第2部 第19話 石工のメイソン

「っぷはあ、この一杯で生き返るな」


 ツァイム旧市街、工房が立ち並ぶ三番地の角にある居酒屋は、良心的な値段で酒が飲めると評判の店で、職人たちの味方だ。石工(いしく)のメイソンたちは仕事帰りにこの店で一杯引っかけるのが習慣になっていた。ツァイムご自慢の麦芽酒で喉を潤せば、疲れも忘れてしまう。


「忙しそうだな」


「ん?ああ、ほら、例の区画整理でさ。ようやく新しい壁をつくり終わってさ、次は古いのを片すんだ。また当分は壁と戦うよ」


 帝国の街は石の壁、市壁で囲まれている。この市壁は領主の統治下にある独立空間、いわば行政地区を囲っており、他領主の兵、他国兵、獣たちといった外的な存在から街を守り、市民の安全を保証するものだ。市壁の外には、領主と封建的主従関係にある荘園領主が管理する農村や、獣の棲みかである黒い森が広がっている。


 ただ街の住民が増えてくると、面積を自由に広げられない市壁は厄介な代物でもあった。国境から近い都市領のツァイムは他領地、他国から移り住んでくる人間も多い。メイソンが請け負っている市壁工事も人口増加に伴って領主から直々に発注されたもので、旧市街の外側に新たに設けられた住居区画、新市街を囲む市壁をようやくつくり終えたところだった。ツァイムの街の様相を変える一大工事も、もう五年目となる。


「仕事はいいんだよ、べつに、たださぁ」


「家のことだろ?うちも母ちゃんに毎日ブツブツ文句言われて困っているんだよなぁ」


 石工や建設業の懐は、長期工事で潤っている。問題なのは個々人の住居だ。市壁で囲まれた街の構造は単純で中央広場、大聖堂、市庁舎の三つを中心に、渦を巻くようにして店舗や住居が建てられる。中心に近いほど市壁から遠く安全なので、街の成り立ちに関わった者か、権威者、もしくは資産家が住まう。


 移住者は街の外側に住むのが妥当だが、中には資産家や他国から派遣された特使がいて、彼らは平民と共に新市街に住むことを好まない。そのためメイソンのような地元住民が苦労して手に入れた家の隣に、素性が知れない外国人が入れ替わり立ち代わり住む事態が増えてきたのだ。また旧市街の住居を求める新規移住者が増えると土地単価が高騰し、住居費もつり上がっていくという経済都市ならではの現象に地元住民は頭を抱えていた。


