第4話 誕生祭と金髪の少年

 自警団が城に乗り込んできてから、二ヵ月が過ぎただろうか。マリーは誕生日を迎えて七歳になっていた。


 門前で繰り広げられた自警団との応酬は城の語り草となり、領主の堂々たる対応に心を動かされた騎士たちは士気を高め、演習に力を入れるようになったらしい。


 しかし自警団の動きは、止まるどころか、坂道を転げる車輪のように勢いづいていた。その影響か、城内を巡る噂も毛色を変え、それまでは色めいた話が主だったのに、今や街の誰それが捕まった、審問を受けたといった話で持ちきりだ。城内で立ち話が聞こえてくるたび、マリーは耳を塞いでいた。


「ほら、あそこの肉屋の息子が捕まったって」


「大聖堂近くの腸詰が美味しいところ?」


「でも、あそこの息子ってまだ話せないくらい小さいじゃない」


「そういえば宝飾商がいうには」


 自警団が来城してからというもの、マリーは毎朝夕、城内の礼拝堂で街の人々を想いながら祈りを捧げている。しかしマリーは考えれば考えるほど、自警団の行いが腑に落ちなかった。一体生まれ育った街を荒らし、多くの人々を傷つけてまで背教者を断罪する意義はどこにあるのだろうか。それが彼らにとっての信仰なのだろうか。


「侍女たちの噂話は又聞きしたものです。気にされないほうがいいでしょう」とゲルダは言うが、少女はなかなか首を縦に振れずにいる。


 また、自警団に目を付けられたマリーは、父から謹慎を言い渡されていた。貴族の息女が城を自由に出入りすることは元々許されていないので、実際は普段の生活とあまり変わらないが、家族での遠出やいつも同行する接待は留守番となった。そのため、妹を不憫に思った姉は外出のたびに土産を贈り、乳母もティータイムには、菓子や果物など少しだけ豪華なものを用意してくれていた。いつものマリーならば、人々の優しさに涙をするところだろう。しかし、噂話が響く、暗く冷たい石の城の中に閉じ込められた少女は素直に笑うことができなくなっていた。


 マリーの中に渦巻く不安、申し訳なさ、捕らえられた人々への憂慮、様々な想いが重なり、絡み合い、マリーの心を固く閉ざしてしまったのだ。慢性的に胃が痛み、体がすべてを吐き出したいと声にならない悲鳴をあげ、朝起きるたびにせぐりあげて咳込んでいた。


 現実を忘れたいがために、マリーは寝室で書物を声に出しながら読むのが、日課になっていた。一字一字集中して読みあげて、耳も頭も言葉の音で満たす。その言葉に意味はいらない、ただ欲するのは音だけだった。


「マリー、ねぇマリーったら!」


 身体を揺すられて、初めてマリーはイルゼに名前を呼ばれていることに気付いた。顔を上げると、姉の呆れ顔が見える。


「今日は大切な日、お祝いよ、しっかりして」


 マリーが状況を読み込めずに呆けていると「もう!」と姉が怒った。


「最近豪華なお菓子ばかり食べているから、もう興味がなくなったのかしら! ほら、聖マルティヌス様の祝日よ。ヴェックマンとガチョウがやってくるわよ」


 姉の返しに、もうそんな季節がやってきたのかと、マリーは窓の外を見た。神の子が誕生した瑠璃の月の二十五日、その四十日前にあたる今日は聖人の日で、農民たちの仕事納めの日でもある。信心深い者はこの日を皮切りに、誕生祭に向けて断食を行うため、長期間の空腹に備えて聖人にまつわるヴェックマンというヒト型のパンやガチョウなど、栄養価の高いものを食べる。カレンベルグ家では、食事の習わしだけを都合よく取り入れていた。この日から教会、城、そして街中が柊、月桂樹といった雪景色に映える常緑樹で飾られ、誕生祭は一層盛り上がりを見せるのだ。


「もうそろそろ誕生祭なのね。今年はどんなものが食べられるかしら」


 教会最大の祭事である誕生祭は、前日から二週間ほど人々は仕事を休み、食べ、歌い、祝う。宴にはいつもとは違う豪華な食事が一斉に並ぶので、子供たちも楽しみにしているのだ。そして夜のミサには家族揃って参加するのが習わしで、大量の蝋燭の火が揺れるさまは、厳かで息を呑むほど美しい。


