第5話 改めた男
「あむっ……! ぐぐぐ……。ふぃ」
「そ、そんなに急いで食べると喉につまらせちゃいますよ! ……あむ」
「気にすんな、こっちは食欲が沸いてそれどころじゃねんだ。それに……本当なら飯の時間は終わってるってのに作ってくれたおっさんの為にも、何時までもお邪魔する訳にもいかねえ」
「おっ……。んん! いえ、お気になさらず。むしろお坊ちゃまの食欲が戻った事、嬉しく思います。しかし、何もこのような所で直接召し上がらなくても」
屋敷に戻った俺は気力が戻ってきたせいか、食欲まで復活してしまった。
だがもう飯の時間はとうに過ぎてる。
屋敷のキッチンに行って余った食材から適当に作ろうと考えていた時、そのキッチンで後片付けをしている一人のおっさんがいた。
いや、まあおっさんと言うには顔が綺麗すぎるぐらいだな。髭も生えてないし、顔もいかつくないが。全体的に線も細いし、優男のイケメンだ。そして俺より背が高い。
当然ここに来た時は驚かれた。部屋で休んでいるはずの人間、それも仕えてる一族のバカ息子がこんな時間にやって来たってんならな。
それに今の俺の姿は無理矢理外に出せいでボロボロになってるし、もっと言えばライベルもゴロツキに襲われたせいで服が汚れている。
その上見つからないにまたあの穴から戻って来たから二人共酷いもんだ。
確かに、これじゃあ失礼だと思って上着は脱いで上はシャツだけになってる。そしてライベルも。
「まさか私室以外でこのような格好になるなんて。侍従長に見つかったら大目玉ですよぉ」
「バレねえように部屋まで送ってやるから心配すんな。……ふぅ、食った食った。おかげで今日はぐっすり寝られそうだ。サンキュー」
急にやって来た俺達二人分の軽食を用意してくれた事には感謝しかない。
「いえ、この家に仕えるものとして当然の事をしたまでの事。それに……」
「ん?」
「あ、いえ。私の料理を召し上がられてこのようにお礼を言われる日が来るなどと、失礼を承知で申し上げれば思ってもいませんでした。記憶を失くされる前のお坊ちゃまは何かにつけて、その……」
「つまんねえ文句を付けて困らせてたって訳だ。全く覚えてねぇが、今まで悪かったな」
やっぱり記憶を取り戻す前の俺は悪ガキだったようだな。
きっとこの家の人間からは影で嫌われている事だろう。
「その言葉をお聞き出来ただけでも、今日まで料理長を任されてきた甲斐があるというものです。お坊ちゃまこそ、そのように他人に気を配れるお方に成長され……このような事を今のお坊ちゃまに言うの流石に失礼でしたね。申し訳ありません」
「それこそ気にする事無ぇだろ。アンタから見て、今の俺と前の俺、どっちがいい?」
「それは……なんとも意地悪な質問をなさいますね。ですがそうですね、多少……粗野な言動や振る舞いは貴族の令息としては、と思うところはございますが……しかし、きっと今のお坊ちゃまの方が皆から好かれるのではないかと。君はどうだい、ライベル?」
「あ、はい。そうですね。……ぼくも正直前のお坊ちゃまの事は苦手でした。歳が近い事もあってか意地悪ばかりされてきたので。今も思い出すと……ぅ」
途端に顔色を悪くするライベル。こりゃあ相当やられてやがったな。
だがこの顔、嫌がらせなんかするつもりはないが、悪戯心が出てきそうな気もする。
その手の連中にはよくも悪くも好かれるタイプだろう。
「んな事思い出さくて結構だ。だけどよ、俺の記憶は一生戻らないかもしれねえが、それでもこんな俺を好きでいてくれる奴がここに二人もいれば、一人の人間としては上等だろ」
「……変わられましたなお坊ちゃま。ええ、非常に良い意味で」
「何も泣く事ねぇだろ。ああそうだ。改めて名前、教えてくれよ? 新しい人間関係の第一歩だ」
「え? あの、坊ちゃまぼくは……?」
「はい、では改めまして――私はシーレル・グレスレル。この御屋敷で台所を任されているコックです。お食事やティータイムの時間以外にもお腹が空きましたら、是非お尋ね下さい。満足のいくものを提供させて頂きます」
