第2話 帰ってきたやさぐれ王子

 この国はいつまでたっても寒いままだな。


 ラステマ王国の第二王子ウィルロアは、王城のバルコニーで風に当たりながら一人景色を眺めていた。

 そびえ立つ山脈を遠目に、肌寒さを感じて肩にかかるマントを無理矢理前に持ってくる。随分と変な格好ではあったが、薄いマントでも風除けくらいにはなってくれた。

 ウィルロア付きの護衛はカーテンの向こうで背を向けているし、変な格好でもまあいいだろう。

 金色に輝く髪をなびかせ、長い睫毛を震わせながら見目麗しい第二王子は柵にもたれて小さく溜め息を溢した。

 憂いを含んだ青い瞳は魅力的で、この場に年若い女性がいたなら恋に落ちていただろう。それだけ彼は見目麗しい青年だった。

バルコニーで佇む姿は、絵画や物語から出てきたかのような完璧な王子の姿だった。見た目は。

 さむさむさっむぅくそさっむ! 春なのになんだこの寒さ風邪引くわ! 式典用の礼服ペラッペラだし動きづれぇぇ毛皮のコート羽織りてぇぇ!


「……はぁ」


 憂いを帯びて吐息を吐き出す姿は完璧な王子様そのままなのだが、心の中ではものすっごい悪態をついていた。


「殿下、大丈夫ですか?」

「!」


 まずい。心配した護衛が様子を見にきたぞ。

 素早くマントを戻して「平気だ」と微笑む。

 ウィルロアが振り返れば護衛の一人である近衛隊所属のサックスは気まずそうに目を逸らした。

 俺が見目麗しいからって微笑んだだけで頬を染めるなよキッモ。


「そろそろ行かないとだめかな」

「そうですね……、まだ迎えも来てないしもう少しならいけるかと」


 もう一人の近衛騎士であるロイが適当に答えた。

 騎士ならもっと言葉使いに気を遣えよな。


「それならあと少しだけここにいてもいいかな。初めてカトリ王女に会うものだから緊張していて……」

 整った顔を傾けて、目にかかる金の髪がはらりと揺れながらはにかんだ笑顔を向ければ、誰も文句は言えないだろう。

 護衛二人は顔を見合わせ、ウィルロアの気持ちを汲んで頷いた。


「まだ時間はありますのでゆっくりなさってください!」

「それで緊張が少しでも和らぐならいくらでも付き合いますよ」

「ありがとう」

 

