第7話 黒髪の騎士

「まさに騎士になろうとする者、真理を守るべし。祈り、かつ働く人すべてを守護すべし」


 大司教が最後の剣を手に取り、剣先を順にクラウスの両肩に当てると、くるりと回し、剣の柄を新騎士に差しだした。黒髪の青年は柄にうやうやしく口づけた後、大司教から剣を両手で受け、剣の鞘を別の者から受け取ると、自身で剣を納めて再び大司教に剣を渡した。剣鞘には帯がついており、大司教の手によって新騎士の腰に着けられる。


 この一連の動きは「佩剣(はいけん)の儀」といい、叙任式には欠かせない儀式のひとつだ。騎士に授けられる剣は、神の子が磔にあった十字架を象徴しており、騎士が受け取ると主君に仕えながら、教会の信仰を護ることを誓う。剣を帯同した新騎士たちは、三度剣の抜き差しをしてから、剣を鞘に納め、「コレー」に備える。それぞれの父が壇上に現れると、それは厳かに始まった。


「ゴッ」


 広場中に鈍い殴打音が響き、方々から悲鳴のような声が聞こえて、マリーも思わず目を瞑った。コレーとは主役の者が別の者からの拳を受けて痛みでもって記憶を植え付ける、古くからある儀式だ。一生忘れない記憶にするためにも相手の殴打に容赦はなく、新騎士の中にはよろける者までいた。


 そして父がそれぞれの息子に、家紋が織り込まれた旗を手渡すと、叙任式のすべての儀式が終わる。五人の新騎士が列席側に向かって一列に横並びになると、自ずと歓声が沸き起こり、楽隊は管楽器を高々と鳴らして騎士たちの叙任を祝福した。


 慣れない儀式の緊張が解けたのか、壇上の若者たちは、気恥ずかしそうにはにかんだり、顔を背けたり。家族に手を振る青年もいた。


 マリーが拍手を贈りながら視線をクラウスに向けると、雷のようなものが体を走った。その鳶色の二つの瞳は真っ直ぐこちらを向いていたのだ。瞳に捕らえられたマリーは金縛りにあったように動けず、しかし体の奥から、熱いものが滲み出してくるのを感じた。


「あの騎士様、格好良くない? ほら見てみて」


 イルゼに強引に肩を揺さぶられ、マリーはようやく我に返った。胸に手を当てて鼓動の激しさを確かめ、もう一度目線を壇上に戻すと青年の姿はいつの間にか消えていた。



「堅苦しい儀式が終わったから、あとは応援するだけ。素敵な騎士様も見つけたし」


 イルゼは緊張をほぐすように、席に座ったまま背伸びをしている。まるで狐につままれたような感覚に陥ったマリーだったが、いつもと変わらない姉の様子に少し安堵した。


「え、まだ何かあるの?」


 妹の無邪気な質問に、姉は「信じられない」という表情を浮かべたが、それまで黙っていたゲルダが口を挟んだ。


「イルゼ様、マリー様はこれまで身を案じて、叙任式などの公の式典には参加されていなかったのです。ご容赦くださいませ。マリー様、これから昼食を挟んだ後、城にて武芸試合が催されます。多くの方は、式典よりもこちらを楽しみにされている方が多いでしょう」


「武芸試合って?」


 イルゼがゲルダに負けまいと、乗り出してマリーに説明を始めた。


「武芸試合では新騎士同士が戦うの。もちろん本物の決闘ではなくて、腕試しの試合よ。馬に乗って戦うから迫力はすごいし、何よりも真剣な騎士様の勇姿は本当に素敵なのよ」


「さあさ、急がないと席がなくなってしまいますよ。参りましょう」


 ゲルダは二人の主人をおいて、足早に馬車へと乗り込んだ。姉妹が補助なしでも馬車に乗ることができるようになったとはいえ、侍女頭の役目を忘れるほど、ゲルダも武芸試合を楽しみにしているようだ。マリーはイルゼと顔を見合わせて可笑しそうに肩をすくめると、続いて馬車に乗り込んだ。



 イルゼの話の通り、武芸試合は壮観だった。城が建つ丘の下にある「練兵場」とは名ばかりの野原に試合会場は設けられているが、柵で囲ってあるだけの簡易的なもので一般市民は柵のすぐ外側で、立ち見で観戦する。一方、領主家族や貴族は、柵の手前に建てられた大人の背丈ほどの物見台に席が用意されていた。マリーたちが階段で物見台に上がると、試合会場を一望でき、見下ろすように観戦できた。


