第2部 第22話 ホルガー=フォン=ザロモン

 この時期、季節を先取りするフィアーツェンでは広葉樹が色づき、ウルリッヒの道中を楽しませてくれた。領主は城を長兄のカールに任せて、長い旅路にあった。


 城門に着くと、門番の号令で轟音と共に落とし格子が上がり、ウルリッヒの馬車を受け入れた。そのまま石畳の坂道を上がっていくと第二の城門が見えてくる。もうひとつの落とし格子の向こう側には、見事な黒髭をたくわえた巨体の城主が待ち構えていた。


「ウルリッヒ!よくぞ来たな」


 古き友、ホルガー=フォン=ザロモンの片手に握られた空の酒瓶を一瞥して、ウルリッヒは親友と抱き合った。


「急な来訪ですまない」


「まぁ、お前さんのところは色々抱えているからな。まずは乾杯するか?」


「先に話を。少し長くなるかもしれない」


 ウルリッヒは、今度はたしなめるように、ホルガーの持つ酒瓶に視線を落とす。ホルガーは「まぁ、ついな」と小声で言い訳をしては空瓶を背中に隠した。


 ホルガーが先導する中、二人は玄関の大広間を抜けて階上の執務室へと直接向かった。扉を開けると、中には金髪の少年が立っており、ウルリッヒを見るとすぐさまお辞儀をして快活に挨拶した。


「叔父上、お久しぶりにございます」


 ウルリッヒを叔父上と呼ぶ少年は、ホルガーの一人息子のリヒャルトだ。フィアーツェンを訪れるたびに、ウルリッヒに成長した姿を見せてくれていた。


「おお、リヒャルト。もうすっかり少年だな。ペイジになる準備はできているかね」


「はい、叔父上。手習いも順調で、父上から剣の手ほどきも受けております」


「そうかそうか」


 美しい白金の髪色を揺らす少年は、生前の母、ホルガーの妻によく似ていて、ホルガーと並ぶととても親子には見えない。


「リヒャルト、これからウルリッヒと大切な話をするからな。ヨゼフィーネと今日の復習をしていなさい。日が落ちる前に話が終わったら、馬に乗ろう」


 少年の頬に赤が差し、嬉しそうに微笑んだ。再びお辞儀をして、子供らしく駆け足で執務室を出て行くと、外の廊下では騒がしい足音が二つ重なって響いた。


「成長するとますます似てくるな」


「そうだろう」


 彼の息子を見つめる眼差しには、愛情が溢れ出ていた。図体に似合わずに、優しく繊細な心を持つホルガーは、細君が病死してから六年経っても、新しい妻を娶ろうとしない。おそらくこの先もずっとないのだろう。


「早速だが、実はツァイムからそちらに人を移したい。受け入れられる余力はあるか?」


 ウルリッヒが来客用の長椅子に座ると、ホルガーも自身の執務机の椅子に腰をかけた。友人とはいえ、領主としての公の交渉時には一旦物理的な距離を取って、相手の出方を見るのが慎重なホルガーのやり方だ。


「どんな人だ。まさか囚人か?」


「いや、悪党とその家族だ」


「悪党だと?」


 ホルガーが片眉を上げて、訝しげにウルリッヒを見るが、それが演技であることをウルリッヒは知っていた。


 フィアーツェンの領邦には八つの集落が点在しているが、それぞれの規模は大きくなく、人も少ない。領主の税収を増やすためには、移住者がどんな性格であろうと大歓迎なのだ。とはいえ、一度帝国司法ないし教会法に触れた者を簡単に野放しにはできないため、フィアーツェンでは元犯罪者たちの受け入れを許可するうえで、各集落での奉仕活動を義務付けている。活動中は常に監視され、報酬も自由もないが、各集落の住人から功績を認められれば、領民として公的に認められ、住居と仕事が与えられる。


 この取り決めがうまく稼働するのは、フィアーツェンが大陸の外れにあり、昔から犯罪者を抱え込むことが多い土地柄だったからだろう。領民が移住者を受け入れる大きな懐を持っていることが成功の要因として大きい。