「古い街だからな。俺らが子供の頃は、みんな顔見知りで通りを歩けば悪さなんてできなかったよな」


「ああ、でも今は知らない顔ばかりで気味が悪いよ。どうせ二、三年で帰るんだから、わざわざ旧市街を選ばなくてもいいのにな」


 近年、古参者と新参者との間に溝が生まれていたが、そんな市井の状況も知らずに、領主は昔からの住民の感情を逆撫でするような施策をつい先日発表したのだ。


「しっかし、『旧市街に住む者で、新市街への移住を希望する者には支援金を支払う』なんて、金がない奴らは外にいけってことだよな」


「まぁ実際、金額に目がくらんで、もう引越ししちまったやつもいるようだな」


「でも旧市街の家は狭いんだよなぁ。じいちゃんの頃なんて、今と同じ家賃で倍以上の広い家を住んでいたぜ」


「新しいとこは広いのか?」


「全然違うよ。広いし、家の値段も半額」


「俺はアリかな」


「子どもが増えるなら、まぁでもなぁ」


 普段から石を抱え、腕っぷしに自信のある大の男たちだが、家の話題になると肩を落とし、その背中は小さく見えてしまう。


 腹にたまった愚痴を吐き出していると、麦芽酒の泡がすっかり消えてしまい、メイソンはグラスに残った黄金色の液体を揺らした。すると突然陶器の割れる音が店中に響く。 


「この野郎、イカサマしやがって」


 怒号に鈍い音が続く。どうやら賭け事に興じていた集団の一人が殴られているようで、メイソンは仲間の肩越しに騒動を傍観した。


 机の上のグラスが床に落ちて、破片が飛び散っている。さらに殴りかかろうとする男を、仲間の男が押さえつけ、別の者が倒れた男を起こそうとしている。


 事態はそれで収まったかのように思えたが、突然店内にいた酔っぱらいが面白がって、取り押さえられた男を殴り、野次馬を交えて店内は乱闘騒ぎへと発展してしまった。


「おちおち呑んでられないじゃないか」


「最近ああいう手合いのものが増えたな」


 メイソンたちが遠巻きに見ていると、今度は別の方角から悲鳴が聞こえてきた。


「泥棒!ああ、畜生め!財布が盗まれた」


 乱闘を囃し立てていた野次馬の連中に、盗みを働く不届き者が現れたようだ。メイソンたちは一同に体をまさぐり、安全を確かめた。


「昔より治安が悪くなっているな」


「外側はもっとひどいらしい、浮浪者たちが道のそこかしこで寝ているんだから」


「一体どうなっちまうんだ」


 新市街の治安の悪さは、ツァイムの目下の課題だ。移住者の中には街から街へと移り行く貧困者もいて、新市街の空いている区画を根城にしているようだ。


 疲れを癒すために頼んだ一杯だったが、今日はなんだか飲み干す気にも、飲み直す気にもなれず、メイソンはそっとグラスと勘定を机の上に置いて、席を立ち上がった。



 毎朝出勤前に、自宅近くの小さな聖堂に立ち寄るのがメイソンの日課だった。日曜は家族と共にミサに訪れる聖堂で、列席に座り、朝の挨拶代わりに短い祈りを捧げると、気持ちが落ち着いて仕事にも身が入るのだ。しかし今朝は聖堂の前に人だかりができていた。


「おや、メイソン。早い出勤だね」


「おはよう。一体どうしたんだい?」


「これだよ、これ」


 昔から顔なじみの初老の男が指差したのは、扉の前に貼られた紙だった。そこには禁書などを取り締まる「検邪聖省」の名で、以下のように書かれている。


『以下のような心得違いの振る舞いをするものは背教者と見做す。

1、神の教えに背くもの

2、ほかの神を崇めるもの

3、親を背くもの

4、姦淫を犯すもの

5、盗みをはたらくもの

6、殺しを行うもの

7、嘘をつくもの

8、前世を語るもの

検邪聖省』


 一通り読み上げてメイソンは頭をかいた。


「なんだこれは?」


 何を意図してこの張り紙が掲示されたのか。


「これって神父様が子供たちに教えていることだよな?」


 街の子供は、学校で読み書きやそろばん、算術を教師から学ぶ一方で、社会生活を円滑に送るために欠かせない倫理や道徳は、日曜の教会で聖職者から教えられる。その説教に用いられるのが、張り紙にある箇条書きだ。神の教えに従いなさい、親を敬いなさい。さすれば、天国への道が開かれるだろう、と。


