第2部 第21話 ウルリッヒ=フォン=カレンベルグ

「ウルリッヒ、面倒なことを考えてそうだな。教皇との間に入る私の身にもなってくれ」


 大司教は口ではそう言いながらも、口角が上がっていた。ツァイム領主ウルリッヒ=フォン=カレンベルグと自警団の頭、メイソンとの会談によって、自警団の継続と「治安強化」が決定して大変満足しているようだ。


「奴らが悪党どもを捕まえてくれたら、私の贖宥状も売れるからな」


 その言葉にカールは眉をひそめ、嫌悪感を表した。ウルリッヒは目でカールを諭すと、大司教に歩み寄るように言った。


「お手柔らかにお願いしますね。本物の悪人は街を壊しかねない」


「ああ、もちろんだ。私だってそこらへんは聖職者としての務めを果たすつもりだよ」


 どの口が言っているんだ。思惑とは裏腹に、ウルリッヒはなるたけ穏やかに微笑んだ。


「ま、でもあの者の言うことはわからんでもない。ここ数年、余所者があまりに多すぎる。陛下はうまくやりすぎているからな。南西の公国の嫡子と婚姻を結んだと思えば、北西の一国を領土化したのはたまげたな」


 現皇帝ルートヴィッヒ五世は、即位前から積極的に自身や子息の婚姻を締結するほか、戦争を起こして領土拡大に邁進している。父親である前皇帝の領地に、南西のモーディッシュ公国、北西のヴィンミュレを加え、隣国の侵略で荒らされていた東部を静定して領土に加えた。さらに南部への勢力を伸ばそうと、長年、前皇帝が居城していた東部を捨て、継承したゲバーグ地方に拠点を移した次第だ。


 領土が拡大されたおかげで、貿易が自由化するので国境沿いの領地は経済的に潤っていたが、一方で、帝国傘下に入って日の浅い領地ではいつ貴族や商人が反乱を起こしてくるかわからず、常に戦費・防衛費を準備しておかなければいけない。ツァイムも例外ではなく、街を守るにはいつだって金が足りなかった。しかし、地元民への課税率を上げたり、課税対象品を増やしたりすることはできない。


 その背景にも皇帝がのさばっている。今や領邦国家制度が定着したハインリヒ帝国だが、十四年ほど前までは中央集権国家として成立していた。当時、現皇帝は戦費を賄うために、全領土に増税と徴兵を繰り返す愚策を取って、当代領主だったウルリッヒの父を含む、諸領主の反発を受けた。各領主たちは何度も税の削減を帝国議会に掛け合ったが、相手にされず、結局教会が動き、皇帝の権力範囲から政治を分離して、各領主に自治権が認められ、領邦国家へと改めたのだ。


 帝国内では、とりわけ税に対して敏感だったからこそ、ウルリッヒは物資や外貨だけでなく人をも受け入れ、人との縁を深めるだけでなく、人口を増やして領邦全体の税収を上げようとしたのだ。


 しかし、政治とはうまくいかないものである。ウルリッヒは皮肉そうに笑った。

 結局のところ、今度は街に増えた「人」が問題として挙がり、今回のような騒動を引き起こしてしまった。まったく関係のない、末娘のマリーを巻き込んで。


「ああ、そういえば確認したいのだが」


 大司教は領主の顔色を伺うように尋ねた。


「自警団は『教会』を後ろ盾にと考えていたようだが、本日をもって、奴らの尻ぬぐいは、そちらでするということでよろしいかな」


 小悪党はすぐに保身に走る。ウルリッヒは、また笑顔を顔に貼り付けてこう返した。


「もちろんですよ。こちらが彼らの面倒を見ましょう」


 満足そうに大きく頷いた大司教は「それならば良しとしよう」と、ようやく椅子から腰を上げ、大部屋から退出した。カールは変わらず侮蔑の視線を、大司教の後ろ姿に向ける。


「あいつが選定侯なんて世も末です」


「そうだな」


 ウルリッヒは手に持ったグラスに一度も口をつけていなかったことを思い出し、葡萄酒を飲み干した。


「しかし、父上、果たしてこれで良いのでしょうか。戦にだって作法があるのに、このような市民を闇討ちするような、」


「今が辛抱どきだ」


 カールの訴えも理解できるが、ウルリッヒは退けるしかなかった。


 現行の司法には穴がありすぎる。領邦国家制度を採択した際、「永久平和令」が発布されて民衆(または貴族)間の私闘は禁じられ、地方裁判所が各領地に設置された。しかし帝国法に基づく地方裁判所の役目は、あくまで争いごとの調整係だ。


 犯罪者を罰するのは教会法だ。教会社会の秩序維持をするために、神に背き、犯罪に走った者を回心させる。しかしツァイムでは贖宥状のせいで、犯罪者は軽微な奉仕をするだけでいとも簡単に社会へと放り出されるのだ。


