29話 流感の影響

 春になる頃には風邪の感染も収まり、暖かな気候とともに穏やかな日常が戻ってきた。

 猫好きの料理長は風邪の後遺症で、味覚に自信が失くなったと失意の中、退職して故郷に帰ってしまった。


 リリアージュは新任の料理長にアビーの食事のことを頼んだが、いい返事が貰えなかったので、古くからいる下働きの料理人のひとりに頼んでいた。

 貴族に仕える料理人はプライドが高い者が多く、家畜同然の猫の餌作りに難色を示すのは当然だった。

 リリアージュは新しい料理長に無理強いする事はしなかった。


 下働きの料理人のジョンは、リリアージュの申し出を快く引き受けてくれた。彼も猫が好きだった。

 ジョンは仕事がとても丁寧だった。

 前料理長の教えもあり器用で手際が良く、下働きにしておくのは勿体ない存在だった。

 残念ながら、出自が平民であるために貴族に仕える正式な料理人には成れなかった。


 ジョンの父親も下働きの料理人だったため、シエルバ伯爵家には親子で仕えてくれている。

 リリアージュにとって頼りになる使用人のひとりだった。

 リリアージュは早速アビーのために考えた料理のレシピ帳をジョンに手渡した。


 新任の料理長はリリアージュとジョンのやり取りを、苦虫を噛み潰したような顔で盗み見ていた。


 ♢♢♢


 エクウスとリリアージュが結婚してから1年が過ぎた。

 流感の影響なのか、中々景気は戻らず、エクウスは少し苛立ちを覚えていた。

 そんな中、エクウスは気晴らしになるかも知れないと、隣の領主邸で行われる会合に参加することにした。日帰りも可能だが、当日は隣の領地の宿屋に泊まるようだった。


 会合といっても公式の堅い会議ではなく、近隣の領主たちや商人たちが集まり、カードゲームやチェス、お酒を楽しみながらの雑談の場だった。

 エクウスは会合のことを女性の話や社交界の噂話、仕事の愚痴などを言う低俗な者たちの集まりであると軽蔑して、今までは招待状が来てもほとんど参加したことはなかった。


 エクウスは夜な夜な深酒をしては、リリアージュに当たり散らす自分に嫌気がさしていた。

 このままではリリアージュに軽蔑されてしまうのではないかと、焦りを感じ始めていた。


 会合が行われる領主邸についたエクウスは、思っていたよりも豪華な会場に少し驚いていた。

 もてなしの料理や酒も一級品で、調度品も華美過ぎず品が良く心地よく滞在できそうだった。


「シエルバ伯爵様。今回は参加してくれて嬉しいです」

「ラクーン子爵殿。招待をありがとう。楽しませてもらいますね」

「ご要望があれば遠慮なくおっしゃって下さい」

「ありがとう」

 エクウスは主催者のラクーン子爵と挨拶を交わしていた。

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