第8話 愛の調
観客の盛り上がりを見ると、カールは人気の騎士らしい。国境沿いにあるツァイムは対外的な緊張が絶えないが、領内では市民同士の小競り合いの仲裁への対応など衛兵的な役回りにあたることが多い。また訓練がてら定期的に催す武芸試合は一般の観覧が許されており、試合で連勝するカールは子供たちの憧れとなっているようだ。そんなカールが新騎士の試合に突然現れたのだから、声援が飛び交うのも無理ない。
しかし最初は騒がしかった観客も、対峙する二人の気迫に圧倒されて口を閉じるようになり、会場の空気は徐々に張り詰めていった。二人は向かい合いながら、互いに攻め込む機会を見計らっているようだ。
「そんな若造、さっさとやっちまえ!!」
動かない二人にじれったさを覚えたのだろうか、水を差すような野次が騎士の控え席から聞こえてきた。声からしておそらく次兄のアイテルだろう。両手を合わせて必死に応援するマリーもたまらず控え席のほうを睨む。
するとマリーが二人から目を外した瞬間、喚声が湧いた。
どうやら一瞬野次に気を取られたカールの隙を見逃さなかったクラウスが、間合いを詰めて、カールの兜を目掛けて槍を突いたようだ。カールの頭の横を、クラウスの槍が突き抜ける。勢いをつけて真っすぐ飛び出したクラウスの馬が、柵に突っ込まないように土埃を巻き上げて速度を殺し、急ぎ体を捻って体勢を戻そうとする。そこにカールが間髪入れずに攻め込み、脇から、クラウスの頭を目掛けて槍を突き上げた。槍がクラウスの盾に激突して、鈍い音が会場に響く。
槍から受けた衝撃は強く、クラウスは馬ごと後ろに飛んでいった。一瞬、クラウスの体が鞍から浮いたように見えたが、なんとか足を踏ん張って堪えたようだ。
「槍をこれへ」
マリーが声のほうに視線を向けると、カールの槍の先端が折れ曲がっているのが見えた。もし体で受けていたら、ひとたまりもないだろうと想像するとマリーは体を震わせた。
カールは従騎士から新たな武器を受け取ると、すぐさま間合いを詰めて、クラウスの懐に飛び込んだ。攻撃を許したのはクラウスの油断ではなく、経験の差によるものだろう。槍の応酬が続き、互いのしのぎを削るが、両者とも決定打を出せずにいるようだ。長いやりとりは、二人の集中力を徐々に奪っていく。
ついに、クラウスの一突きがカールの胴体に当たり、のけぞった。すかさず二撃目がカールの頭を狙って突き出され、観客の誰もが「決着がつく」と確信したが、勝負はなんとも思いがけない形で着く。
カールが左手の盾を、クラウスの槍の柄にぶつけ、盾ごと槍を投げ飛ばしたのだ。観客が宙に舞う二つを見上げた次の瞬間、落馬していたクラウスの喉元にカールの槍が突きつけられていた。新騎士はたまらず大きな溜息をつき、両手を上げて降参する。
途端に大きな歓声が沸き起こり、二人の戦いを称えるように惜しみない拍手が贈られた。もちろんマリー一人を除いて。
「さすが、カールお兄様ね」
興奮も冷めやらぬ様子でイルゼはマリーに話しかけたが、妹の表情を見て、自身の不用意な発言に後悔して急ぎ口を両手で塞いだ。
馬から降りたカールが、膝をついている新騎士に手を差し伸べると、クラウスは新人らしく自力で立ち上がり、先輩騎士に向かって頭を下げた。二人がどんな会話を交わしているのかマリーには聞こえないが、カールがクラウスの肩を強く叩く様子は見てとれた。
クラウスとカールは、カレンベルグ家主催の狩猟で何度か顔を合わせたことがある程度の仲のはずだ。カールがなぜわざわざ新人に対戦を申し入れたのか、最後までマリーにはわからなかった。