 ロイとサックスは再び背を向けてカーテンの向こうに消えていった。

 せっかくの一人の時間を邪魔すんじゃねーよ。

 心の中で呟く悪態を一切感じさせないほど、ウィルロアの笑顔は完璧だった。

 表向きはキラキラと輝きを放つ見目麗しい優しい王子でいながら、内面では聞くに耐えない口の悪さで悪態をついている。

そんな彼の裏の姿は決して口にも顔にも漏れることはない。

ある意味完璧王子だった。


 ウィルロアが時間を潰していたバルコニーの反対側は王都に面しており、今頃は民衆で埋め尽くされているだろう。反対の山脈側にまで歓声が届いていた。

 今日はデルタから十年ぶりに帰国したウィルロアと、嫁いでくるカトリ王女を国民にお披露目する日になっていた。

 あーあカトリもようやくデルタに帰れたというのに、半月でまたラステマに来るなんて難儀な事だな。


「殿下。カンタール宰相です」


カーテンの向こうから来客の知らせが届く。


「こんな所におられましたか」


 結局一人の時間は長く続かなかった。 

 新たに現れたモノクルをかけた白髪混じりの男がウィルロアに一礼した。

ウィルロアは舌打ちしたくなる気持ちを抑えて歓迎した。


「レスターどうしたんだい?」

「デルタ一行の到着が遅れているようですのでお伝えに参りました」

「宰相自ら伝令役を引き受けたのかい?」


 レスター=カンタールは侯爵にしてこの国の宰相である。

 あーあ、一番会いたくない奴現れた。まだ時間あるなら一人にしてくれよ。お前の登場で貴重な時間が邪魔されたじゃないか。


「手持ち無沙汰なもので。準備が済めば宰相はやる事が無いのです」


 確かに大人しくしてもらった方が周囲はやりやすいだろうな。


「君が滞りなく準備してくれたお陰じゃないか。これからも頼りにしているよ」

「ありがとうございます」


 内心で文句を挟みながら、相手を持ち上げるのも忘れないウィルロア。


「実は伝令は口実でして」

「ん?」

「帰国なさってから殿下とゆっくり話が出来きなかったもので、二人きりになる機会を窺っておりました」

「はははー」


 俺は極力お前と関わらないよう避けてたんだけどな!

 ウィルロアはその二人きりでゆっくりしたい話とやらを聞かず、敢えて話題を変えた。


「十年も公式行事に参加していなかったから緊張してね。外の空気を吸っていたのだ。両陛下は既にお揃いかな。私も早く行った方が良さそうだ。レスター緊張をほぐす方法はあるかな。国民の前で失敗をしないか心配だ。中には他国で育った私を受け入れがたい民もいるだろう……」

「何をおっしゃいます。殿下は国のためにデルタへ赴いたのです。国民は感謝しながらそのお帰りを心待ちにしておりました。堂々としていてください」

「そうか、そうだといいな」


 殊勝な態度とは逆に、心の中では「当たり前だ!」と語気を強めて叫んだ。

 俺はなーお前達のために人質になって慣れない暮らしをしたんだぞ。歓迎してもらわなきゃただの行き損だ!


「失礼なことを申す者がおりましたか?」

「ん? いや、そうじゃないよ」

「では何か心配事がおありなのですね?」

「ええと……」


 思いの外レスターが食い下がるので、それならとウィルロアは気になることを訊ねてみた。


「ここだけの話、兄上がどことなく余所余所しい気がする。私を良く思わない者が城に多くいるのは知っている。何か吹き込まれたのではと心配なのだ」


 デルタから戻り、十年ぶりに再会した兄アズベルトは、見た目も体格も随分立派に育っていたが、終始不機嫌を隠すことなく素っ気ない態度を取っていた。

 十年ぶりに会う弟に対して直後の不機嫌な態度では、心当たりもなく気になっていた。

 レスターは困った顔をして返事を躊躇っていた。

 レスターに聞くつもりはなかったが、国の要人と周囲の目が少ない場所で二人きりで話す機会は滅多にない。これはウィルロアにとってもいい機会だった。

 安定した未来の為にも情報は得過ぎて損は無いはずだ。


「ずっと国を空けていたから知らずに兄上の気に触ることをしたのかもしれない。こんな事を聞けるのは幼い頃から我々をよく知るレスターしかいないと思ったのだが、君にも立場があるな。この話は聞かなかったことにしてくれ」


 聞く気満々のくせに敢えてこれ以上は詮索しないと諦めの雰囲気を見せる。

『押して駄目なら引いてみる作戦』に、レスターは見事ひっかかり重い口を開いた。


「誤解しないでいただきたいのは、アズベルト殿下がこの国を心から愛しているということです」


 大きく頷きながらもったいぶらずに早く先に進めろと内心で毒づく。

 長年の因縁から全ての国民が和睦に賛成なわけではない。

特に高貴な血筋や育ちに煩い貴族、城内で働く者の中には、ウィルロアが長年デルタで育ってきたことに少なからず嫌悪感を抱く者もおり、王子であっても裏では余所者扱いする者もいた。

 アズベルトが嫌っているのは果たして俺か、デルタか……。

 不安な顔を作っても、心の中は冷静に受け止めていた。


「成長されて自らのお考えを強く抱くようになったのでしょう。十年前に交わした和睦案に対して、もっと慎重になるべきだと陛下と何度か衝突していたようです」


 嘘だろ!? 他国で育った云々が気に入らないんじゃなくて和睦自体が気に入らないの?


