第2部 第20話 自警団長の責務

 領主が統治するツァイムの街には、珍しく市庁舎が存在する。「市庁舎」とは本来、皇帝直属の帝国自由都市などで、市の代表者である市議会が市政を行う場所として建てられる建物だ。


 ツァイム領邦の統治管理の一切を領主であるカレンベルグ家が担っているため、ツァイムの街に市議会はないが、早くからギルド(職業別組合)が結成され、各職業人をまとめあげてツァイムの経済を取り仕切っていた。具体的には、手工業における徒弟・資格制度の樹立、同業種内の品質保持、商人間では物価の相場操縦、港利用の権利化などが挙げられる。ツァイム領主はギルドの執務場所として市庁舎を提供し、ギルドの運営に干渉していたのだ。


 組合員のメイソンは、何度もこの市庁舎に出入りしていたが、今日ほど緊張して扉をくぐることはないだろう。地上階入口のすぐ横にある大部屋の扉を開けると、長机の奥側に座る領主の姿が見え、昨日の威勢はどこにいったのか、メイソンは震え上がった。


 領主はまるで市庁舎を自邸のように振舞い、鷹揚に構えている。隣に座る大司教は、急な会合への出席を余儀なくされ、片肘をつき「早く終わらせてくれ」と言わんばかりに、人差し指で机を叩いている。机の横に立っているのは領主家の長兄カールのようだ。


 昨晩の直談判の結果、設けられた貴重な会合に、メイソンは強面な十人を選んで連れてきたが、彼らもメイソンと同じく、権威者を前に萎縮してしまったようだ。


「よく来てくれた。さぁ、昨日の約束通り、酒を片手に語ろうではないか」


 領主は自ら葡萄酒の瓶を手に取り、自警団員の持つグラスに注いだので、余計に彼らは縮こまってしまった。


 グラスに注がれた薄く緑がかった液体を喉に流し込んでも、一切の味がしない。怖気づいている場合ではないと、メイソンは一度固く目を閉じて、自身を奮い立たせた。そしてメイソンは領主の目を正視し、「ツァイムの市民のために」とグラスを軽く掲げた。


 メイソンたちが椅子に座り、領主も自席に戻ると、自然と会合は始まった。


「改めて自警団の皆様にお集まりいただき、御礼を申し上げます。この度の会合は、私、カール=フォン=カレンベルグが進行役を、」


「いや、すまないな、カール。時間がないのだから、本題に入るとしよう」


 領主はカールの言葉を遮り、そしてメイソンひとりに目線を合わせてこう尋ねた。


「単刀直入に聞く、何が望みだ」


 その場の空気が凍る。昨晩は領主の末娘、マリア・アマーリエを槍玉にあげ、領主自身も「疑いが晴れぬというのであれば」と会合を設けた。その言葉通りに会合が進むのであれば、まず娘の誤解を解くのが先だろう。しかし、この領主は、メイソンの小賢しいやり方を見抜き、自警団の真意を聞いてきたのだ。


 自警団の面々が心配そうに見守る中、メイソンは深呼吸をして、言葉を慎重に選びながら話し始めた。


「自警団を組織した石工組合のメイソンだ。昨晩の無礼な振る舞いを許してほしい。お察しの通り、マリア・アマーリエ嬢の背教がこの度の主たる議題ではない。我々が領主に求めているのはツァイムの街の治安改善だ」


 領主は机に肘をつき、メイソンを見つめる。隣で大司教が軽く息をつき、そっぽを向いた。


「昨今、他国や他領地からの流れ者が多く、元々の住民たちの生活を圧迫しているのをご存知か。財の多い者は我々から住処を奪い、社会からあぶれた者は盗みや暴力沙汰を起こし我々から安心を奪っている。だからこそ我々地元民は立ち上がったのだ」


 領主は頷いた。メイソンが続ける。


「我々の要求は、まず移住者の数を制限すること。浮浪者などを取り締まること。そして昔からツァイムの街を支える地元の住民たちに、旧市街住居地区の居住権を優先させること、税金の優遇措置を取ること」


 これらの要求は、別に自警団で話し合ったものではない。結局組合での話し合いは自警団の結成のみに留まり、ここまでを話し合う余裕がなかった。そのため、あくまでメイソンの独断で話したものである。しかし、要求の内容は的を射ていたようで、同席した団員は総じて頷いていた。