その夜、寝室の窓から聞こえてくる宴の騒ぎが気になり、マリーは日課の読書に集中できずにいた。寝室からは宴会場に近い中庭を一望でき、楽しげな音が漏れて聞こえるため、普段なら窓を閉めたり早々に寝てしまったりして音を遮断するが、今夜ばかりは宴会に参加しているだろうクラウスの存在が気になって仕方がなかった。
貴族の息女は悪い虫がつかないように、結婚するまで社交場への参加は許されない。マリーが、宴会場の様子を知るには、漏れてくる音に耳を澄ませるしかなかったが、今日は参加人数が多すぎて雑音しか聞こえない。
仕方なく、マリーはベッドに横たわり、枕に頭を預けて、目を閉じてみた。まぶたの裏に浮かんでくるのは、初めて会ったときのあどけなさが残る少年とはまったく違う、青年の表情をしたクラウスの姿ばかりだ。叙任式での堂々とした姿、カールとの真剣勝負で見せた勇姿、どれもマリーの心を締めつけた。
月の光が差し込み、眩しさを覚えたマリーは鎧戸を閉めようと、窓に近づいた。月明かりを頼りにぼんやり中庭を眺めていると、黒い人影が見えた。
マリーの願望がそうさせるのか、その人影は黒髪の若い男性のように見える。見間違いかもしれない、しかし一度そうだと考えてしまったら恋する乙女は、中庭に向かわずにはいられなかった。
マリーは一縷の望みを託して、外套をはおり、寝室から飛び出す。いや、一度飛び出したものの、部屋に戻ってベッドの枕を縦に並べては上に敷布を被せ、人が寝ているように工作して、鏡を覗き込み髪の乱れを直してから、再び飛び出した。
なるべく音を立てないようにして階段を降り、衛兵の目をかいくぐって、中庭へと向かう。幸い、夜中続く宴会で侍女や使用人たちは仕事に追われているので、マリーがひとり部屋を抜け出しても誰も気付かない。来賓たちも酒に音楽にと大忙しのようだ。
中庭にようやく出ると、黒い影の正体が見えた。やはりクラウスで、上庭の噴水に腰をかけ、月を眺めていた。
先ほどの威勢はどこに行ったのか、青年の姿を捉えた瞬間、マリーは萎縮し、両足が止まってしまった。しかし「もうあのときの少女ではない」と自身に言い聞かせ、マリーは意を決して、話しかけた。
「良き夜をお過ごしでしょうか、クラウス様」
緊張のあまり、声が震え、掠れてしまう。クラウスはマリーの姿を見て目を丸くした。
「君は、」
「マリア・アマーリエです。昔、」
六年もの歳月はマリーから少女の頃の面影を消してしまっていた。クラウスが認識できなくても、仕方がないことだった。しかし、
「もちろん存じ上げています、貴方が誰かは」
その返答にマリーは言葉を失った。月明かりでクラウスの顔に影がかかり、表情が見えにくいが、微笑んでいるようにも見える。夜風がマリーの髪を撫でた。
「あ、あの、昼は兄上が失礼しました。お怪我はありませんか?」
マリーは声を絞り出して会話を繋ぐが、なかなか震えが止まらない。
「ああ、ご心配なく。ありがとう」
青年の返事は短いがその穏やかな口調は、マリーの心を落ち着かせてくれた。遠くから人々の笑い声や調子はずれの歌声、グラスがかち合う音が聞こえてくる。軽快な音楽に合わせて、みんな踊っているらしい。
月明かりが反射して、噴水が煌めいている。宴会場よりも、この場こそが恋人たちのダンスにふさわしい場所だろう。しかしクラウスには少女の手を取ってダンスに誘うような器用さはない。一方、マリーも「踊りましょう」と言えるほど大胆でもなかった。マリーにとってクラウスを近くに感じながら、同じ時間を共に過ごすだけで幸せだったのだ。
「月を」
「はい」
「月を見ていたんだ」
マリーが見上げると、頭上には見事な満月が昇っていた。どうりで明るいはずだ。
「美しいですね」
「今宵はより美しく感じる」
会話が止まった。二人にはもう十分だった。
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