「そして、お帰りになられたウィルロア殿下が立派に成長されたのをご覧になって、素直に喜べない部分もあったのかもしれません。二人だけの王子ですから、中にはウィルロア殿下に王位を――と邪な考えを持つ臣下もおりますので」


 嫌っているのはデルタ、俺、まさかのどちらもだった。

 いやしかし思う事は他にある。

 アズベルトが和睦に反対? 王太子が反対?

 おいおいレスターは何を呑気に構えてるんだ。次期国王が和睦に反対って大問題じゃないか。今までお前らは何をやってたんだ。へらへらと媚び売ってただけか? 忠臣なら命に代えてでも主の愚意を改めろ。そして俺に謝れ。人質として売られていった俺に謝れよ? あとなんだ、俺が王位を脅かすだって? 長年国を開けて帰ってきた弟に王座を奪われるか心配で嫌うって子供か! そんなのお前に人徳がないから不安になるのであって弟相手する暇あるなら忠臣の一人でも増やす努力をしろ。よそ見せずしっかり地盤を固めておけ馬鹿!


「……そうか」


 ウィルロアは苦し気に目を閉じると、胸に手を当てて心の内とは真逆に兄王子を心配する弟を演じた。


「そういう事だったのか……。兄上は何も心配する事など無いのだ。私は王の器など持ち合わせていないし、王位には全く興味が無い。兄上が心を痛めておいでなら、私は少しでも兄上の力になりたいのだと真心を伝え誤解を解こう!」


 聞き耳を立てていた護衛二人から拍手が上がる。完璧な受け答えが出来て気分よく頷いた。

 今の言葉、前半は本当、後半は嘘。

王位継承権第二位のウィルロアだが、王になんてこれっぽっちもなろうとは思っていない。そもそも政治に関わろうなんて初めから考えていない。だから悪いがアズベルトを支えるつもりはない。