「新市街はそのまま、移住者たちが住まう場所にすれば良いだろう。ツァイムの歴史と伝統が根付く旧市街地は、ツァイムの民が守る」


 メイソンの言葉に「そうだ!」、「俺たちの街だ」と同調し、団員は盛り上がった。


「つまり、新参者をいじめて、古くからいる自分たちを優遇しろ、しかも仕事をくれと。子供の駄々をこねたような要求ですな」


 水を差したのは、これまで黙っていた大司教だ。血気盛んな団員が声を荒げながら立ち上がったが、他の者が取り押さえた。


 フンと鼻息をついて、大司教は続ける。


「そもそも、自警団なんておこがましい。検邪聖省が発布した心得違いを独自に解釈したようだが、お前たちのような市民が勝手に教会の力を利用するなんて、それこそ主への冒涜だ。恥を知りなさい」


 メイソンは大司教を睨みつけた。


 大司教ウリエル=フォン=ナッサウは、七年前に前大司教が逝去したのを機に即位した。代々ツァイム大聖堂の大司教を排出する優秀なナッサウ伯爵家の出だが、この大司教は市井の間では何かと悪評が立っていた。


 五十年程前にこの地で活版印刷技術が生まれ、大量に同じ内容の書物を発行できるようになると、当時の選帝侯は資金難を抱えていた印刷所に出資して聖書を刷り上げ、各地へと売り捌き、教会の資金源とした。このツァイムの成功譚を真似て、各地の教会は徐々に金儲けへと走り始める。教会は今、戦地で敵兵を殺めた騎士を相手に、殺人罪を犯した罰を免除する「贖宥状」を大量に発行して売りつけているのだ。


 ツァイムでは前大司教が聖書の教えに立ち返ったものの、この新しい大司教に代わってから、また贖宥状が横行するようになった。そして新たな贖宥状は以前のものとは性格が違うものであり、それが領民を困らせていた。


 ハインリヒ帝国では盗みや暴行といった罪を犯すと、司法と教会法の二つで裁かれることとなる。司法は、市民生活の平穏と安全の保持を目的とし、些細な市民間の揉め事は世俗裁判にて当事者同士の話し合いを設けて、基本的には和解ないし示談で解決する。一方、教会法は「教会社会の秩序維持をするために、神を背き、犯罪に走った者を回心させる」ことが目的のため、罪が認められれば、軽いもので教会への奉仕といった刑罰が課される。


 しかし、新たな大司教は「贖宥状」に刑罰を軽くする効力を持たせてしまったのだ。つまり、金を積めば悪人は罪から逃げられる。これはツァイム大聖堂の教区でしか通用しない贖宥状であることが、唯一の救いではあるが、泣き寝入りさせられた被害者が多いのも事実だ。贖宥状で得た資金はツァイム大聖堂の修繕改装に充てられるようで、石工のギルドにも修繕費用がどれくらいかかるか問い合わせがあった。応対したメイソンの妻は、その夜に「教会なら新市街の貧しい子供たちに分け与えられないのか」と夫に嘆いた。


「まあまあ」


 静観していた領主が仲裁に入る。


「要望はそれだけか」


「今いる新参者を追い出せと言ったら、叶えてくれるのでしょうか」


 しばし逡巡した後、領主は何かを言いたげに口元に笑みを滲ませた。


「取引次第だな。一度、メイソン氏以外は退出願おう。カールもだ。大司教様は、」


「私は中立だ。賢い領主様が悪巧みをしないように見張るためにも中にいよう」


「では大司教様には証人になっていただこう」


 領主が目で合図すると、カールが頷き、率先して扉を開けて外へと出た。他の団員は戸惑いながらも、「がんばれよ」とメイソンの肩を叩き、後に続く。


「さて」


 領主は扉が閉まる音を確認してから立ち上がり、メイソンの隣席へと座り直した。大司教は奥の席でつまらなそうに欠伸をしている。


「メイソン殿、芝居を打たないか?」


 領主からの提案はとんでもないものだった。



 旧市街には数軒パン屋があるが、中でも二、三年前に他国から越してきた家族が営むパン屋の焼き菓子は香辛料をふんだんに使ったもので開店直後から評判を呼んでいた。メイソンの妻も好物で何度も買い出しに来させられたのを覚えている。


 もうあの味が食べられないとなると残念で仕方がない。


 そんなことをぼんやりと考えているメイソンに向かって、パン屋の奥方が路上で手を合わせて必死に祈っていた。店内では自警団の面々が覆面をしながら、藁を床に敷き詰めて仕上げに油を撒いている。奥方は無言で作業をする自警団の連中に時々すがるようにして服の裾をつかみ、何か訴えるが、彼らは奥方の顔を見ようとしなかった。そんな地獄のような光景が視界に入らないようにメイソンが目を瞑ると、先日の領主との会談が蘇る。


