第2部 第33話 敵も味方も

 大混戦中の城内にリヒャルトの声が届いているわけはなく、クラウスとマリーが塔から下りると、騎士たちの怒号や剣の打撃音が城内に響いていた。


 負傷した騎士がよろけて、クラウスに寄りかかる。肩に手をかけるとそのまま崩れて、足元に倒れこんだ。気を失っているだけか、死んでいるのか、わからない。


「ひぃ」


 初めて戦に臨場したマリーは息を呑み、思わずクラウスの鎧に手を添えた。視界のいたるところで人々が殴り合っている地獄のような光景に、マリーは目を伏せた。しかし階下には砕かれた調度品や大剣、人々の体がいくつも横たわっており、裏手の森から持ち込んだ泥と血が交じり合って、侍女たちが毎日磨いている美しい床の大理石を汚していた。


 大広間には人々の吐息と汗と闘志が混じり合って、生ぬるく、嗚咽を誘う獣じみた匂いが立ち込めている。山側の扉が開いていて、冷たい外気が中に吹き込んでくるが、それでも大広間に滞留している空気は重く、濃い。


 城砦(ブルグ)として名高いツァイムの城は乱戦にも耐えられる頑丈さを誇るが、その光景は、平和な世に城館(シュロス)として生活していた者の心を打ち砕いた。


「マリー様、私から離れないように」


 さすがのマリーも、クラウスに従った。後ろには、追いかけてきたテオとイレーネが、隙間を開けぬようにぴったりとくっつく。


「ここを抜けます。私たちに任せてください」


 兜をかぶり、クラウスが歩み始めると、興奮した騎士が細い剣を振り回して襲ってくる。マリーが目をつむると殴打音が聞こえて、足元に何かが重くのしかかる。マリーは人の体だとわかりながらも、足で押しのけた。


「走れ」


 テオの一言を合図に、四人は人込みの中を駆けだした。戦う人々の背中を押しのけて、相手の騎士が交わした剣をクラウスが受けながら、少しずつ進む。イレーネはマリーの肩を抱き、周りの騎士との衝突を避けながら、クラウスに必死で付いていく。殿(しんがり)を務めるテオは、体を横にし、左手でイレーネの肩をつかみながら、隊列に死角が生まれないようにと後方に目を光らせる。


 大広間を縦断しようとしても、女性二人を護りながらでは、なかなか進まない。クラウスが苛立ち始めたところ、後ろから「テオ!」と怒鳴り声が上がった。


「貴様なぜ、敵軍の者と行動を共にするのか。先ほどから見ていたが、合同軍の者も、ツァイムの者もお前だけを攻撃しないのはなぜだ」


 声を掛けてきたのは、カレンベルグ家の次男、アイテルだった。


「厄介な奴につかまった」


 テオが舌打ちをして、「行け」とイレーネの背中を軽く押す。


「俺は合同軍として戦に勝ち、このツァイムを手に入れる」


「馬鹿な、正気か。父上の言葉を忘れたのか。兄弟から裏切り者は出さん、今すぐ私と闘え」


 カールほどの屈強さはないものの、アイテルはその「輝く剣」という名の通り、ツァイム騎士団一の剣技を持ち、不敗を誇っていた。「のけ」というアイテルの一言に、周囲の騎士たちは体を引く。


 テオが剣先をアイテルに向けると、アイテルも剣を構えた。アイテルが率いる師団員が隊長の決闘を邪魔しないようにと、円状に二人を取り囲んでいく。


 マリーが見えたのはそこまでだった。すぐにその円を他の騎士たちが囲み、アイテル軍とやり合う様子が遠くに見える。剣と剣がぶつかり合う音がするが、それがアイテルとテオのものかはわからない。


 マリーは心の中で祈ろうとしたが、どちらか一方を応援するなんてできない、「ご無事で」なんて無責任なことも言えない。もはや何を祈って良いのかさえ、わからなくなっていた。もう戦は終わるはずなのに、敵のクラウスと共に、味方の騎士を踏みつけている。自身の足場がふわふわと浮いて、今にも崩れ落ちそうなのだ。


 マリーの祈りが通じたのか、城の警鐘がカンカンと大広間に鳴り響き、敵も味方も何事かと上を見上げた。鳴りやまない音に困惑が広がると、正面の大扉が開き、冷たい外気が一気に流れ込んで、朝霧で濡れた唐桧のみずみずしい香りが人々の鼻腔をくすぐった。


