第2部 第23話 転生者たち

 雪国に降り立った精霊。フィアーツェン城主であるホルガー=フォン=ザロモンの結婚式で、当時のツァイム大司教マリアは新婦シーラをそう表現した。


 図体が大きく、粗野な言動が目立ち、決して貴族らしくない風貌のホルガーに、そして厳しい北の領邦に、嫁ぐ者が現れただけでも領民にとって衝撃的な出来事だった。それだけに嫁いだ余所者の女性に、誰も期待を寄せなかったわけだが、シーラの胸の内は違った。


 彼女は何度も夫と共に、いや、一人でも各集落を訪れ、領民と対話を重ねて自分自身を知ってもらうように心を砕いた。北国の人は、岩のような頑固さが自慢だが、実際は大きな雪玉のようであり、ひとたび温かな人柄に触れると案外脆い。


「フィアーツェンは大砲の玉にも、権力者にも屈しないが、たった一人の女性に陥落したんだ」


 リヒャルトが幼い頃から、ホルガーは寝物語にシーラの話を繰り返した。リヒャルト自身が父にねだったというのもある。


 領民から愛されていたシーラは体が弱く、結婚してから五年の月日をかけて、男児を産んだ。次期当主の誕生には領邦中が湧き、祝福した。「力強い支配者」を意味するリヒャルトと名付けられた男児はすくすくと育ち、母に似た美しい風貌と父に似た愛嬌のある人柄は、まさにフィアーツェン自慢の一人息子として、他領地にも知れ渡るほど領邦中から愛情を注がれたのだ。


 領主もまた息子を愛した。領地管理で各集落を周る際は、必ず妻と息子を連れて移動したし、休日にもなると親子水入らず、領邦内の別荘で静かに過ごした。


 リヒャルトも父になつき、馬で移動するときは必ず父の前を陣取り、寝つくときも両親が揃わないと癇癪を起こしたほどだった。


 リヒャルトにとってホルガーは憧れの人だった。くしゃみをすれば城だけでなく町中の人々が手を止め、麦芽酒を樽で飲み明かし、北国の冬でも湖に潜り、大鹿を素手で倒す様は、まさに豪傑。古くからこの地を守り、領民に寄り添い、人々に愛されるホルガーを、リヒャルトは心から慕っていた。


 そんなリヒャルトでも、自身が転生者であることは両親に明かせなかった。


 彼が、自身を転生者だと気付いたのは四歳の頃、母が病に臥せ、だんだんと声や握り返す手の力が弱くなっていく様子に、漠然と既視感を覚えたのだった。五歳には前世の記憶が完全に宿り、六歳にもなると自身が転生した理由に検討をつけていた。


 リヒャルトの前世は、東の国に住む学生で、その父は土日に剣道の師範代として道場に立っていた。前世のリヒャルトはそんな父のたくましい背中を見て育ったせいか、幼い頃から道場に入って、朝晩と竹刀を振った。


 父からは剣術以外に禅語の「即今、当処、自己」という言葉を教わった。それぞれ「今、ここ、自分」という意味を示し、今いる場所で自分自身が精一杯やりなさいと説いている。この禅語は、日々練習に励む少年を支えるだけでなく、魂に深く刻まれた。


 少年の生は、交通事故という形で終わったようだ。横断歩道に横たわり、だんだん消えゆく意識の中、最後に感じたのは剣道で父の期待に添えられなかった後悔だった。


 前世の記憶を鮮明に思い出すと、リヒャルトは、ホルガーに前世の父の姿を重ねていることに気付いた。姿形も違う、魂を共有しているわけでもない、ただ、敬愛する父親に今度こそ孝行をしたい。前世からの願いを受け止めると、リヒャルトは途端、全身に血が通ったように感じられた。そして「今ここにある自分」と、転生した喜びを享受したのだ。


 そしてリヒャルトはふと、この世界に他の転生者がいないのか気になった。もちろん大人、とりわけホルガーに聞くわけにはいかない。教会の教えに反する上、期待の子息が「気がふれた」と他の大人たちが騒ぎ立てる可能性もあったからだ。だからこそリヒャルトは対象を同年代の子供に絞り、手の平に平仮名を書いて遊びながら、「踏み絵」のように相手に見せて試すと決めたのだ。