 会談では、地元市民による旧市街地の居住権の優先的獲得、新規移住者の居住区域の新市街地への限定について領主の了承を得た。税金においては、今後は所得に応じて税金徴収率を設定するように法案を変えると約束を取り付けたので、会談は成功に見えた。しかし、領主は要求を受け入れる代わりに、自警団による裏の警備を依頼してきたのだ。


「芝居と言ったな。自警団には昼の街の治安を守ってもらいたいのだが、実はこの街にはツァイムの経済、言うなればギルドが保っている秩序を揺るがそうとする悪党が裏ではびこっている。それらを排除するために、メイソン殿が最も信頼している者を数名選び、特別な奉仕に従事してほしいのだ。まぁ少々汚れ仕事になるだろう」


 メイソンの鼓動が早くなっていく。もちろん、領主が自警団の要求を呑んだ時点である程度は覚悟をしていた。しかし、この暗躍で、自分はどれだけ手を汚さなければいけないのだろうか。メイソンはなんとか返答をしようとしたが、急いては言葉が詰まった。


「その者たちを、どのように見分ければよいのでしょうか」


 メイソンはそう問いかけながらも「俺にはできない」と頭の中で叫んでいた。領主は口角を上げて、答える。


「我が息子、アイテルから連絡させよう。ゆくゆくはギルドの管理権を任せるつもりでいるから、顔を見知っておいたほうが良い」


 メイソンが俯いても、領主は続けた。


「汚れ仕事といっても、人を殺めるような真似はさせない。市民に武器の所持を許していないのだから、暴力は許さない。ましてや貴殿は今のツァイムに必要な職人の手を持っているからな。人を殴らせて、その技術を失わせるわけにはいかないのだ」


 メイソンは、奥歯を強く噛んだ。


「住居に火をつけなさい。旧市街に並ぶ家ももう古いからな、悪人を追放できて、取り壊しの必要もなく、区画整理も進んでよい。悪人はこちらで預かろう。小悪党たちとまとめて面倒を見るから、案ずることはない。火事が起きれば衛兵も飛び出して火消しに回る。そのときに悪人の身柄を預ければよい」


 メイソンはあのとき表情を変えずに、「火を付けろ」と言った領主が恐ろしくてたまらなかった。しかしもっと恐ろしいのは、今自分がその命を忠実に守ろうとしていることだ。


 ギルドで話題に上がった肉屋の旦那と、パン屋の奥方が姦淫の噂の実態は、北の島国出身であるパン屋の奥方が密造している蒸留酒を、肉屋が秘密裏に購入しているというものだった。しかも肉屋を通じて他領地にも密造酒を大量に出荷しているという。課税対象である酒が密造され、しかも金銭授受が個人間で発生しているとなると脱税に当たる。そこで月が雲に隠されている今夜、裏の自警団は正体がわからないように顔を布で覆い、パン屋に乗り込んだ。別の団員が罪のない主人と子供を避難させ、貴重品などの私財、そして密造酒も別の場所へと移動させた後、メイソン自ら、住居兼店舗に火をつけた。十分に火種となる藁に油をしみこませて床にまいたので、火のつきもよい。


「やめて、私が悪かったわ!やめてえ!」


 奥方の悲鳴に、隣近所の家から人々が出てきては、井戸からあらゆる容器に水を汲んで消火活動に励んだ。しかしなかなか火が消えない。メイソンたちは押し寄せる野次馬に紛れるようにして、暗闇に姿を消した。


「これで、街は良くなっていくんだよな?」


 横を歩く親友に不安げな声で問いかけられても、メイソンは答えられない。安易に自警団を結成してしまった責務は重くメイソンの肩にのし掛かっていた。


「もう今夜はこれで終わりだ。顔が見られないように早く帰れ」


 メイソンはそう言ったが、自身はいつもの仕事終わりに聖堂まで足を運び、近くの井戸で水を汲んでは、油臭い手を入念に洗った。


 自分の手を汚さずに、なんて考えが甘かった。領主は想像よりも器が広く、魅力的で、そして遠くを見通す鷹の目を持っていた。ツァイムの市民のためにと勇んで向かい出たものの、呆気なく口車に乗り、今まさに前線で、ツァイムの街に潜む汚泥の掃除に努めている。


 メイソンは、自分の不格好な手を見つめた。徒弟時代からコツコツと技術を研鑽したこの手は、メイソンが考えるよりも先に動きだし、見事な石細工を彫り上げる。何よりも、誰よりも信頼している自分の手で、かつての仕事に火をつけ、裏切ったのだ。


 メイソンは独り、自分の弱さに泣いた。

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