 そして扉の向こうにいる、ツァイム領主ウルリッヒとリヒャルトの姿が視界に入った。


「戦は終わりだ!」


 後ろにはフィアーツェンの騎士が火縄銃を構えている。その姿を見たからか、大広間にいた騎士たちは自然と剣を下ろし始めた。


「リヒャルト!」


 マリーが飛び出そうとすると、クラウスに腕をつかまれた。強い、男の力でまたもや背後に引き戻される。


「マリーを放してもらおう、クラウス=フォン=アインホルン」


 ウルリッヒは威厳ある態度で、若騎士に迫った。外はもう夜が明けているようで、朝日の光が尊大な領主の背後から見える。


「戦はやめない。マリーも渡さない、私の妻となるのだ」


 リヒャルトが一歩踏み出すと、ウルリッヒが手で制して、呆れ顔で首を振った。


「これでは話が進まない」


 領主が大広間に歩みを進めると、その気迫に圧されたのか、クラウスの後ろで騎士たちがそれぞれ武器を床に投げ出した。中には気が抜けたのか、床に座り込むものもいる。


 ウルリッヒは大広間の惨状を見回してから、クラウスにもう一度向き合った。


「この戦にマリーは関係ないだろう。貴殿の訴えを後に聞くとして、まずはこの戦の落とし前をどうつけるか、話し合おうではないか」


 領主をにらみながら後ずさりしたクラウスだが、後方で次々と鎧を脱ぐ音が聞こえると、緊張の糸を自ら切るように、深い息を吐いた。そして「すまなかった」と、マリーと目を合わせずに消え入るような声で謝罪した。


 腕を解かれたマリーは、すぐさま動けなかった。先ほどまで自分を制圧していた男が、領主という大きな存在の前ではちっぽけな存在に見えてしまい、なんだか哀れに思えてしまったのだ。情けをかけるわけではないが、マリーは立ち去りがたかった。


 結局イレーネがマリーの肩を抱くようにクラウスから引きはがし、父の元へと渡ると、ウルリッヒがマリーの顎を上げて、顔を覗き込んできた。それは幼い頃、転んで泣きじゃくるマリーやイルゼを気遣うときと、まったく同じ仕草だったので、マリーはつい子供のように「大丈夫よ」と答えてしまった。


 愛娘の無事を確認すると、ウルリッヒは目を細めて頷き、すぐさま領主の顔つきに戻る。


「さて、まずは一旦休戦をしよう。カール、任せたぞ」


 そして領主は、カールに指揮を任せ、リヒャルトとマリーを執務室へと案内した。階下では、カールの大声が響いている。


「街の合同軍はすべてフィアーツェンが制圧し、練兵場で待機させている。動ける者は武器と鎧をその場に捨て、この男、ベンヤミンの後に付いていけ。負傷者は全員、大広間に留まれ、全員だ。ツァイムの者で動けるものは負傷者を助けてやれ」


 カールの指示に敵兵が従い、城を出ていく。入れ替わりで侍女が治療用の湯を沸かしに厨房に向かい、使用人は回廊や大広間で倒れている者の安否を確認し始めた。少し前までは血生臭い光景が広がっていたのに、慌ただしくも徐々に平穏が戻ろうとしている。その様子をクラウスは拳を握りしめながら眺めた。 


「残念だったな、クラウス。若い騎士は体力があり、興奮もしやすいから特攻や奇襲には向いているが、ひとたび日常を思い出すと簡単に戦意がもがれてしまう。初陣なら特にな。勝利を手にするには、熟練の皇帝直下軍も連れてくるべきだった」


 いつぞやのようにカールが肩を叩くと、クラウスは肩を落とし、うなだれた。そして促されるまま、他と同じように自身の鎧を脱ぎ捨て、カールの後を追って、停戦会議の卓に着くことになった。


 次男のアイテルが執務室に入ると、後ろには両腕を背中で縛り上げられたテオがいた。顔には殴打の痕があり、逃げないようにと別の騎士が手綱を握っている。


「土牢へ入れておけ」


 アイテルが声をかける前に、ウルリッヒが指示を出す。無様に捕えられた我が子の姿を一瞥すると「馬鹿者が」と小さく、悔しそうにつぶやいた。しかし、その口調はまるで「もっとうまくやれ」と言っているようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る