 カトリ王女と結婚し、公爵位をもらって王籍を外れれば、あとはエーデラルの領地で悠々自適に暮らしていくつもりだ。

 だから邪な考えを持つ臣下には時間の無駄だぞと言ってやりたい。

俺は王なんてしがらみだらけの疲れるものに進んでなろうとは思わない。

 幼少期を思い切り政治に利用されてきたのだからこの位の我儘は通すつもりだ。

 だけど嫌われ者になるのも嫌だし、ちやほやされるのは大好きだから(てへ)、こんな風に心優しい王子を演じているのだ。


「王の器がないなどとご謙遜を……」

「え?」


 レスターは独り言のように呟いたあと、モノクルをきらりと光らせて微笑みかけた。


「たった二人のご兄弟です。どうか末永く仲睦まじくいて下さった方が国も安定いたしましょう」

「……ああ」


 こいつ……。

もしかしたらレスターはウィルロアに釘を刺しに来たのかもしれない。国を挙げての式典で宰相が暇なわけがない。

人目の少ない場所でウィルロアと話しておきたかったのは、十年ぶりに戻って来た第二王子に野心など持つなと忠告をしたかったのかもしれない。


「しかし、王とは長子だからなるものでも、なりたいからなるものでもないのです」

「……?」

「持って生まれた運命に、なるべくしてなるもの。そこに本人の意思など関係なく、時が来れば自然と『国』が定めるものなのです」


 あ、違った。

 ウィルロアは瞬間的に悟った。

 こいつはアズベルトを良く思っていないと。

 こんの狸め! まさかお前が邪な考えを持つ臣下だったとは騙された。


「そうか。ならば兄上がなるべくしてなれるよう共に支えてさしあげよう」


 ウィルロアは宰相の意図など全く気付いていない素直な王子を演じて答えた。

 レスターが何を思って自分にこんな話を聞かせるのか、知りたくもない。

 これ以上この曲者宰相に関わっては再び人生を台無しにしかねない。

それだけはどうしても避けたかった。



 ウィルロアの人生が一度台無しになったのは、十年前の和睦人質交換の時だ。


 当時ウィルロアは七歳で、まだ子供だった。

 王族としての自覚が芽生え、これから兄を支え国のために頑張ろう、そんないたいけな時期がいけなかった。

 突然身の上に振って湧いた不幸を、それで皆が笑顔になるならばと安易に受け入れてしまった。

 今の俺ならあの頃の自分にこう言ってやる。『お前は自分の事だけ考えてろ馬鹿』と。


 デルタに着くと全てが過ちだったと気づいた。

 家族と離れるのも、異国の地へ行くのもはじめてのことだった。

慣れない土地で幼い子供が一人暮らしていく。それは寂しくて、寂しくて……。

 国のためだという大義名分は脆く崩れ去った。

 デルタ城内で手厚く守られていても、蔑むような憎しみの目は針のむしろの様に突き刺さり、幼い子供の耳に大人達の詮無い言葉は否応にも届く。その度に酷く傷つけられた。

 中でも辛かったのは同じ年頃の子供達にまで嫌われた事だ。

 大人はある程度自制心があったが、子供は違う。敵だと思っていた国の王子がやって来て素直に受け入れる程順応ではないし、我慢ができるほど自制もきかない。

 ウィルロアのせいでカトリ王女がラステマへ連れていかれたと思ったのか、人質交換で入れ替わるようにやって来た敵国の王子を、全ての元凶だと思われ敵視された。

 特に兄弟達、カトリの兄であるデルタの王子キリクとユーゴは、長くウィルロアを認めなかった。

それも相まって王子の取り巻き達に陰湿な嫌がらせを受けた。


 孤独。


 そう、ウィルロアはデルタでずっと孤独だった。

 周囲に愛され、大切に育てられたウィルロアにとって、デルタでの暮らしは過酷そのものだった。

 自分は国に捨てられたのだと思った。異国の地で誰も信用できず、疑う事しかできなくなった。

 だが自分が国を背負ってデルタに来たのは分かっていたし、下手な態度で自国に迷惑をかけるわけにもいかないと我慢した。

 生まれた時から王族としての在り方を学んでいたウィルロアにとって、それはある意味で不幸な事だった。

己の役割と課せられた使命に、重圧に耐えながら過ごした日々。失敗は許されず、逃げることも許されないと耐え忍ぶ事しかできなかった。

 だから本音を隠して我慢して、笑顔を作って我慢して、皆が望む和睦の象徴である王子で居続けるしかなかった。

 不平不満は心の中に隠し続けると途端に精神に不調をきたした。

 時々城を抜け出して、身分を隠して下町でデルタの民と過ごす時間が一番心安らいだ。

 下町に馴染むために汚い言葉はそこで覚え、別人を演じているとストレスが発散して逆に自我を保てた。

 おかげで口は悪くなったが、下町では気の合う仲間にも出会えた。

 たとえ傷ついても泣かず、どんな仕打ちを受けても怒らず、笑顔で相手の立場になって物を見て考えて話す。

 裏と表を使いこなすことで人質生活を乗り越えてきたのであった。


 そんな孤独なウィルロアの生活も、何がきっかけだったのかは分からないが、ある日を境に劇的に変化した。

 デルタの王子も成長し、ウィルロアの境遇を理解したのだろう。

 王子達の変化と共に周囲もウィルロアを受け入れ認めてくれるようになった。

男というのは色々あった分絆は深まるもので、成長してラステマに戻る時にはかたい抱擁で暫しの別れを惜しんでくれた。

 喧嘩もしたが共に生活していく中で、認め合う部分もあり、最後にはデルタの国民の多くがウィルロアを受け入れてくれるようになった。

 まあ、この完璧王子を演じたおかげでもあるのだが……。

 十年で真っ当な王子になる人生を台無しにされ、表では笑顔を張り付け腹の内では文句をたれる、歪んだ性格のやさぐれ王子がここに誕生したわけだが、デルタでも誰一人として気付く者はいなかった。

