第2部 第31話 すべては順調
「陛下より話は伺った。しかし、まだお前は叙任して間もない。だからここにいる大司令官たちが合同軍を支えよう」
数日経ってから、同じ議会室に集められたクラウスは、実父であり皇帝軍総長バナンにそう告げられた。言いたいことは山ほどあるようだが、バナンは苦々しい表情で噛み潰してくれたようだ。
ヴィクトールは淡々と、帝国とその周辺を描いた地図を卓上に広げており、その表情に悔しさや怒りはなく、むしろどこか誇らしげだ。卓を囲む、皇帝直下軍の司令官の面々からは戸惑いの声や疑問も上がるが、彼らはあくまで支援部隊でこのたびの戦には表立って参戦しない。彼らには、帝国を外から守る役割があるからだ。
「若輩者につき、皆様のご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します」
クラウスは深々と頭を下げた。力不足なのは、自分でもわかっていた。だからこそ、強情になるのではなく、物腰を柔らかくして一人でも多く協力者をつくることが大切なのだ。
「早速ですが、合同軍の兵の募集を始めようと思います。開戦は翌年の秋にしましょう。各領地で抱える兵の数は、騎士を含めても五百から、都市領でも二千がせいぜいです。合同軍は城下町の制圧もしなければいけないため、三千は集めなければいけません」
クラウスが話し出すと、司令官たちが次々と口を出し始める。
「集まるか?」
「練兵の時間を取らなければならないからな、募集期間は半年程度といったところか」
「先日のツァイムのように、合同演習という形で一挙に集めて誘致するのはどうだ」
前向きな発言をしている者は多く、始めは不機嫌そうに様子を見ていた者も、議論が白熱すると段々と口数を増やしていった。
「そもそも最初はどこを攻めるんだ?」
その言葉に、司令官たちの視線が一斉にクラウスに向けられた。深呼吸をして、クラウスは慎重に答える。
「ツァイムをまず進軍してはどうでしょう」
すると「まだ甘ちゃんだな」と言うように、司令官たちは笑い出した。クラウスは内心焦ったが、ツァイムを選んだのは別にマリーがいるからではない。選帝侯のいる大教区は、帝国内でも皇帝を選挙で選ぶことができるほど権力を持っていて、最初に叩くことができれば皇帝の傘下に無条件で下る領家が出てくると考えたからだ。
「あそこは難しいぞ」
「なんせ、皇帝とは相性がとことん悪い」
「城の形状といい、領主側の戦力といい、少し分が悪いんじゃないか?」
「何か手があるのか」
司令官たちの軽口に、水を差したのはバナンだった。議会室が静まり返る。
「ツァイムは帝国都市から近くない。順序で行くなら、この近辺から攻めるべきだ」
初めてバナンの総長らしい気迫に当てられ、クラウスは身構えた。
「もちろん、周辺から攻め、領土を確実に広げていく戦術が常套です。しかし、合同軍は臨時の軍隊であり、しかも若手が集まります。皇帝直下軍のような固い絆も、戦場での勘も持ち得ていません。長期戦とするよりは奇策で相手を翻弄し、周囲の領地への牽制を兼ねる手を取ったほうが良いと判断しました」
バナンが眼力を強める。
「私は古い人間だ。ツァイムでなくても、同規模で攻めやすい都市領があるのではないか。調べたのか」
「もちろんです。しかし、敢えてツァイムを選びました。ツァイムへは進軍をかけますが、先に北のフィアーツェンへと囮となる軍を派遣します。二つをほぼ同時に攻めるのです」
クラウスの進言に、議会室がざわついた。「さらに無謀だ」といった悲嘆の声があちこちで上がる。
すると扉が突然開き、皇帝が姿を現した。
「騒がしいな。議会室の前に坊やがいた。これは密偵か、それとも友好な使者か?」
扉の向こうには、緊張した面持ちのテオが、皇帝お付きの衛兵に挟まれている。クラウスと目が合うと、「早くなんとかしてくれ」と目で訴えてきた。
「友好な使者です。陛下、こちらへ。皆様、こちらはツァイム領カレンベルグ家の三男テオ=フォン=カレンベルグ様です。どうぞ、こちらへ」
ようやく衛兵が退き、テオは大きく息を吐いてから議会室へと入ってきた。司令官たちが驚きの目で見守る中、テオは深々と頭を下げ、挨拶した。
