第2部 第30話 ルートヴィッヒ五世

 その年の蒼玉月に、ルートヴィッヒ五世は教皇の許可を得て、帝国都市内の大聖堂で教皇不在の戴冠式を挙げ、正式に皇帝に即位した。前代未聞の戴冠式に、世間は「いよいよ皇帝が教会の権威を喰った」と噂したが、依然権力体制に変わりはない。しかし皇帝のこの一言で風向きは変わった。


「噂を真実にしようじゃないか」


 その言葉に、アインホルン家当主であるバナンは顔面を蒼白にした。戴冠式を無事終え、帝国議会を開催してひと段落ついた。そのときに、皇帝は厄介な提案をしてきたのだ。


 議会室に居合わせていた兄弟は張り詰めた空気を破らないように、身動きを止めた。


「陛下、それはつまり、教会を相手に戦を仕掛けるということでしょうか」


 息も絶え絶えにバナンが尋ねると、皇帝はつまらなそうな顔をして「そうだな」と首肯した。バナンはヴィクトールから水を受け取って、一気に飲み干し、一息ついてから皇帝に反論を呈した。


「いいえ、陛下、いけません。まず此度の戴冠で、南との関係は悪化しており、緊張状態が続いています。また先の戦で資金が枯渇し、傭兵を雇う余裕もありません」


 バナンの言葉は、皇帝に一切響いていないようである。さらにバナンは追撃した。


「さらに言えば、近年帝国内で強盗騎士なるものが商人の馬車を狙い、商品や人を強奪しております。新たな敵を見つけるよりも、陛下は国内の治安改善に目を向けたほうがよろしいかと畏れ多くも進言させて頂きます」


「まずは、南と三年の休戦協定を結ぼう。それに金策には算段がついている。ヤコブ家だ」


 その名を聞いて、バナンは目を白黒させた。


「あの業突張りの商人ですか?!まさか、もうすでに話は」


「ついている」


 皇帝家の金庫番でもあるバナンは腰から崩れ落ちた。ヤコブ家とは隣国との交易で財を築き、付近の鉱山経営権を独占後、それらの資金を基に金融業に乗り出した豪商である。貸付利率が高いが、取引相手は国を跨いでおり、教皇の御用銀行でもあった。


「案ずるな。ヤコブ家から借入するのは最初の出兵資金だけだ。教会を傘下に治めれば、奴らの隠し財産で返済できるだけでなく、今後の出兵分も補填できる。それに領主から領地を取り戻して皇帝直下の自由都市とすれば、徴収税額も上がる。問題はない」


「全領地に戦を仕掛けるというのですか」


 バナンはなんとか片膝を立てたが、立ち上がる力が入らず、皇帝を見上げている。


「先に選帝侯のいる都市領を狙えば良い。後から腰巾着の小領主たちが、揉み手をしながら領地を差し出すだろう」


 皇帝は「今が好機のはずだ」と続けた。


「教会はどこもかしこも、贖宥状をばらまいて金儲けという愚行に走っている。叩くなら今だ。煤だらけで真っ黒になるぞ。そして再び皇帝に力と財を戻すのだ」


 高らかな笑い声がとどめとなり、バナンは気を失った。兄弟が駆け寄り、急ぎ使用人たちに声を掛けて、自室へと運び込んだ。ヴィクトールが連れ添い、クラウスが一人、片付けのために議会室に戻ると、議長席にはまだ皇帝が残っていた。


「哀れな次男坊よ。貴殿はどうだ。この戦に賛成か、否か」


 クラウスは頭を下げ、即答する。


「アインホルン家次男クラウスにございます。陛下、私は戦争に賛成です」


 その返答に、ふっと皮肉を交えた笑みを皇帝が浮かべた。


「太平の世が来てほしくないだろう。戦こそが貴殿の稼ぎどころだ」


 質問を投げかけられてから、ふと皇帝がなぜこれまで放置していた領主たちに剣を向けるのか、気になった。


「陛下、甚だ僭越ながらお尋ねしてもよろしいでしょうか」


「なんだ」


 クラウスは顔を上げ、頬杖つく皇帝に向かって質問を呈した。


「陛下はなぜ、此度の戦を望まれるのでしょうか」


 すると皇帝はその質問を待っていたかのようにニヤリと笑い、「ただ、我が国の騎士のためさ」と言い、立ち上がった。


「先の戦で痛感したが、戦術を変えるときが来たようだ。火縄銃を構えて、火をつければ誰でも人を殺すことができる。騎士のように鍛えた力と磨いた技で戦うのではなく、例え農民であっても火縄銃を狙って打てば、人や建物のどこかに当たる、そして壊す。もう、騎士同士が礼儀と作法に則って、行儀よく戦をする時代は終わったんだ」