 誰にも素顔を晒さず、和睦の象徴であるウィルロア王子を徹底して演じた。



 ウィルロアはレスターと当たり障りのない会話をしながら、三連アーチのバルコニーへ続く待機場所へ到着した。

 待機場所には既に両陛下やアズベルトが到着しており、ウィルロアは慌てた振りをして駆け寄った。


「遅くなりました」


 父であるラステマ国王は柔和に微笑み、ウィルロアと同じ水色の瞳と、よく似た声で気にするなと声をかけた。

隣には母である王妃もいて、二人と挨拶を交わした。


「十年も暮らしていたなら既に娘も同然です。私達も久々にカトリ王女に会えるとあって心が急いているのですよ」


 到着を待ちわびて早く来たのだと言う母に、威厳ある父も珍しく相好を崩して頷いた。

 十年後に戻って来た息子には、「息災でなにより」と簡単な言葉をかけただけでそんな嬉しそうな顔はしてなかったけどな。

 ここは敢えて呆れ顔で「妬けますね」と冗談めかした。

母も「息子とは違い娘というのはとても可愛がりがありましたよ」と冗談で応じる。

 ウィルロアは肩を竦め、少し離れた場所で佇むアズベルトに仲間を求めるよう笑顔を向ける。 

しかしアズベルトは仏頂面でこちらを気にも止めず腕組みをしていた。

 無視かよ。気にしないけど。


「両陛下がこんなにも信頼を寄せるカトリ王女はきっと素敵な方なのでしょうね。お会いするのが楽しみです」

「そうか。お前は今日初めて王女と会うのだったな」


 そうだよ! と心の中で大きな声で叫ぶ。

 ウィルロアが十年ぶりにラステマへ戻ったと同時に、カトリも十年ぶりにデルタに戻っていた。

 なんで婚約者の二人がすれ違いで未だに会ってないんだよ。どんな嫌がらせだ。


「もうすぐ王女が娘になるのだな。結婚式が楽しみだ」


 間違ってはないけど娘というか俺の所に嫁に来るんですが……。まぁカトリ王女が気に入られててよかったよ。両親受け悪かったら色々と面倒くさいもんな。両陛下の信頼を得ているということはカトリもここで無駄に過ごしてた訳じゃなかったと分かるし、国を背負っている自覚はどうやらあるようで一安心だ。

 ウィルロアはバルコニーに近づくと、カーテンを軽く開けて外の様子を眺めた。

 既に聴衆はすし詰め状態で王女の到着を今かと待ちわびている。


「おい! 顔を出すな!」

「あ、すみません」


 アズベルトの大げさな注意に、ウィルロアはカーテンから体を離し素直に謝った。のだが、更に両親には聞こえない小さな声で「私に恥をかかせるなよ」と呟かれたので、さすがに腹が立った。顔には出さないけど。

 その言葉の裏にはデルタで育ったウィルロアを卑下した意味が込められていた。

気付かないふりをして笑顔で頷いたが随分と嫌われたものだ。

 アズベルトに嫌われようが傷つくわけじゃないけど、敵視されるのは困るんだよなー。

 というのも、これがただの血を分けた兄弟ならどうということはない。だが自分達は王族で、正当な国の後継者だ。

 王位継承権の上位に位置する兄弟間で下手な争いに巻き込まれたら、ウィルロアの人生設計の優先事項である『悠々自適な生活』が危ぶまれてしまう。

 だからいけ好かない奴でもこの関係を好転させなければならなかった。

 ウィルロアはアズベルトの側に寄り、小声で話しかけた。


「兄上」

「……なんだ」

「実は、カトリ王女と結婚したら城を出ようと思います」


 アズベルトは仏頂面で腕を組んだままだったが、視線はこちらへ向けられた。


「何故だ」


 おっ! ここ半月……というか十年。まともに会話なんて交わさなかった奴が遂に喰いついて来たぞ。


「本来ならば王位に就いた兄上を支えるため、王弟として城に留まるべきとは思うのですが、御存じの通り私は長くデルタで育ち人脈も政務も王弟として力不足です。兄上の足を引っ張るくらいなら大人しくしていた方がいいのではと思いました」


 鉄板のはにかみ笑顔にサービスで頬をポリポリ掻いて可愛らしさを追加すれば、無害で可愛い弟の出来上がりだ。

 俺は王位なんて興味ないぞー。お前の敵ではないぞー。


「城を出てどこへ行く」

「爵位を賜り、エーデラルでカトリ王女と静かに暮らします」


 ほうら、これで怯える事は無い、お前の弟は無欲で無害な……ん? アズベルト、歯を食いしばりながらめちゃくちゃ睨んできたんですけど!?