 フィアーツェンの課題はまだある。国境沿いの領邦において兵力は常に課題に上がるが、北の領邦はそもそもの人口が少ないため、兵力が常に不足していた。領主軍の基本は貴族による騎馬兵(騎士)だが、領民が少なければ貴族の母数も少ない。そのため、フィアーツェンでは独自に平民でも移住者でも、ペイジから修行を積んで試験に合格すれば、騎士として叙任できる制度を確立していた。そしてこの独自の制度は血気盛んな者、成り上がろうとする者が多い元犯罪者の子供たちと相性が良く、彼らはこぞって志願した。


「別に良いが、ツァイムは問題が山積みだな」


「お前さんのところほどでもないさ、これがひとまずの移住予定者の一覧だ。これから季節ごとに頼むつもりだ」


 ウルリッヒは軽口に軽口で返すと、次男アイテルがまとめた移住予定者、つまりツァイムの街で自警団が「間引き」した人々の一覧をホルガーに渡した。近年視力の落ちたホルガーは手持眼鏡を机から取り出すと、眉間に皺を寄せながら紙切れを睨んだ。


 その様子を眺めながら、ウルリッヒは古い友人に愚痴をこぼした。


「マリアの時代は特に平和だったんだが、新しい大司教になってから勝手が違って困っているよ」


「例の贖宥状か。あれは面倒な代物だな」


 ウルリッヒは黙って頷いた。思い出したくもないが、贖宥状の話をすると自ずとあのしわがれた声に、人を見下すような目つきが脳裏に浮かび、腹立たしい。


「あい、わかった。人々の移動はどうする?いつになる?」


「今、ツァイムから少し離れた農村で一部待機しているから、すぐ移動できるだろう。移動手段は任せてくれ。ちょうど秋の出荷が整ったところだから品物と一緒に届けよう」


「まぁ、隊列に紛れたほうが安全だな」


 冬が長い北国の土地は?せていて農業に頼れないため、市民が生きていくためには他領土や近隣諸国から食品を輸入しなければいけない。フィアーツェンの大事な交易先のひとつが、ツァイムだ。盗賊に狙われやすい長距離の商品輸送には必ず騎馬兵の護衛がつくため、個別に移住者を移動させるよりもずっと安心なだけでなく、荷物の積み降ろしなどに必要な人足を揃えられる点で便利だった。


「施療院で預かりが必要そうな人はいるのか」


「その類はいない」


「あい、わかった」


 その類とは、マリアや小姓の少年のような転生者を指す。一通り、話を終えるとウルリッヒは腕を組み直して、酒瓶を用意しようとしているホルガーにこう言った。


「次はお前さんの番だが、この件に対当する取り立てを考えると恐ろしいよ」


 するとホルガーは腹の底から愉快そうに笑い、麦芽酒をウルリッヒに差し出した。


「そうだな、考えたんだが。嫁をくれないか」


 予想しなかった交換条件にウルリッヒは思わずのけぞって、まじまじと親友の顔を見た。


「なんだ、とうとう再婚するのか」


 ホルガーは笑いながら「俺じゃあない」とかぶりを振った。


「リヒャルトだ。まだ先とはいえ、お前さんのことだからもう娘二人の嫁ぎ先を考えているだろう。お前さんが相手に打診する前に、手を打っておきたくてな」


「他の領主の娘にすればいい。私たちはもうこれ以上絆を深める必要はないだろう」


「俺たちの絆は別に良い。だが、次の世代になったときのことも考えておきたいんだ」


「ははん、お前、さては他の領主に断られているんだな」


 痛いところを突かれたのか、ホルガーは口をへの字に曲げた。


「その髭をどうにかしろと昔から言っているだろう。山賊のところには嫁を出せん」


「いや、俺の風貌はどうでもいいんだ。むしろ、北という厳しい環境がだな、」


 言い訳がましく声を小さくしてホルガーが何か言っているが、すっかり気が緩んだウルンリッヒは麦芽酒の酔いに任せて話を続けた。


「お前さんの細君、シーラはまさに奇跡だったな。聖霊のように美しかった」


「そうだ、そしてシーラは領民に心から愛されていた。今でも墓に来て献花してくれるから、花畑みたいにいつも賑やかだよ。お前さんのところの娘だって、きっと皆から愛される。この不毛な地に、もう一度精霊を降り立たせたいんだ」