 騎士の時代が終わった。その言葉は、騎士を拠り所にしていたクラウスに突き刺さった。


「戦術を変えれば、騎士は生き残ることができるのでしょうか」


 皇帝の返答は、残酷なまでに現実的だった。


「いいや、騎士はもう戦に必要ないだろう。だからこそ、この内乱を仕掛けるのだ。騎士は騎士同士の戦いであれば、活躍できる。他国の相手になれないのならば、この内乱で騎士同士、思う存分やり合えば良い。そうだ、クラウス、貴殿には、この戦で最後の騎士となってもらおうか」


 クラウスは返事に窮した。皇帝の真意がわからないからだ。


「この帝国には騎士が溢れている。教会が横槍を入れて、騎士道を立てたせいで、騎士の叙任は貴族の通過儀礼となってしまった。その結果どうだ、新人騎士ばかりが増えて戦力にならないうえに、与えられた領地の税収入なんてほんのわずかだ。嫡子で相続するものがあればまだ良いだが、次男や市民から成り上がった者はどうだ?」


 返答の代わりに、クラウスは口をきつく結んだ。それを見て満足したのか陛下は続けた。


「騎士というものは金喰い虫だ。誇りだけを愚直に守り続け、金に困っている下級騎士がどれだけいるか。すると増えるのが、バナンの言っていた強盗に成り下がった騎士だ。そして市井の秩序を乱す。私はせめて与える領地を増やそうと、他国との戦を繰り返してきたが、戦にも金がかかり、結果領民に負担をかけてしまった」


 皇帝は溜息をつく。


「話が逸れた。まぁ、つまり時代が変革するからこそ、この内乱を騎士の最後の晴れ舞台にし、勝ち取った財で彼らを救済したいのだ。領邦に攻め込み、教会の管理している財を奪い、大司教を追放する。狙うのは教会の弱体化であって、解体は考えていない。巻き上げた財産の一部は戦費に充て、自治に必要な分だけを領主に戻し、残りはすべて騎士の報奨に回そう。それらは戦の後、騎士が新たな人生を歩むための準備金となるだろう」


「私は何をすれば」


「最後の騎士になれと言っただろう。此度の戦に、気性の荒い傭兵は必要ない。また、領家の当主や嫡子に、この戦の本当の意味を理解することはできないだろう」


 皇帝は、アインホルン家の当主バナンと、ヴィクトールを指していた。


「そういった者の下に人は集まらない。貴殿がこの内乱の旗揚げをし、次男、下級騎士など、燻っている騎士を帝国中から集めろ。表向きには対外国の戦への兵力募集とすればよい。そうすれば人手も、各領地の情報も自ずと手に入る。まぁ、密使も誘い入れることになるだろうが、それは別に構わん。どうせ、戦の話を知ったところで何もできん。まぁ貴殿は若いが、案ずるな。皇帝直下軍の面々も後衛に加えよう。力になるぞ」


 つまり、皇帝は自ら表に立つのではなく、合同軍が挙兵しろということなのか。


 クラウスはそう理解すると、落ち着きを取り戻した。皇帝が直下軍を率いて内乱を起こし、帝国の始まりから共にしてきた教会に剣を向けるとなると、万が一失敗したとき、確実に帝国が崩壊してしまう。一方、騎士は戦場で果てることを厭わない。それが職務だからだ。むしろ内乱に勝利した暁には「最後の騎士」として輝き、皇帝自ら引導を渡されるのだ。これ以上の名誉はない。


「かしこまりました。では皇帝直下軍総長バナン=フォン=アインホルンに代わり、クラウス=フォン=アインホルンが合同軍の指揮を執ります。必ずや、陛下の下へ真なる力を取り戻しましょう」


 クラウスは皇帝の前で跪き、頭を垂れた。その様子を満足そうな表情で見下ろし、「バナンには私から言っておこう」と残し、ようやく議会室を後にした。扉の横で待機していた衛兵が、皇帝に続いて重い扉を閉めた。

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