救出

 マッドスパイダーがやってきた方向に蜘蛛の巣が見える。さらに奥に進んで行くと、町で教えてもらったとおり洞穴があった。


「頑張れ!」


 薄暗い洞穴にひとり踏み込む勇気を彼女は持っていた。唯一の強攻撃手段であるフレイムアローのスクロールを構えつつ進んで行くと、そこには白い繭のようなモノがあった。


 時間はあと二分とちょっと。これが蜘蛛の子が孵化するまでの時間だ。『蜘蛛の子を散らす』なんて言葉があるのだから、わんさか生まれるに違いない。


「フレイムアロー!」


 目をつぶりながら唱えた呪文によって、スクロールから炎の矢が飛び出した。熱によって千切れた繭状の糸の奥に人が見え、そのまわりにはたくさんの卵が敷き詰められている。


「気持ち悪いぃぃぃぃ」


 そう言って眉を歪めながらも、彼女は勇気を上乗せしてもう半歩踏み出した。


 その頃、ハヤトと素敵な仲間たちはHPをイエローゾーンに保ちつつ粘っていた。


 下級の治療ポーションの回復速度では到底間に合わない。盾タンクとアーチャーという人選が功を奏したのは間違いないけど、それもそろそろ限界だ。


 NPCが死んだ場合は冒険者としての評判が落ちてしまい、ギルドでNPCを雇うときの料金が一定期間上がってしまうなどのペナルティがある。だけど、自身の命が失われるというリアルデスペナルティに比べれば些末なこと。肉壁にしてでも生き残れ!


 隼人が最後のポーションを飲み干したとき、マッドスパイダーの後方でサーラちゃんが手を振り合図を送った。その肩にはハルクさんを担いでいる。


「レイド、エイジ、モンスターの注意を引きながら撤退」


 NPCの名前を呼んで指示を出しつつハヤトも下がっていく。リディアちゃんのお父さんを担いだサーラちゃんも、マッドスパイダーに気づかれないように大きく迂回してハヤトを追っていった。


 森を抜けたふたりは、衰弱していたハルクさんを治療してから彼を背負って町に戻った。


 マッドスパイダーから救出したということを町の人たちに称賛されたハヤトは、「倒したわけじゃないから」と言って照れていた。


 その後、診療所にハルクさんを預けて、消耗したHPとMPを回復するために宿屋に向かった。


 睡眠を必要としない場合は瞬時の回復だけで済むので『ご宿泊』ではなく『ご休憩』だ。滞在時間は数十秒だけど、年頃の男女が同じ部屋ってどうなの? ねぇどうなの? 女神の私にも部屋の中は見通せない。


「よし、じゃぁ帰ろうか」

「はい」


 生存したふたりのNPCを引き連れたハヤトは、リディアちゃんの待つ町に堂々と凱旋した。



「クエストの完了報告に行かないんですか?」


 町に入って世間話をしつつ歩いていると、サーラちゃんがそう質問した。


「いやぁ、そんなに急いで報告しなくてもいいんだ」

「でも、クエスト報酬の経験値でレベルアップするとか、便利なアイテムが報酬だったりしないんですか?」


 こんなふうに言われたハヤトはこれ以上は誤魔化せず、リディアちゃんの働くお店に向かった。きっと気まずいよね。


 向かった先がギルドではなく飲食店だったため、サーラちゃんは頭に『?』が浮かんだような顔をした。それはすぐに『!』へと変貌する。


「ホントですか?!」


 驚嘆しつつ仕事の手を止め、輝く笑顔でハヤトの手を握るリディアちゃんにサーラちゃんは身を引いた。ゲームだけど現実と見紛うグラフィックと感情表現はNPCには思えない。それがフロンティアだ。


 涙が潤む瞳とハヤトへ送る視線が好感度に反映されていく。二十パーセントほどだった数値は一気に五十三パーセントへと達した。


 ハヤトの胸に額を押し当てながらリディアちゃんはお礼を言う。その肩を掴みたいであろうハヤトだけど、サーラちゃんが見ているため手をワキワキさせている。


「今はウワドナルの町の診療所で治療してるよ」


 一緒に行こうと言いたいのだろ? 気持ちはわかる。だけど今はやめたほうがいい。


 そのままお店で食事をしたい気持ちも抑えただろうハヤトは、サーラちゃんと別のクエストを受けにギルドに向かった。


「付き合ってくれてありがとう。パーティーメンバーがサーラちゃんじゃなかったら助けられなかったな」


 だよね。私の念がちゃんと届いて良かったよ。


「個人から受けた依頼だったんですね。レベルに見合わないかなり高難易度の依頼でしたけど、依頼主が可愛かったからですか?」

「そう、可愛かったから。難易度は気にしてなかった」


 おい! モンスターの殺気すら伝わってきそうなゲームで、隣の女の子から漂う空気も読めんのか!


 ハヤトの返答を聞いてサーラちゃんは微妙な表情を見せている。恋とは言わないまでも、推しの男の子が別の女の子に矢印を向けていたら気分悪いぞ。今後は誘ってくれなくなりそうな展開を心配していると、ハヤトは立ち止まってサーラちゃんに向きなおった。


「どうしたんですか?」


 戸惑い視線を外す彼女の手に、ハヤトは何かを握らせた。


「クエスト報酬の代わり」


 サーラちゃんに握らせたのは【清流の腕輪】だ。治療系の効果をアップする、序盤ではかなりのレアアイテム。売れば高級な武器が買えるくらいの値がつく。それをポーンとあげちゃう意味をサーラちゃんは察することができるのか?


「いいんですか? もらっちゃって」

「キミが受けたクエストじゃないから報酬がなかったろ。労力に見合うかはわからないけど、ヒーラーをやらない俺は使わない物だし」

「いいですよ。これで納得しておきます」


 さっぱりとした言い方の返しだけど、彼女の被っているVRマスクは正確に表情を感知しているのだろう。これでもかというほどのニヤけ顔だ。もしこれが指輪だったら、絵になるシチュエーションになっていたね。赤面しちゃうわ。


 気を良くしたサーラちゃんはハヤトと一緒にクエストをこなし、ついでにレベル上げもおこなった。


「今日はありがとうございました」

「こちらこそ。おかげでクエストもこなせたし、安全にレベル上げもできたから」

「わたしもレベルが上がりましたし、近接戦を教えてもらえたのでプレイヤースキルも上がった気がします。ハヤトさんは強いですよね。レベルはそんなに高くないですけど、発売日組なんですか?」


 この質問に対してハヤトは、「そうだよ」とサラッと返した。きっと変に疑われないためだろう。


「また一緒に遊んで……」


 中途半端に言葉を止めた理由は、フレンドメッセージが届かなかったからだとすぐに気がついた。


「俺はあそこの宿屋かギルドの訓練場にいることが多いから。そこにいないときはぁ……」

「あの子のお店ですか?」


 この皮肉に瞬時に返せないのは悪手だぞ。 


 フレンドメッセージが届かないことは不具合だろうと押し通し、ふたりは笑顔で別れたのだった。

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