「あの騎士様はどこかしら」


 イルゼが目を凝らし、軍馬に乗って入場する騎士たちの中から目当ての人を探すが、全員兜を被っていて誰が誰だか遠目では見分けがつかない。新騎士の一同は駆歩で会場を一周して、騎士となった姿を観客に誇らしげに見せているようだ。


「騎士同士の戦いは一対一が基本なので、剣や槍を通さない頑丈な板金鎧を防具として用いています。すべて金属板なので、手習いの子供一人くらいの重さがあるそうですよ」


 ゲルダの博識な解説に、マリーだけでなく、周りの女性たちも聞き入っていた。


「試合は伝統的に、槍と盾を用い一対一で戦います。馬上から相手を落とすか、相手に参ったと言わせたほうが勝利です」


 二人の新騎士が会場中央に現れ、対峙すると互いに名乗り上げた。それぞれの口上が終われば、審判の合図で試合が開始される。


「はじめ」


 合図を皮切りに双方が飛び出し、激しく槍を突き出す。もちろん槍といっても、先端に綿が詰まった丸い球がついている試合用の槍なので、突き刺しても体に穴を開けるわけではない。しかし勢いよく突けば青あざができるし、馬上から落とすこともできる。


 試合は力任せで勝てるような単純なものではなく、読み合い、馬や盾の扱い、運によっても、勝負の行方は変わる。一瞬で勝負がつくときもあれば、半刻以上も試合が長引くときもあるようだ。今まさに目の前で行われている試合は拮抗していた。二人の肩が上下に揺れ、疲弊していることがわかる。


 一瞬、互いの動きが止まると、一方の騎士が隙をつき、槍を真っ直ぐ突き出した。相手は急いで盾を構えるが、反応が遅れたため、盾のど真ん中に槍をもらう。強い衝撃を受けた騎士は落馬し、背中を地面に打ちつけた。


「勝負あり!!」


 観覧席から拍手と歓声が沸き、控えの騎士や従騎士たちがそれぞれの選手に駆け寄って、場外へと連れ出す。倒れた騎士は肩を借りていたが、自力で歩けるようだ。 


「ああ、あの方が敗れてしまったのね」


 兜を取った騎士の姿を見て、イルゼが残念そうに声を上げた。どうやらお気に入りの騎士が敗者だったらしい。


「次はクラウス様の出番ね。あら、でも新騎士同士でやり合うのなら、五人目のクラウス様のお相手はどうなるのかしら?」


 イルゼは首を傾げているが、マリーは相手など気にしていなかった。相手が誰だろうと、乙女の愛する者は負けないという、揺るぎなく、でも根拠のない自信があったからだ。


「我はクラウス=フォン=アインホルン。我に挑む者はあるか」


 クラウスの低くも通る声が、練兵場を囲う野山に響く。その口上に応えるように会場の反対側から一人の騎士が登場すると、観客席がざわめき出した。


「我が挑もう。我はカール=フォン=カレンベルグ。貴様を倒す者だ」


 カレンベルグ家の長兄は槍の先端を向け、騎士らしからぬ挑発的な態度を取った。


「お兄様、なぜあなたが!」


 思いもよらぬ登場に、イルゼが立ち上がって非難した。マリーが驚いていると、ゲルダが眉をひそめて、説明した。


「カール様は叙任してから六年は経つベテラン騎士で、いくらお祭りとはいえ、新人の相手をするような立場の人間ではありません」


 マリーがクラウスを心配そうに見ると、落ち着きを払っていて、対戦相手を静観しているようだ。


 どうやらカールの登場は騎士側にとっても予期せぬものだったらしい。本来出場する予定であろう騎士が準備万全の状態で呆然と佇み、従騎士たちが奥で慌てふためいている。しかし新騎士と、カレンベルグ家次期当主のカールという意表をつく組み合わせに、観客は大いに盛り上がっていた。


「貴様の実力を見ようではないか」


 カールは兜を被って颯爽と馬に跨ると、まだ困惑している従騎士に合図を出して盾を持ってこさせた。審判が両者、準備が整ったことを確認すると深呼吸をした。


「はじめ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る