「みんな休んで、お腹いっぱい食べれば、幸せで満たされるわよ、ね?」


 イルゼの言わんとすることがわかり、マリーは微笑んだ。


「そうですよ! 最近マリー様は運動をしていらっしゃらないから、ドレスも誕生祭に向けて新調しなくてはいけません! さあさ、立ち上がってくださいませ」


 ゲルダはいつもの早口で急き立て、マリーを本から離した。イルゼや侍女に服を剥ぎ取られ、マリーはされるがまま腕を上げたり、足を上げたりして採寸されていると、母が扉から顔を覗かせた。


「緑に映える赤のドレスはどうかしら。そうそう、父上が仰っていましたよ。誕生祭が終わったら、みんなで仮面劇に出かけましょうって。良かったわね、マリー」


 謹慎が解けるということだ。イルゼが妹に抱きつくと勢いでそのまま二人とも床に倒れてしまった。ゲルダは「イルゼ様」と口では注意しながらも、目は優しく微笑んでいる。


「誕生祭が楽しみね!」


 イルゼの満面の笑みが目の前に広がり、久しぶりにマリーは口元を緩めた。



 その朝、窓から中庭を覗くと一面が雪景色になっていた。大聖堂が朝の鐘を鳴らしても、音が雪に吸い込まれるようで、いつもより遠くに聞こえる。


「誕生祭だ!!」


 イルゼが勢いよく天幕から飛び出し、窓の傍に佇むマリーに近づいた。


「今日は忙しくなるわよ」


 イルゼとおそろいの赤いドレスに着替え、胸元に父から贈られた飾りピンをつけてから扉を開けると、既に人々が城中を右往左往して、来客に対応していた。


 誕生祭当日は日々の感謝を込めて、領主自らが城で、領地に住まう人々に祝宴をふるまう。特別に開放された食堂や大広間には、すでに領民たちが集い、食事やめったに飲めない葡萄酒に舌鼓を打っていた。この日ばかりは無礼講で身分の壁を取り払い、後に顔を出す領主夫妻と共に酒を飲み、会話を交わすが、今年は自警団の件もあり、例年の倍以上の騎士たちが警備に加わった。


 マリーは階段の手すりに顔を寄せて、人々でごった返す吹き抜けの大広間を注意深く見ている。するとイルゼは明るく妹を励ました。


「さすがに自警団の人たちは来ないでしょう。来たらカール兄様が追い返すわよ」


 確かに玄関口では、今年騎士に叙任したばかりの長兄も城内に目を光らせていた。安堵したマリーはイルゼの腕に自身の腕を絡ませると、仲良く足取りをそろえて階段を降りた。これからの二人は忙しい。何百人と訪れる食事会は給仕が肝なので、城主の娘とはいえ姉妹も厨房に駆り出され、食事の運搬や雑用に奔走しなければいけないのだ。


 貴族らしく豪勢な食事にありつけた頃には日も落ち、夜になっていた。大広間では侍女が酔っぱらって床で寝ている領民を起こしている。疲労困憊のイルゼは、半分目を閉じて舟を漕ぎながら右手で肉の塊をつかんでいたが、彼女の粗相を注意する者はいなかった。


 姉妹のお腹が満たされると、領主一家は大聖堂のミサに出かけた。聖なる夜は、月が上がっていても森の木々が影を落とし、人々は暗闇と静寂に包まれる。ランプの心もとない光では、人々の顔を見分けることはできず、道往く人の数だけ点々と立ち上る白い吐息が目印となった。


 雪でぬかるんだ足元に注意しながら、粛々と大聖堂に入ると、マリーは蝋燭に火をつけて献灯し、軽く目を閉じた。


 ふと人の気配を感じたので目を開けると、いつの間にか隣に立派な毛皮のマントを羽織った金髪の少年が立っていた。暗闇の大聖堂でも輝いて見える金髪と、美しい宝石のような碧眼にマリーは目を奪われる。どうやら領主一家らしく、少年の保護者だろうか、大きな男がマリーの両親に挨拶をしていた。


 その少年はマリーの視線に気付き、振り向いて微笑むと、紳士のごとく頭を垂れ、手を差し伸べて挨拶をした。


「初めまして、マリー様。リヒャルト=フォン=ザロモンと申します」


 二人が初々しく挨拶する様子は、傍から見たらなんとも可愛らしく映るだろう。しかしマリーは、差し出された手のひらを見て、硬直していた。そこには平仮名で『うまれかわり』の文字があったのだ。手の汗や脂でインクが滲んでいるものの、間違いない。


「お手をどうぞ」


 マリーが恐る恐る手を置くと、すっと引き寄せられ、耳元で少年の声が聞こえた。


「なにかご覧になりましたか?」


 街中の人々が詰めかけ、熱気でむせ返るような大聖堂の身廊で、マリーはひとり背中に一筋の冷や汗を流した。

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