第4話 目的は無い。だが……

「――ああ、ライベル君。何故部屋の外に? 坊ちゃまは今どうして……」


「その、今は誰にも会いたくないそうで。御食事も召し上がらないと言ってます。ぼくはあんなに落ち込んだ坊ちゃまを見るのも初めて……。どうしたらいいんでしょうかコセルア卿」


「そうか……。いや、無理も無い事だろう。ここに戻ってくるまで気丈に振る舞われていたとはいえ、坊ちゃまは記憶が混濁しておられる。今のあの方は自分が見知らぬ土地に放り込まれたように感じていらっしゃるはずだ。今はそっとしておこう」


「わかりました。侯爵様にもそのようにお伝いした方がよろしいかもしれません」


「ああ……。先ほどお会いしたが、やはり心配なさっているはず。それをお顔に出す方では無いけれど、今の坊ちゃまに無理を強いる事も無いだろう」


 ◇◇◇


「は……はは……。冗談キツいぜおい」


 鏡を見た時、そこに立っていたのは知らない顔だった。何のホラーだこりゃあ。


 背も俺より二十センチは低いし、顔立ちも若く見える。目つきだけは鋭いが……共通点なんてそんなもんだ。


 死んだ。そう死んだはずだ。

 だが目覚めて見れば全くの別人。死後の世界とやらはどこに行った?


「……俺はとっくの昔に生まれ変わっていたってのか? それを今まで知らずに」


 俺の中で沸々と湧いて出て来るものがある。死人になって諦めたもの――未練だ。


 思わず手を握りしめる。爪が食い込んで赤くなった。血の通っている証拠だ。


「なんて事してくれたんだよ、ええ? 生き返えすんだったら同じ場所にしてくれよ。それが駄目ってんなら――何で記憶を完全に消してくれなかった……!」


 あいつとの思い出が簡単に浮かぶ。何一つ忘れる事もなく。笑顔も声も仕草も好きな歌や食い物だってなんでも思い出せる。


 唯一人愛した女――この俺を殺した女。

 生きてるのは同じなのに、決して出会う事の出来ない女。


 文句の一つもぶつける事も出来ない。今までの俺達の関係を本当はどう思っていたとか聞くことも出来ない。


 あいつの為に生きた人生はどこにも無い。なら全て忘れて生きていたかった。

 俺が何したってんだ? 今の人生の記憶は全部無くして、要らねえ記憶だけ何もかも思い出せるなんてよ……。


「神様とやら、アンタ残酷だぜ。これじゃあ……これじゃあ唯の――」


 ――生き地獄じゃねぇか……!!


 頭がズキズキと痛み始める。今の俺がこんな風になった時も頭が痛かったな。


(へ、何がサプライズだ。とんだお笑いモンだぜ。……今更俺に何をして生きて行けってんだ?)


 無駄にフカフカなベッドに背中を預ける。

 体中の力が抜けて行く感覚だ。もう何もしたくない。


 ………………


 …………


 ……。


 気づいたら陽も落ちていた。

 部屋の灯りもつけてないから、窓からの光だけだ。


「……横になるってのも疲れるんだな」


 ベッドの寝心地はいいが何時間も同じ態勢でいたせいか、体が疲れてる。

 眠れもしなかったせいで寝返りも打ててない。そりゃ、体も疲れる。


 だが、頭の痛みはマシにはなった。


「どっか行くか……」


 立ち上がってクローゼットを覗きこむも、そこにあったのは悪趣味で派手で動きにくそうなもんばかりだった。

 それでも何とか探し当てたものは、それでも趣味じゃないが比較的地味な配色でまだ動きやすそうなものだ。


 着替えて見ると、何年も放置されていたのか多少キツかった。それにいかにもなタンスの臭いがするのも……どうでもいいか。


 悪趣味な部屋の扉から顔を出す。今は誰も近くに居なさそうだ。

 それでも人に会わないように気を付けながら、俺は屋敷から出る道を探して歩き回った。



「あれ坊ちゃま? 部屋から出て来たんだ。でもどこに行くんだろう?」



 ◇◇◇


 見つからないように動くというのは、多少面倒じゃあったが何とか外への抜け道を見つけて出る事が出来た。

 使用人用の通路ってやつか? 金持ちの屋敷にはそういう場所があるってのは本当だったんだな。そのおかげで表から出ずに済んだ。


 それでも敷地には警備の人間だっているはずだ、そいつらの気配を避けながら進むとなると正門も裏門も使えない。

 だが抜け道ってのはどこかにあるはず……。


 人を避けつつ生垣に近寄りとぼとぼ歩いていると、分かりづらいが穴のようなものを見つけた。

 覗き込んで見れば……その奥から光が漏れている。向こう側の塀が崩れてるのか。


 前の俺ならまず潜れそうにもないが、今のガタイなら……。


「こんな所でこの体が活きるとはな……。喜べばいいのか」


 吐き捨てるような愚痴を小さく垂れ流しながら、俺は身を掲げてその穴の向こうを目指した。


「…………なんとかうまくいったな。服が汚れたが、別にいいか。趣味じゃねえし」


 自分の服なのにそんな感じがしない。今の人生の記憶を失くしたからだろうか?