「ん?でも八番目なんてあったか?」


「前世ってなんだ?」


 教会の説く教えには前世の概念がない。人が死ねば、最後の審判を待つだけだからだ。


「生まれる前の世界ってことか。光の国を知っているなら話を聞いてみたいけどな」


「死んでも生き返るのか?」


「酒を飲まずにか?」


「あんたたち、冗談ばっかり言うんじゃないよ。神の子じゃあるまいし、人が生き返るわけがないでしょう」


「まぁそうよねぇ」


「ああ、だからか。生き返られるのは神の子だけだから、他はいちゃいけないんだよ」


「教会的な不都合があるってか」


「人は生き返れないんだろ、じゃあなんで教会はわざわざこんなのを貼るんだ?」


 一同に首を傾げていると、肉屋の息子が思い出したかのように、ぽんと手を打った。


「ああ、そういえばこの前買い物にきた侍女が話していたよ。領主様のお嬢様が、前世を知る小姓の少年に襲われたって」


 その話に大人たちはざわめいた。「ほんとに生き返ったやつがいるのか?」と動揺を隠せない者もいる。


 それまで自分とは関係ない話だったのに「小姓の少年」という世俗的な存在が、妙に話に現実味を帯びさせてしまったからだ。もしかしたら周りにもいるかもしれない、それが自分の子供かもしれないと。自ずと人と人との間に距離が空き、人々はぎこちなく微笑んで「困ったものだ」と言いながら、それぞれの仕事場へと向かった。

 ただでさえ、素性の知れない人間がはびこり、街の空気が張り詰めているのに、このような見知った顔の腹を探らせるようなことをするなんて。信仰心の厚いメイソンは、教会の横柄なやり方に嘆息した。


 今日は祈る気にもならない。


 メイソンが再び掲示を見上げると「盗み」の字に、昨夜の光景が浮かんだ。そして現状を打開する、この上ない策が閃いた。



 その夜、同職組合の集会でメイソンは仲間にこう提案した。


「俺たちで自警団を結成して、背教者を取り締まらないか?」


 ここには長くツァイムに住み、勝手知った人間しか参加していない。だからこそできる提案だった。


「どういうことだ」


「今朝の礼拝堂の張り紙を見たか?盗みをするものは『背教者』だって」


「書いてあったな」


「ここ数年、他国や他領地から新参者が旧市街に住み着いている。それだけならまぁまだ良いが、新市街が生まれ、そこに居座る浮浪者たちで暴力や盗みを働く奴が増えてきた。そんなこと許せるか?俺たちが守ってきた、この街で、だぞ」


 普段は意識をしていなくとも、生まれ育った街への愛情をもつ者は多い。故郷を荒らす不届き者が現れれば、その想いを正義として振りかざし、人々は団結して抗おうとする。そんなメイソンの睨みは当たっていたようだ。あちこちから「確かにそうだな」、「昔はよかった」といった同意の声が上がった。


「でもあいつらは殺しまではしていない」


 誰かが弱気な声で反論する。


「時間の問題だ。貴族の奴らが持ち込んだ賭け事が今や居酒屋で横行して、多額の借金をする奴らが増えている。全財産注ぎ込んで家を失った奴もいるって話さ、そんな奴らなら金を手に入れるためになんだってするだろう」


「そういったモンの取り締まりは衛兵にでも任せればいいだろう」


「この街で生活しているのは誰だ?衛兵は結局のところ、豪勢な城に住む貴族様だ」


「でも俺らにはなんも力がないじゃないか。内乱はご法度だ。街の奴らを捕まえたところで、俺らが衛兵たちに捕まっちまうよ」


 賛成と反対の意見が行ったり来たりしている。心が揺れ動いている証拠だ。


「いいや、教会が後ろ楯になってくれる」


 メイソンの目が鋭く光った。その迫力に、野次を飛ばしていた男たちは静まった。


「司教様が了承したのか?」


「いいや。言ったじゃないか。教会本部の検邪聖省が公表した張り紙がある。あれが俺ら自警団の活動の根拠だ。敬虔な俺らは張り紙に従って、教会のために背教者と思わしき人物を捕まえるんだ。衛兵たちが俺らを取り締まったら、教会の教えを否定することになるだろう。だから無用な手出しはできないさ」


 先ほどとはまた違ったどよめきが起こった。


「隣に引っ越してきたパン屋の奥方が、肉屋の旦那と浮わついているようなんだよな」


「姦淫は背教だ」


「この前、客の外国人に、注文が間違っているから代金返金しろって言われて、でも品物は持っていったんだ!嘘も背教だろ」


「新市街で寝ている奴らって大体食い逃げしているよな」


 徐々に仲間たちは、各々で抱えている不満を吐露し、背教に結びつけ始めた。彼らを後押しするのは、家族や故郷を守るという大義名分であり、権威者による後ろ盾があればもう怖いものなどなくなる。