「ふんっ!」


 アズベルトは顔を真っ赤にして憤慨し、背を向けてしまった。


「……」


 え何で? すごい機嫌悪くなってたけど、意味わかんねぇ! 

 そこへ、セレモニーの開始を知らせる伝令役の騎士がやって来たのだが、その様相は少し違っていた。


「申し上げます。キリク王子並びにカトリ王女を乗せたデルタの一団が王都にご到着されました。これよりセレモニー用の馬車に乗り換え、城へと参られます」


 もう暫くお待ち下さいと言って去っていったのだが、慌てた様子に引っ掛かりを覚えた。

 馬車に乗り換えるとか、そんな予定なかったような……。

 案の定伝令役の騎士と一緒にレスター宰相まで退出していった。

周囲を見るとウィルロア以外の者は予定外の事にさほど気にした様子もない。


「……」


 ウィルロアは悩んだ末、先に退出した二人を追った。


「馬車が襲われただと!?」


 人気のない廊下で話し込んでいたのは、先程の騎士の他に数人の兵士とレスターだった。


「何かあったのか?」


 背後から追いかけてきたウィルロアの登場に、皆は慌てて居住まいを正す。


「カトリ王女は私の婚約者だ。馬車が襲われたとはどういうことか説明してくれ」


 言い淀む兵士から詳細を聞き出した。

 カトリ王女を乗せた馬車は、ラステマの国境付近であるデルタ国内で襲撃にあった。幸い王子と王女に怪我はなく、数人の護衛が怪我を負ったが死者を出さずに済んだ。賊も深追いせず逃げて行ったそうだ。

