くのに使って良い時間だとは思えないが……帰りも自主練より二、三時間は遅くなるし」


すると咲は、「良いの! お兄ちゃんビビりすぎー」と茶化した後、にこやかな表情で「それに、この時間は無駄じゃない。 これからお兄ちゃんがエロゲ……デビューを迎えるんだよ? 貴重な時間じゃん」と答える。


「……そうか」


いや、こりゃ聞かないな。テンション上がってるし。

妹は、テンションが上がると子どもっぽくなると同時に、周りが見えなくなる。


一見して、危うげに思える性格だが、同時にそこが可愛いんだろうなとも思ってしまう、厄介なことに。


というか、そんなことで貴重とかサッカーへの情熱はどこ行ったんだよ。


罪悪感と複雑な気持ちが膨らんだ。


が、妹は「てのは冗談で、いやホントではあるけども」と、前置きして続ける。


「お兄ちゃんは、昔と違ってかなりのヘタレだからさ。 こう無理やりにでも連れ出してやらないと、ダメだと思ったんだよ。


ね。 今日はこの瞬間に身を任せてパーッと楽しんでみない? 今まで色んなモノしまいこんで辛くなってるんだったら、尚更!


大丈夫、大体の人は面倒事を嫌うから、案外大目に見てくれるよ。 ほら、手と脚を大きく振って」


妹が一歩前に踏み出すと、こちらを覗き込むように見上げて、はにかんだ。

妹の背中を照らす信号機に車の光。


それで丸め込めるようなものじゃないんだけどな……。


でも。 きっと、妹なりに俺を見ててくれたんだな。

瞼がじんわりと滲む。


どれだけ前向きで兄思いな奴なんだ……


よし、止めるのは無理だからせめて、守ってやろう。 たとえこの身が滅んでも。


その時、ふとある思いが浮上した────そういえば、昔は俺も結構前向きな性格してたっけ。


一昔前のことを思い出す。


小学3年から中学一年生の頃────


元々俺は物静かな人間だった。

教室の隅の席に座りただボンヤリと、グループで談笑するクラスメイトを眺めるだけの。

妄想癖を除けば、今の俺と大差なかったと思う。

そんなある日、俺は皆と喋ってみたいと思うようになった。どうしてそう思ったのか、何をきっかけにみんなと仲良くなれたのかまでは、覚えていないが、ただ、朝の会であるスピーチで思い切った一発芸をしてみたら案外、好感触だったのはよく覚えている。


あれから俺は、ムードメーカーになったんだろう。


それからの日々は夢のようで。


色々な遊びに誘われたり、話の輪に入れてもらえたり……


物静かだった頃の俺からして全てが新鮮だった。


ただ、それは中学二年の夏に終わったんだ──


理由は分かってるけど、今こうして改めて考えてみると思う。 どうしてこうなったんだろうなと。


「お兄ちゃん、もうすぐ着くよー」


二時間ちょっと歩いたところで、妹が未来書宝と刻まれた大きめの店を指さして言った。


「やっとか、足疲れたなー」


「たるんでるねー」


そういえば、運動会と体育を覗いてまともに運動したのは、もう三年も前か。


俺は「そうだな。これからはこまめに運動するか」と返しておいた。

すると妹が、「お! 全力で協力する!」と返してきたから軽く礼を言った。


それにしても、二台と思ったより車が少なくて安心するな。


「いざ、入店」


咲は、店の入り口前で、そう促してくる。


「な、なんだよ」


どうやら、エロゲー初購入記念の日だから、先に入店して欲しいということらしい。


よく分からないが、じゃあお言葉に甘えてと言って、俺は入店した。

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