「メイソン、まずはどこから始める?今夜からやってもいいぜ」


 小さな火種から大きな炎が生まれそうだ。


 士気を高めた組合の連中を見て、メイソンは腕を組んだ。人々の猜疑心を新参者に向けさせる作戦はうまくいったが、ただ雰囲気に呑まれて連中が暴走したら元も子もない。自警の目的はあくまで、地元民による治安維持であり、背教者への暴力行為ではない。気の荒い連中を導き、確実に目的を達成するためには、下準備とちょっとした「後押し」が必要かもしれない。


「取り締まる前にまずやっておきたいことがある。挨拶もしに行かなきゃな」



「無礼にも程がある。不敬罪に処しても良いのだぞ。如何なる理由で我が娘、マリア・アマーリエを出せというのか、申してみよ」


 威厳のある領主の声が、ツァイム城の裏にある深い森に響く。街で流れている自警団の噂を知ってか、領主は騎士を従えて城門から姿を現し、メイソンたちを一喝した。


 メイソンたちが自警団を結成した翌々日、男たちは松明に火を灯してツァイムの街を治める領主の元に向かった。松明に照らされて浮かび上がる初老の男の佇まいはやはり統治者としての貫禄がある。メイソンは負けじと凄んだ。


「先日、少年を教会が審問して背教者と断定したと聞いた。これは魔女狩り以来の由々しきこと。神に守られしこの街を脅かす事態である。しかし事の発端は、少年がマリア・アマーリエ嬢に話しかけたことにあるとも聞いた。ならば、マリア・アマーリエ嬢が人を背教へと誘う魔女なのではないか」


 そうだそうだと、野次が飛ぶ。


「娘を隠すということは、真実を隠すのと同じ。神に逆らうな、真実を白日の下にさらせ!娘を明け渡せ!!」


 メイソンの熱意にほだされ、男たちは次々と喚声をあげた。一方、領主は全身から湧き上がる怒りを逃がすかのように、唇をかみ締めて頭をふる。再び顔を上げて、こう言った。


「娘の無実は、神に仕えし領主の私が保証しよう。ツァイムの民よ。一人の背教者が出たところで、貴殿らの生活が脅かされることはない。これまで通り、隣人を愛し、日々、慎ましやかに生きられよ。疑いが晴れぬというのであれば、明日、市庁舎にて大司教と共に話を聞こうではないか。葡萄酒を共に飲み交わし、街の将来を語ろうぞ」


 領主の言葉に、自警団はざわついた。領主が自ら下々の者と同じ卓に座り、語らうなんてことは考えられない。


「俺たちの話を聞くっていうことか?」


「大司教様を出されちゃうとな」


 動揺が広がり、人々を冷静にしていく。その中でひとりメイソンは満足そうに微笑んだ。


 上出来じゃないか。


 教会を後ろ盾にすると、言葉巧みに仲間を言いくるめたメイソンだが、実のところ自警団の動きは教会に一切の得がないので、教会が公式に否定すればそれまでだとわかっていた。だからメイソンは昨晩から自警団の噂を流し、今夜の派手な行進と糾弾でツァイムの街と城に自警団の存在を知らしめ、領主との交渉にこじつけたかったのだ。そこでメイソンは、騒ぎの発端となった領主の娘を交渉材料に選んだ。少女には申し訳ないが、これが市民を誰も傷つけずに街の治安を改善させる最善策だと考えたのだ。


「あいわかった!では明日、昼時に市庁舎にて貴殿を待つ。来なければ話し合いは決裂したものとして、再び我々は城を訪れる!」


 メイソンの言葉を合図に、自警団が城を後にすると街へと続く馬車道に松明の灯りが連なった。メイソンには、その力強い炎が、ツァイムの街を輝かせる希望の光のように見え、自ずと胸を張った。


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