「調子のいいことを言うな」


 元々交渉を持ち出したのはウルリッヒであり、要求通り?み込んだホルガーは少しばかり気を強くして交渉に乗り出した。


「誕生祭だ。今度はこちらから息子と二人で訪ねよう。政略結婚とはいえ、相性が良いほうがいい。どうせだったら当人同士に決めてもらおう。もちろんまだ子供たちには婚姻のことは言わん。友人として出会い、仲良くなったほうの娘に嫁がせるのはどうだ」


 ウルリッヒは腕を組んだが他に手札がない。


「わかった、そうしよう」


 無事商談が終わり、ウルリッヒは息を吐いた。しかしまさか娘の婚姻まで決まるとは思っていなかったようで、ウルリッヒは動揺していた。イルゼは九歳、マリーは七歳になったばかりだ。より良い嫁ぎ先を探すのは父親の責務であり、他領地に訪れるたびに目を光らせていたが、いざ決まるとなるとやはり寂しいものだ。もうあと四、五年すると城からあの二人がいなくなるのかと思うと、心にぽっかり穴が空いたようだ。


「そういえば明日市が立つぞ。土産物を買っていったらどうだ?」


「ああ、そうだな。娘たちに揃いの飾りピンを買ってやろう。ツァイムの市には並ばない、とっておきの舶来品を」


 心の穴を麦芽酒で塞ごうとしたが、ただ通り抜けるだけで、ウルリッヒは不意に熱くなった目頭を親友に見られないように押さえた。


 誕生祭当日、領民をもてなし終えたウルリッヒは、ツァイム大聖堂でザロモン家の二人を迎えた。事情を知っている妻のアデリナは姉妹の反応が気になるようで、ホルガーと会話を交わしながらも、心配そうに会合を覗き見ている。イルゼはリヒャルトにすっかり一目惚れしたようだが、恋に慣れていない少女は、残念ながら早々に戦線離脱してしまった。一方のマリーは警戒しているようで、握手をしたものの距離を取って乳母の背後に隠れている。ウルリッヒはあまりに正反対の姉妹を見て、笑いを堪えるのに必死だった。


 大聖堂から戻り、晩餐会が始まると食堂を出ていくマリーとリヒャルトの姿があり、ホルガーは「決定だな」とウルリッヒに耳打ちした。まだ娘の婚姻という現実に向き合いたくない父親は葡萄酒の入ったグラスを傾け、敢えて別の話題を打ち出した。


「そういえばあの少年はどうした?」


 少年とは、昨年の夏の騒動を起こした小姓の少年を指す。転生者だと判明した少年は、ツァイムに移送されて大司教の審問を受けることになったが、前例のない厄介な問題を前にしたナッサウ大司教は、教皇への説明を面倒に感じたのか、転生者の存在を隠したがった。しかし噂は枢機卿まで伝わっていたので、大司教は審問をせずにウルリッヒに少年の処刑を言い渡して、教会本部には「噂に実態なし」と報告したのだ。聖堂に貼りだされた心得違いは本部のけじめなのだろう。


 ウルリッヒは処刑の報告だけを公表した後、少年をフィアーツェンの施療院で預かってもらうよう、ホルガーに頼んだ。ホルガーも、マリアとの約束を守り、黙って少年を受け入れた。そして少年は今も、フィアーツェンの施療院の一室でひっそりと匿われている。


「生きてはいるよ。どうやらマリアが残した手記を読み始めたようだ」


 マリアは「後の転生者の助けになれば」と、自身の人生をしたためた手記を残し、信頼できる二人に託していた。


「そうか」


「ああ、俺たちがあの手記を読めればな」


 ホルガーは悔しそうに親指を噛んだ。彼女が残した手記は、遠い過去の未来で使われている東と西の言葉で書かれており、ウルリッヒとホルガーには読むことができなかった。


 マリアが自身の後継者、教会ではなく、あくまで彼女個人の後継者を探していたことは間違いない。彼女は終に転生者に会うことはなかったが、それでも二人に転生者の言葉を教えることはなく、幼い頃から彼女の正体を知っていた二人でも、最後までマリアの胸の内を知ることはできなかった。言葉が、二人をマリアの真実から遠ざけさせたのだ。

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