「ツァイムより参りました、テオ=フォン=カレンベルグと申します。まずは歴史的偉業を成す戦略会議に参加を許可頂き、心より御礼を申し上げます」
「テオ殿は以前より皇帝直下軍への入隊を希望しており、今回の合同軍にも意欲を見せてくれました。そして何よりも、ツァイムとフィアーツェンに進軍をかける理由と戦略を提供してくれるそうです」
クラウスが説明すると、これまで疑念の目を向けていた司令官たちの表情が少し和らいだ。領家の心臓に近しい者の参入に、「もしかしたら」という期待を抱いたのかもしれない。しかし皇帝は、その裏に隠れる小さな不安を見逃さなかった。
「生まれ育った町と家族を攻撃するのだぞ、わかっているのか」
テオはその言葉に跪き、短い言葉で返した。
「構いません」
しかし皇帝は返事をしない。テオはその沈黙を察して、続けた。
「いえ、素直に胸の内を話しましょう。カレンベルグ家には四人の兄弟がおりまして、いずれも健在です。嫡子であるカールが叙任してから父ウルリッヒの片腕となり、広大なツァイム領を統治しておりますが、次男以下には当然、伝統に準じて騎士としての分け前以上のものは与えられません」
テオが息を継ぐ。
「此度、ツァイムを攻めると伺いました。その戦では前衛に私が立ち、城を攻め落としましょう。代わりに領地、財すべてを陛下に返還した後、ツァイム領主に私を任命いただけないでしょうか。愛する家族です。父ウルリッヒ、ほか兄弟たちは生涯私が目を光らせ、そして護ります。この戦を機に例え家族から憎まれようとも、手をかけられようとも、私はこの愛情を手離すことはできません」
テオの固い誓いに、皇帝は大きく頷いた。司令官の中には、涙ぐむ者まで現れたほどである。クラウスは議会室の雰囲気の変化を感じ取り、拳を強く握った。
合同軍へ参入する者たちは基本、各領地の「裏切り者」であり、正義と誠意を重んじる騎士団には相応しくない人材なのだ。腹に何かを抱えた者が集まる合同軍は、疑心暗鬼に包まれるだろう。それがクラウスにとって懸念材料だった。
しかしテオの口上は、この合同軍が持つ顔に新しい面をもたらした。愛する家族のために挙兵するという、騎士らしい参入理由が生まれたからだ。真実かどうかはこの際は問題にはしない、実際テオもひとつ嘘を織り交ぜている。重要なのは、合同軍に属する騎士たちが自分たちを「どう見る」か、また、合同軍が「どう見られるか」なのだ。それによって、合同軍の性格が、顔つきが変わる。
「では、テオ殿の土産話を伺いましょう」
クラウスが促すと、テオが卓上に広げられた地図の西に位置するツァイムを指差した。
「まずはなぜ、ツァイムとフィアーツェンを選ぶべきかお話します。ツァイムでは、五、六年前から自警団が善良な民を城下町から追放しています。今は落ち着いていますが、自警団は一見すると教会の教えに則った市民の自発的な行動のようですが、裏で手を引いているのは領主ウルリッヒであると、自警団の一人から聞き出すことに成功しました」
司令官たちから感嘆の声が上がる。
「追放された市民は、フィアーツェンにある施療院に収容されているようです。父と古き仲であるホルガー=フォン=ザロモンは、秘密裏に市民を匿うことで徴収税を増やし、皇帝に収める税を偽っているようです。また受け入れた市民の中で男児はペイジ修行に参加させた後、騎士爵を与え、兵を増強しており、反乱の芽があると推察します」
テオがもたらした情報は、ツァイム内部の者でも一部の者しか知り得ないような機密情報であり、それが皇帝直下軍により確かな希望をもたらした。
「これらの情報があれば、挙兵の理由になる」
しかし大きな軍は慎重でもある。ひとりが奇襲策に難を唱えた。
「先ほど、クラウス殿がツァイムの前に、フィアーツェンを攻撃すると話したな。二つは距離がありすぎるが、どのように兵を動かすんだ。中途半端な動きでは共倒れになるぞ」
「まずは陛下の勅令で、フィアーツェンの施療院について触れ、合同軍の挙兵を相手に伝えましょう。フィアーツェンは広大な領邦で、集落が点在しています。つまり勅令を出してすぐに城に侵攻すれば、各集落からの援軍は遅れます。そこで皆様、皇帝直下軍が一気に城を攻略しましょう」
ひとりが礼儀正しく挙手した。