 現行の大司教からすれば「再び罪を犯せば、また贖宥状が売れる」ということだろう。市民にとってはたまったものではない。ウルリッヒは、このいたちごっこを止めるには、犯罪者たちを「表」の教会法ではなく、「裏」で裁かなければいけないと考えたのだ。


 メイソンの自警団は、まさにその「裏」を担う集団としてはうってつけであった。贖宥状の存在で罪の意識が薄れている民衆の間に、自警団が暗躍して、魔女狩りのような闇を落とす。できればウルリッヒも力や恐怖でもって人々を統治する、時代遅れのやり方を採択したくはなかった。しかしもう決断したことだった。帝国の現体制を覆すまでは、大司教を表舞台から引きずり下ろすまでは。


「もちろん、領主としての責務は果たすつもりだ。日が昇っているうちは、騎士団で新市街の警備体制を強化してくれ。それに浮浪者は施療院へと誘導してほしい。紳士的にな」


 カールは父の言葉に両踵をつけて背筋を正し、頭を下げた。そして踵を返し、早速自身の役目を果たしに城へと向かった。


 ウルリッヒは椅子から立ち上がる気力もなく、ひとり大部屋に残った。もちろん護衛の衛兵は部屋の外で待機しているので、本当の意味で一人ではない。でも少ない、独りの時間を楽しむべく、机の上に散らばった瓶のひとつを取り、葡萄酒が残っているのを確認すると、そのまま口につけて飲んだ。


「ふぅ」


 一息つき、がらんどうの大部屋の天井を見上げて、この十数年を反芻した。


 ようやくここまで来た。


 ウルリッヒに無慈悲な決断をさせ、現行の法に立ち向かわせる強い意思の根幹には、かつての友と交わした約束があった。金を積んで大司教の座を手にしたナッサウの前任にあたる偉大な大司教は、ウルリッヒの憧れの人であり、大切な友人であった。


 彼女はマリアという、いや表ではマクシムという男の名を使う聖職者だった。現フィアーツェン領主のホルガーと共に、帝国都市でペイジ修行に励んでいたときに出会った友人は、転生者だった。聡明な彼女から、手習いでは学ぶことのない他国の価値観や考えを教わり、この時代の事情を知らない無垢な二人は、何も疑わずにただ吸収していった。やがてウルリッヒは、父とは違う領主の像を思い描くようになる。


 秘密の手習いを経て、ウルリッヒとホルガーの二人は、マリアと二つの約束事を結んだ。


 一つは「弱き者の保護」だ。争いをせずに説話をもって統一されたハインリヒ帝国だったが、千年という歴史の中では暴力が優勢だった。そしてその被害に遭うのが女子供、老人といった弱者だ。戦闘団が組織化され、騎士なる称号が与えられ、その行動規範として「騎士道」が広まると、戦にも作法が生まれて非人道的な暴力や略奪が減少していった。


 しかし、ひとたび振るえば相手を屈服できる暴力は人々を魅了してやまない。理不尽な暴力は、公の場では制御されても、家の中、城の中など見えない場所では暗躍していた。


 暴力から幸せは生まれない。建国物語でも語られている「人の知恵」が、いまだ理解されていないことにマリアは嘆き、未来ある少年たちに、ゆくゆくは領主となって人々の上に立つ者に、この約束を取り付けたのだ。そのマリアの想いを、嘆きを知っているからこそ、この自警団の決断は、重くウルリッヒの心にのしかかった。


 矛盾している。だが「辛抱時」なのだ。


 もう一つ、マリアにお願いされたのは「転生者の保護」だった。マリアは転生者を「神の思し召しによって前の記憶が紡がれた者」と説明し、彼・彼女らは「おそらく混乱している」だろうが、きっと「世界を良い方向に導いてくれる」と信じ、保護が必要だと考えたようだ。今思えば、それはマリア自身が目指している転生者像だったのだろう。しかしウルリッヒはマリア以外に転生者を見たことがなかったので、彼女の言葉をそのまま受け取るしかできなかった。


 何年経ってもウルリッヒの前に、転生者は現れなかった。あの夏までは。小姓の少年は、ウルリッヒが想像していた転生者像とはほど遠い姿で、あまりに口が悪く、未熟で、この世への誕生を恨んでいた。それがマリアの指す「混乱」の状態であれば、いずれは正気を取り戻すのかもしれない。そしていつかはカールや人々を導いてくれるのだろう。そのはずだが、ウルリッヒはなかなか信じられなかった。だから少年はホルガーに預けたのだ。


 葡萄酒がなくなってしまった。


 頃合いと見て、ウルリッヒは重い腰を上げ、領主の姿に戻ろうと背筋を伸ばした。改めて長机を見下ろし、次にすべきことを逡巡してから溜息をついた。


「やれやれ、あいつに頼まないといけないな」


 ウルリッヒは長年の友人のむさくるしい顔を思い浮かべ、苦笑交じりに扉を開けた。

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