第57話 note版『創作大賞2024』に思うこと
最近、日課となっていることがある。
それは、『創作大賞2024』の応募数をチェックすること。
現時点で56,000件を突破している。いったい、どこまでいくのだろう。
私が最初に見た時は、確か32,000件くらいだった。
「もう、40,000件突破か」「おいおいおい、50,000件も突破だよ」
ってな感じで続々増えていっている。
ちなみに6/3の時点で、Xでのnote公式発表では、総エントリー数、18,599。エッセイ部門だけでも、9,167。
なんでチェックしてるかというと、そりゃ「エントリーしようかなー?」って思っているから。
今のとこしてないけど。
なぜしてないかと言えば、まず、この膨大な応募数。
萎える。
もし応募したら、私のことだから、「案外?」「ひょっとして?」というスケベ心が出て、発表までどこか気持ちの落ち着かない日々を送ってしまうのは、目に見えている。
「今年の創作大賞エッセイ部門は、カナダのおかんさんです!」「ええっ? 私? 想像もしてませんでした〜」
なんて、妄想しながら。
いや、まだ、応募さえしてないんだけど。
しかし、何度もいうようだけど、私が書く記事は、感動を与えるわけでもなく、ホロリとさせるわけでもなく、まして、有益な情報などでは絶対にない。
でも同時に、「いいじゃん、いいじゃん。出すだけ、出してみりゃ」と言う心の声も聞こえてくる。
たぶん、こう考える人も多いのだろう。
エッセイ部門、現在32,000件の応募。
多すぎぃ〜。
他が2,000件くらいなのと比べても、群を抜いてる。なかにはニュースの切り取りの記事みたいなのまであって、もう不毛地帯と化している。
おかげで応募作品の中から「これ!」と思った作品をレビューしてみようかと思ったけど、多すぎて選ぶこともできやしない。
そして、実際のとこ、この何万もの記事、note側はぜんぶ読むのだろうか?
まあ、実際に選別する段階になったら、スキの数とかフォロワー数とか、note編集部なら見れるであろう、ちゃんとしたPVとかのデータを使ってある程度の足切りはするんだろうけど、それにしたって、多すぎないか?
でも、このnote側の姿勢って、よく言われる「noteのビューはページビューじゃない問題」、つまり「画面に映し出された数で、読者がそのページを読んだ数じゃないよ」っていうあれと同じ構造なのではないかと。
X(旧ツイッター)が確か、同じ形式でビューのカウントしてる。まあ、Xだと基本140字までだから、その方式でもギリOKかなと思うけど、サムネが画面にでただけで、1カウントっていうnote方式は、ちょっと強引すぎるわ。
ビュー数に関しては、正式なページビューだとあまりにも少なくなって、作者の気持ちが折れて投稿をやめちゃうから、こういう形式にしてるのではないか?という話をどこかで読んだ。
要は、大きな数を見せることで、モチベーションをキープしてもらいましょ、っていうことらしい。
でも、それって諸刃の剣で、それは、ちゃんとしたページビューが隠されてしまって、がんばって投稿してビューが伸びたとしても、実態がわからないから、いつまでもモヤモヤしちゃう原因になるという面もある。
この創作大賞も、「何万人のエントリーがありました!」「何万人のエントリーの中から選ばれた〇〇!」
みたいに花火をぶち上げたいんだろうけど、認知されるまでの最初の数年はそれでいいとしても、どこかで、舵を切ってきちんと制約をつけないと、賞そのものの品位というか、そういうのができてこないんじゃないのかなあ。
まあ、エッセイとオールカテゴリで、応募の大半が占められてる現状じゃ、難しいか。
まあ、エントリーする側が、一人当たりどれくらいの数、応募してるのかわからないけど、過去の入賞作品読む限り、やっぱりかなり作り込まれてる。だから、「数撃ちゃ当たる作戦」より「一球入魂作戦」の方が良さそうなのは間違いない。
「まあ、ぐだぐだ言ってないで、とりあえず出せよ」
って話なんだけど、いまだに重い腰を上げられない自分を、すっかり棚に上げてグチグチいってみた。
〜終わり
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