 ……前の人生の記憶こそ手放したかったってのに。


 考えても仕方ねぇな。

 そのまま当てもなく屋敷から離れる事にした。



「ええ!? こ、ここを坊ちゃまが通って行ったの? 服が汚れなのに。本当に変わられたんだ……んしょっと。あ、すっぽり進める」


 ◇◇◇


 どこまで歩いたか? そんなこといちいち数えてもいないが、少なくとも屋敷からは離れられた。

 今の俺の家、そんな実感もないが……今はあそこに居たくない。

 

 しばらく歩くと人の居る所へ出たようだ。村か?

 時間が時間だけに子供の姿は無く、出歩いてるのは酔っ払いくらいだな。

 一つ不思議なのは女ばかりだって事だが。それに今の俺の身長を差し引いても妙にデカい気がする。


 その酔っ払いの一人に近づく男を見た。その男は女に近づくと、肩に腕を回して始めた。


「こんな早い時間に酔っちゃって。それで家まで帰れると思ってるの?」


「何言ってんだよぉ。家なんてほら、あっちの方に……」


「逆だよ逆。……もう仕方ないんだから。ほら足元気をつけて」


「へへっ、何かあったら頼れる旦那様様ってか。がはっはははは!」


「大声出さないでよ。また明日ご近所さんにからかわれるってば」


 そんな会話をしながら、自分達の家へと帰って行く二人。夫婦なんだろう。

 旦那の方が背が低いが、それでも酔っぱらう嫁さん相手に文句言いながらも肩を貸して歩く姿に不満が見えなかった。


(仲睦まじいカップル、かつての俺の姿か。……あの頃の俺達は本当に仲が良かったのか?)


 今となっては……。


 だが、それはあくまでも俺達の話だ。あそこで仲良く歩く二人には未来を感じる。


 ほんの少しだけ、ほんの少しだけだが気分が良くなった……気がする。


「……そろそろ戻るか」


 あまり居たい場所じゃないが、今の俺を心配してくれる奴らがいる。ロクに知らない連中だが、俺の勝手でつまらない仕事を増やさせるわけにもいかないよな。



 そう思って来た道を振り返ると――何やらトラブルに見舞われている奴がいた。それも俺の知っている……確か、ライベルっつったか? それがやたらガタイのいい女に言い寄られていた。


「なんでここに居るんだ?」


 面倒には思ったが、一応知り合いだって事もあり近づく事にした。



「おいおいカワイ子ちゃん? まだ夜もふけ込んでる訳じゃねえが、それでもこんな時間に歩くもんじゃないぜ。へへへ」


「な、なんですか貴女は! お願いですから放っておいて下さい。ぼ、ぼくは他にやる事が……」


「そんな言い方はないんじゃねえの? これでも親切に言ってやってるんだからよ。家まで送って行ってやるぜ、まあ見返りは……当然いただくがな」


「ひぃっ!? や、やめて下さい……。ぼくは貴女に用は無いんです」


「……なんだよその言い方よう? 人が下で見てたら図に乗りやがって――お高く留まってんじゃなねえぞ!!」



 その時だ、ライベルがキレた女に突き飛ばされるのを見た瞬間――俺は自分が死ぬ瞬間の記憶が頭を過った。


 愛していた女に突き飛ばされ、そのまま車に跳ねられた俺は……!



「うぅ……」


「けっ、初めから大人しくしてりゃあ痛い目に合わずに済んだのによ。すっかり縮こまっちまって……へへ、予定変更だ。このままあたしの家で――がぁあ!?」


 路端に落ちていた木の棒を掴むと、その女の脳天目掛けて振り下ろしていた。

 そのまま白目を向いて倒れる女。なんだ図体の割りあっさり沈みやがったな。


「……どいつもこいつも」


「……え? ぼ、坊ちゃま!?」


「うだうだ悩むのは止めだ! どこいても身勝手なクソがのさばりやがって……!」


 今の俺に生きる目的なんてない、それでもなァ……!


「テメェ勝手なヤツを見ると虫図が走る……! 立てライベル」


「は、はいぃ! あ、あのぼくがここに居るのはですね……」


「決めたぜ俺は……」


「な、何をでしょうか?」


「もう誰の喰いモンにもならねェ……。ついてくるならお前も覚悟を決めろ。邪魔する奴ァ――」


 ――覚悟しな!!!

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