「合同軍ではないのか?」
代わりにバナンが答えた。
「此度の戦の名目に『騎士の魂の解放』がある。若騎士を本命のツァイムにぶつけ、我々老兵がフィアーツェンを攻め込むのが良いだろう。ちょうど、あの髭面を拝みたくなった」
クラウスは頷き、続けた。
「合同軍の兵力については、募集をかければどうしても各領邦に伝わるでしょう。だからこそフィアーツェンを攻めた時点で、戦が終わるまで他領地を攻めるはずがないとツァイム側は考えるはずです」
「いつ、ツァイムへ向かうのだ」
その質問にはテオが答えた。
「敢えて、フィアーツェンから数日ずらすのはどうでしょう。フィアーツェンは必ず戦の情報をツァイムと共有します。数日、間を空けて、安心しきったツァイムに合同軍をぶつければ、攻めやすいと思われます」
身内だからこそ想像し得るツァイムの動きに、司令官たちは「なるほど」と納得した。
「しかし、ツァイムはどこから仕掛ける。あそこは丘の上にあるだろう。攻城戦には強い」
「裏の森から岩を放ち、城壁を突き破りましょう。先日の合同演習では人が台地を踏みならし、木を伐採していたので、大分進軍しやすくなっていました。本番までに何度か合同演習をツァイムに持ち掛けて、準備します。背後から岩を何発か当てれば城内は必ず混乱するので、その隙を見て堀に梯子を掛け、入城すれば良い」
テオの目論みに、「城の者が言うと信憑性が高いな」と誰かが漏らした。
「銃は使わないのか」
「騎士同士の戦いなので銃は無作法でしょう」
クラウスの自虐に、老兵たちは低く笑った。
「ではフィアーツェンへの出兵は、私とヴィクトールが指揮して、アインホルン家の騎士団が担おう。そのほうが、真実味が増す。他の騎士団は帝国都市で待機していてくれ」
バナンの提案に、静かに議論を見守っていた皇帝が一言添えた。
「豪華な囮だな。バナン、任せたぞ」
「陛下、お任せくださいませ」
左胸に手を当て、バナンは皇帝に向かって最敬礼をした。
まだ戦は始まってもいない。しかし、これまで何度も見てきた父の最敬礼は、これが最後のような気がして、クラウスは密かに目頭を熱くさせていた。
*
何もかも順調だったはずだ。
各地から若騎士や下級貴族の者が三千以上も集まり、何度も練兵を重ねて士気を高めていった。囮とはいえ、対フィアーツェンへの遠征部隊も熟練のアインホルン家騎士団が担い、臨機応変に対応ができるよう万全の体制を整えた。
北へと旅立つ父と兄を見送った後、クラウスは合同軍の中でも、騎士としての誇りを掲げる者を先行軍に選り分け、クラウス自ら先導してツァイムへと向かった。テオの提案から、合同軍は二部隊に分かれると、城下町側から松明を持つ部隊が陽動する間、森の部隊が背後からカタパルトで城壁に大穴を開けた。一気に合同軍がツァイム城へと流れ込むことに成功し、開戦後すぐに乱闘に持ち込まれた。
しかしここからクラウスの暴走が始まった。
「おい、総長のお前がどこにいく」
テオの声掛けは、彼の耳に届かなかった。
「ここだ!!」
姫君が隠れやすい場所に当たりをつけ、山側から侵入したクラウスは塔へと一目散に向かった。敵を振り切りながら塔を上ると、やはり小さな部屋で、侍女と共に小姓の姿をして固く目を瞑るマリーを見つけた。
「やっと見つけましたよ、マリー様」
「クラウス=フォン=アインホルン」
ああ、やっぱり本物のマリーはなんと美しいことかとクラウスは感動した。どんな姿をしていても、真っすぐクラウスに向けられた目には愛情が灯っていて、宝石のように輝いている。信じていて良かった。やはり結婚をしても女性の愛というのは一途で、騎士に希望となる光を与えるのだ。
クラウスは剣を鞘に納め、マリーに向かって手を差し出した。しかしマリーは顔を下に向けて、手を取ろうとしない。侍女が息を荒くして、マリーをしきりに自分の背後に隠そうと体をよじっている。
何をしているんだ、貴方のためにツァイムに来たというのに。
「マリー様?」
「もうあなたには奪わせない」
マリーは突然胸元から短刀を取り出して、自身の喉元へ押し当てた。
すべて順調だったはずなのに。
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