 手の平に満足のいく「うまれかわり」を書けるようになった頃、リヒャルトは早く試してみたくて、城下町の外れにある施療院にいる子供たちに見せることにした。


 この施療院は、ホルガーが教会本部に寄進して設立した福祉施設で、リヒャルトも物心つく前から度々訪れていた。その施設には身寄りのない人や戦争孤児、難病にかかった人、心に病を負った人など、社会では生きにくい弱者がいて、医療知識を持つ教会関係者と共に、助け合って大きな家族のように生活していた。領主家族が慰問に訪れると、家族の一員のように受け入れてくれたので、リヒャルトは小さな兄妹たちとそこで遊ぶのが楽しくて仕方がなかった。


 人の入れ替わりが激しい施療院は、踏み絵遊びをするにはもってこいの場所だった。引き取り先が決まって子供たちが出て行ってしまっても、戦が起こればまた新しい孤児がやってくるので、リヒャルトが飽きない限り、永遠に試すことができた。しかし転生者はなかなかリヒャルトの前に現れなかった。


 遊びを始めてから三年が経った頃、リヒャルトが施療院で給仕を手伝っていると、ホルガーがひとり廊下の外れで姿を消したのに気が付いた。どこか違和感を覚えたリヒャルトは、孤児のひとりを呼びつけては、運んでいたパンの山を預け、父の後ろ姿を追った。


 姿を消した辺りの壁をつぶさに観察すると、小さな窪みを見つけた。誰にも見られないように注意しながら、窪みに指をかけて押し込むと、壁はいとも簡単に横にずれた。


 背後では子供たちの声が聞こえてくる。どうやらリヒャルトに仕事を押し付けられたと、施設の大人に密告しているようだ。リヒャルトは見つからないように急いで扉の中に入り、内側から音を立てないようにそっと閉めた。


 中は、横幅の狭い廊下が続いていて、奥の扉の隙間からは白い光が漏れている。リヒャルトは身の隠し場所を探しながら、注意深く廊下の奥へと進み、扉を開けると日光が降り注ぐ空間にたどり着いた。その空間は四方が壁に囲まれた秘密の中庭で、様々な薬草が植えられているほか、隅には小さな用具入れと白い小屋があった。


 ホルガーの姿が見えないのを察するに、その小屋の中に入ったようだ。リヒャルトは中庭に誰もいないのを確認すると、小屋まで一直線に走り、鉄格子がはめられた窓のある壁に背中をぴたりとくっつけた。窓は、リヒャルトが背伸びしても届かない高さにあったので、近くに転がっていた薬草を運搬するための木箱を踏み台にしたところ、ようやく中を覗き込むことができた。


 リヒャルトは慎重に目だけで窓を覗き込み、ホルガーが窓に背中を向けているのを確認すると、もう少し首を伸ばして小屋の中を覗き込んだ。小さな部屋の中にはベッドや棚、机、本棚など、まるで家のように家具が並んでいる。しかしリヒャルトはその小屋の主の姿を見てギョッと目を見開いた。


 明らかに生気が抜けた、ぼさぼさの髪をした少年が、ホルガーの立ち位置との対角線にある部屋の隅に座っていたのだ。白い服を着ているが、薄汚れているところを見ると身支度や自身への関心が薄いようだ。


「まだ、なにも話せないか」


 ホルガーが優しく声をかける。しかし少年は、一言も発しない。膝を立てて座り、壁に頭をもたれかけ、宙を見つめている。


「マリアの手記にはなんて書いてあった?」


 少年は何も答えない。ホルガーが溜息をついて頭をかくと、しゃがみこみ、少年と目線を合わせてからもう一度優しく話しかけた。


「君には危害を加えない。生きてほしいんだ、だから安心して話してほしい」


 少年は目も合わせない。今度は大きな溜息をついて、ホルガーが少年に背を向けたので、リヒャルトは反射的に首を屈め、壁に耳をぴたりとくっつけた。


 この少年は一体誰なのだろう。


 リヒャルトの好奇心が疼いたとき、思いもよらない言葉を耳にする。


『俺はこの世に興味ない』


 少年が話したのは東の国の言葉であり、リヒャルトが前世で使っていた言語だった。驚きのあまり、リヒャルトは声をあげそうになって、急いで口を両手で押さえた。転生者だ。リヒャルトが三年かけても見つからなかった転生者が施療院の奥に隠れていたという事実に、自ずと胸が高鳴った。