 一団は襲われたのがデルタ国内で、国境近くだったことから引き返さずにラステマ入りし、こちらの護衛と合流した方が安全と判断した。

 そこから全速力で駆けてきたが、民衆に晒すには馬車の損傷が目立つため、王都で新たな馬車に乗り換える必要があった。

 カトリ王女を一先ず待機場所に匿い、事情を説明するため伝令が来たという。


「馬車の手配は?」

「只今用意しておりますが、我が国のエンブレムを外す作業をしております。王都には周辺諸国の者や記者も詰めかけております。襲撃を嗅ぎつけられても困りますので」


 宰相が素早く答えた。

 なるほど。デルタの一行がラステマの馬車に乗っていたら何かあったと勘ぐる者がいるだろう。襲撃があったことが知られれば、和睦締結に水を差す事態になりかねない。


「馬車が通る道幅は十分に確保できているのか?」


 ウィルロアが訊ねると、道幅は広く確保し両側に等間隔で警護が配置されていた。聴衆にも手荷物検査をして、安全に配慮されているのを確認する。


「それならオープン馬車のキャリッジを使ってはどうだろう」

「セレモニーにはぴったりですが襲撃のあとで大丈夫でしょうか」

「賊がデルタ側に引き返したことと、その後の道中に何もなかったことを見れば同一による襲撃はないと思う」


 箱馬車よりは装飾の少ないオープン馬車で、尚且つカトリの顔がよく見えれば視線はそちらに集まり、聴衆は馬車がラステマ国のものでも気に止めないだろう。


「なるほど。集まった国民のためにキャリッジに乗り替えていただいた、という演出にも見えますね」


 レスターは伝令役に素早く伝えた。


「殿下の意向通りにしろ。それから関わった騎士にはかん口令を敷き、更に警備を強化するように」

「はっ!」


 伝令と騎士たちは走り去っていった。

 廊下にはレスターとウィルロアの二人きりとなる。


「襲撃の件はセレモニーが終わり次第陛下にご報告いたします。襲撃されたのがデルタ国内である以上、ラステマは表立って調査に協力しなくてもいいでしょう」

「表向きはそれでいいが、こちらも無関係ではないのだから捜査協力は惜しまないでほしい」


 大事な和睦に不協和音は残しておきたくない。


「畏まりました」


 にやりと笑った古狸に、これは余計な事まで言わされてしまったかなと笑顔の下で後悔した。

ウィルロアが言わずともレスターなら手回ししていただろう、彼とは幼い頃から付き合いがあるのでその能力は買っていた。

 今のはわざとか。敢えてウィルロアに政治的な発言をさせた気がする。

 やはりレスターとは少し距離を置いた方が良さそうだ。


「あ、君」


 待機場所に戻る途中、すれ違った騎士に襲撃にあったカトリ王女の様子を詳しく知りたいと声をかけた。


「掠り傷一つなくお元気なご様子でした。襲撃後も王女様は気丈に振舞われておいでで、逆に中止を進言した臣下をキリク王子と共に宥められたとか」

「そうか。それを聞いて安心した。ありがとう」


 末端の騎士にも気さくな笑顔で礼を言う。若い騎士は感動して深く礼を取り、足取り軽く去って行った。


「……」


 ここまで話を聞いて、どうやらウィルロアがイメージしていた王女とは違っていたようだと考えを改めた。

 ふーん。和睦の重要性も理解していて肝も据わっていて両陛下やラステマ国民からの信頼も厚い、となると婚約者様は想像以上にしっかりした王女様なんだな。

 とはいえカトリ王女には一度も会ったことがないので、デルタの城に飾ってあった幼い頃の姿絵を見ただけなのだが、なんとなく、儚げで泣いているイメージを持っていたウィルロア。

そうか、しっかりしているんだな。どちらかというと、こちらが守ってやらなければならないような人だと思っていたんだが……。

 なんて。勝手に想像しておいてイメージと違うと感じるのは失礼か。


 ウィルロアがレスターと共に控えの間に戻ると、ちょっとした諍いが起きていた。

 外にまで聞こえる声でアズベルトが怒鳴っているではないか。

 耳を傾けると侍従に対して怒っているようだ。

クラバットの柄が気に入らなかったらしく、事前に言った物と違うだの日頃から伝えた通りの物が用意できていないだの、くだらない内容だったため溜め息をついた。勿論心の中で。

 そんな状況でウィルロアは、同時に周囲の様子も観察した。

 国王と宰相は気にした様子もなく、王妃は怪訝な顔をしていたが咎めることもない。

 つまり、アズベルトが侍従を怒鳴りつける光景は、日常的で別段珍しいものではないということだ。

 人望もない上(憶測)侍従にも恵まれていないとは同情するねアズベルト。まあ俺は政務をこなしているわけでもないし? 今のところ護衛二人と身の回りの世話をするメイドだけで事足りているけど。

 それもウィルロアが使用人は少数が望ましいと思っているからだった。


「よく聞けマイルズ! お前にはいつも言っているが私の――」


 一向に止む気配のないアズベルトの小言に耳を塞ぎたくなる。

 予定よりも長い待ち時間に苛立つ気持ちも分からなくもないが、アズベルトにはもう少し周囲にも気を配ってほしいものだ。

 延々と続く怒鳴り声は不快で居心地が悪いし、侍従に怒鳴りつけても周囲が委縮してしまい自分の評価が下がるだけで生産性がなさすぎる。さっきまでの腕組んでむっつりしていた方がマシだ。


「そういえば、ウィルロアに侍従をまだ付けていなかったな」

「只今慎重に選んでいる最中です」


 げ。後ろで不穏な話が聞こえてきたんだけど……。ああ面倒臭い。これ以上周囲が騒がしくなるのは御免だ。

 侍従ね……。せめて頭の悪い奴だけはやめてくれよ。逆に決定事項なら気に入った奴を自分で選びたいんだけど。

なんてことをすまし顔の下で考えていると、聴衆が騒ぎ出した。

 そしてセレモニーの開始を知らせるファンファーレが鳴った。


 来た……!