「よろしく頼む。つまらねえ青二才の舌と腹でよかったら、いつでも実験台になるぜ」
お互いに満足した顔で握手する俺達。握ったシーレルの手は温かかった。これが心の温かみなら俺はまだ人間ってもんを信じられそうだ。
「ですから、その坊ちゃま。ぼくとの関係は第一歩じゃなかったんですか?」
「はぁ何言ってんだお前? んな事よりとっとと行くぞ。何時までもここに居たら邪魔だろうが」
「ああそんな!? ……ひどぃ」
「何が酷いだ。あと疲れてるからって歯磨くの忘れんなよ? それから風呂はともかく体くらい拭いて寝ろ。服もちゃんと明日洗濯に出せよ」
「ぼ、ぼくそんな子供じゃありませんよ!?」
「ふふっ」
シーレルの微笑みに見送られながら、ライベルの腕を引っ張ってキッチンをあとにした。
◇◇◇
翌朝。
まだ早い時間なのか、部屋の中が薄暗い。今日は気持ち良く朝を迎えられそうだ。
……そう思ったのもつかの間、また頭痛に襲われた。
「……っ、どうにもな。だが昨日よかマシだ。どこでか知らないが、頭を打った影響か? それとも記憶がぶっ飛んじまった後遺症か」
考えても仕方ない。
あっちでの習慣が残っているのか、俺は今日も早く起きた。健康な肉体作りに励んでいた名残だろう。
どれだけバイトに追われようと睡眠時間だけは確保していた。強い体があれば好きな女の手助けが出来るから……。
「今の俺には……。いや、それでも丈夫な体作りは大事だ。ちょっとランニングでもすっか」
昨日の内にクローゼットから見繕っていた比較的動きやすそうなズボンを履いて、上はロクなのが無かったからワイシャツだ。
服にしてもそうだが、この部屋の悪趣味な置物やらは売っぱらうか。”俺”が集めた事には変わらないんだから、”俺”が処分するのも問題ないよな。貴族の部屋にあるもんなんだからそこそこの値が付くだろう。
そんな事を考えながら俺は部屋を出る。ついでに水道の場所でも確認するか、タオルは部屋に無かったからやたら肌障りのいいハンカチを持ってきたが、やっぱタオルが欲しい。
◇◇◇
デカい屋敷の外は広い。周りを囲った塀まで結構な距離がある。俺も昨日よくこの距離をバレずに……。
こっから門まで歩くだけでも、今の体なら運動になるだろう。外に出たらどこまで体力があるか確かめないとな。
「よし、いっちょやるか」
「何を為されるのですか、坊ちゃま」
いざ歩き出した時に不意に声を掛けられた。後ろに誰か居たようだ。
玄関の扉に顔を向けると、数少ない見知った顔があった。昨日みたいな制服を着ていないラフな格好のその女。
「アンタ、確かコセルアって名前だったな?」
「はい、改めて覚えて下さって光栄です坊ちゃま。しかし、このような早朝に如何なされたのですか?」
「ああそうだな……きっと、アンタと似たような理由だと思うぜ?」
コセルアの恰好はこれから一汗掻きますと言わんばかりに軽装だった。
いいなこういう服、俺も正直欲しい。こんな妥協した服装じゃなくて。
「まさか坊ちゃまが朝の運動に興味を持たれる日が来るとは思いませんでした。ですが昨日の今日ですので、監督役を務めさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「別に無理する訳じゃないんだがな。ちょっと外をブラっと走って来るだけだ」
「それはいけません。坊ちゃまは誘拐の経験をされたばかりですので、代わりと言ってはなんですが、我々騎士団が利用している演習場へ案内致します」
「……じゃ、お言葉に甘えて」
前を歩くコセルアの黒い髪、その揺れるポニーテールにどこか新鮮さを感じながら後を追う。
それから、このいまいち接し方の分からない騎士様やチビのライベルらと出会い、そして俺が改めて人生を始めてから――二ヶ月程の月日が経った。
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