「残念ながら、俺にはその言葉はわからんよ」


 ホルガーは「すまんな」と一言詫び、「またくるよ」と声をかけると小屋を後にした。扉の鍵を厳重に二回、外から閉め、その大きな体を揺らしながら中庭を抜け、ホルガーは施療院の本館へと戻っていった。


 リヒャルトは父の後ろ姿を見届けてから、しばし逡巡した後「あいうえお」の五音を口でなぞり、鉄格子の窓に再びしがみついた。


『ねえ、きみもうまれかわったの?』


 少年は一度ちらりとリヒャルトを見てから、興味なさそうにふいと横を向いた。その反応がリヒャルトには信じられなかった。自分は同じ境遇、しかも同じ国で死んだ者を、生まれて初めて見つけて興奮しているのに、なぜそんなに冷めた態度を取れるのだろう。


『僕はリヒャルト。なぜ、きみはそこにいるの?』


 リヒャルトは転生者と会ったときに会話ができるように、東の国の言葉の発声も練習をしていた。その練習の成果を試す機会がようやく巡ってきたというのに。


 少年は一切反応しなかった。いや、リヒャルトの呼びかけを無視するように、のそりと立ち上がると、ベッドに横たわってしまった。


 リヒャルトはしばしその寝姿を見つめていたが、それも馬鹿馬鹿しくなって鉄格子から手を離し、木箱から飛び降りて、父の後を追うようにして中庭を駆け抜けた。

領邦中から愛されたリヒャルトは、初めて人から「拒絶」され、なんともいえない不愉快な、怒りに似た、でも寂しい気持ちを抱いたのだ。だが、リヒャルトは遊びをやめようとは思わなかった。きっともっと心を開いてくれる転生者が他にもいるはずだと、心のどこかで願ったからだ。


 だから敬愛するウルリッヒ叔父上の末娘、マリア・アマーリエの苦い表情を見たときに、再び胸が高鳴り、嬉しさが込み上げて、リヒャルトは叫びそうになった。


 やっぱりいたんだ。


 あの日の少年とは違う、話せば話すほど共感してくれるマリーは、リヒャルトが思い描いていた「理想の転生者」であった。夢が現実となった興奮が、彼に「親友」を口にさせた。確かに、そのときの想いと言葉はリヒャルトにとって紛れもない真実だった。しかしマリーとは境遇が似ているものの、異なる考えの持ち主だと気付いてから、その言葉はすっかり色褪せてしまったのだ。


「リヒャルト様、書簡が届きました」


「ああ、置いておいてくれ。毎度すまない、少し回数を減らそうと思う」


 侍女頭のヨゼフィーネはマリーからの便りを机の上に置くと頭を下げて、無言で寝室から退出した。


 律儀に届く書簡に、十四歳になったリヒャルトは辟易していた。始めたての頃は、何でも話すことができる親友の存在が嬉しくて、筆をまめにしたものだが、やがてマリーから届く内容に翳りが見え始めてから、少し疎ましく思ってしまったのだ。


 マリーは前世の記憶を疎んじていた。そして幼い頃の身勝手な振る舞いが、転生の少年を貶めたり、自警団を結束させたりしたと苛んでいた。マリーは文通の開始によって、これまでせき止めていた暗い想いを、「何でも話すことができる」親友へそのまま流してしまったのだ。


 「即今、当処、自己」を信条とし、今世を前向きに生きるリヒャルトにとって、マリーの吐露は汚泥のように足を取り、苛つかせ、それはまるで「裏切り」のように感じられた。


 そうしてペイジとして修行を積み、従騎士となったリヒャルトは、気分が乗ったときにだけ筆を取るようになっていった。

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