 国王は王女を迎えるべく立ち上がり、合図と共にバルコニーのカーテンが開け放たれる。

国王とその後に王妃がバルコニーに登場し、観衆は大いに沸いた。

それから王太子アズベルト、ウィルロアの順で進み、左右に分かれて四人は国民に手を振った。

 地響きのようにびりびりと体に刺さる歓声に身が竦む。王都は人で埋め尽くされ、ベランダや屋根の上からも一目ウィルロアとカトリ王女を見ようと民が集まっていた。

 すごいな! 皆何言ってるか全っ然わからん。

 歓声は巨大な化け物のように一つの唸りとなってウィルロアの耳に届く。

 この中の何人かが自分に罵声を浴びせても恐らく騎士に聞こえることなく無罪放免だろうな。ちっ。

 ウィルロアは戸惑いながら瞳を潤ませ、それから胸に手を当て感慨に浸りながらゆっくりと顔を上げた。

 国民に迎えられ、十年ぶりの祖国に帰ってきた王子――。

 より叙情的に演出してやれば、観衆の全てがウィルロアに釘付けになった。

 こんな時、性格は悪くても美形に生まれてきてよかったなと思う。

 ここ一番の完璧な笑顔で手を振ると、どっと歓声と拍手喝采が降り注いだ。

 あー気持ちいい。

 再び高々にファンファーレが鳴り響き、聴衆の視線は王城へと続く花道に向けられた。

 待ちに待ったカトリ王女の到着だ。

 さあ、お膳立てはしてやったぞ。あとは王女の登場で感動のフィナーレにする!

 ガラガラと馬車の音がし、ウィルロアが用意させた二頭馬車がカトリを乗せてやって来た。


「!」


 ついにウィルロアは自分の婚約者と初対面を果たした。

 人の視線なんて気にせず身を乗り出して王女を見入る。

 あれが、俺の妻になる人――。

 艶のあるウェーブのかかった黒髪に色白の肌。瞳は焦げ茶でビー玉のように大きく、肌が白いせいか小さな唇が赤く映える。

 大きく、なったな……。

 そんな老人くさい感想が出てくるのは、デルタでカトリの幼い頃の姿絵しか見たことがなかったから。

 ウィルロアは、カトリが大人の魅力的な女性へと成長していたことに気まずさを感じていた。

 ウィルロアが見惚れているとも知らずにカトリは、堂々と背筋を伸ばし真っすぐと前を向いてこちらに向かってきた。

 聴衆が手を振り、紙吹雪でカトリを温かく出迎える。

カトリは堂々と背筋を伸ばし真っすぐと前を向いてこちらに向かってきた。

 国王や王妃もカトリに親しみを込めて手を振る。

 カトリは堂々と背筋を伸ばし真っすぐと前を向いてこちらに向かってきた。


 ん、んん!?


 カトリは真っすぐ前を向いたまま、手も振り返さず、一点を見つめ脇見もしない。それどころか笑顔もなく、全くの無表情だった。

 もしや襲撃でどこか痛めたとか!? あの無能騎士偽りの報告をしてたらただじゃおかねぇぞ!

 ウィルロアは焦っていた。

もしカトリが怪我を負っていたなら、この後に続く予定は先延ばしにしてでも治療を優先すべきと考えその身を案じた。

 だがしかし、そんな心配と同時に周囲に違和感を覚える。

 大歓声で迎えられる中、この無表情の塩対応の女を、国王は、国民は、皆笑顔で自然と受け入れているのだ。


 ん、んん!?


 一人戸惑うウィルロアを余所に、鳴りやまぬ歓声はカトリの姿が見えなくなるまで続いた。

 最後まで、一度も笑顔になることなく――。

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