4.誰も彼も見られてる

第10話


「てか委員長お前が徒歩通学とは知ってたから、うちが家の場所教えてくれたら自分で行くわって言うてたで? うちが勝手に教えてええか分からんから引き受けただけで、ゴリ押しされた訳ちゃうからな? ゴリ押しは仕切り屋共。あいつら頭悪いわ声はデカいわで、委員長も困っとったわ。勉強せんとイベントの時だけ張り切ってほんまカス。人纏める能力も無いくせに」


「赤瀬」


 視線を動かせなくて呼びかける。


「あ。ああごめん、愚痴ってもうた」


「あれ何」


「ん?」


「一本道に何かいる」


「え?」


 赤瀬は言うなり身を乗り出したらしく、衣擦れがした。首を伸ばしているのか、少し遠くなった位置から赤瀬の声が続く。


「……んー。ごめん。霧でよう見えへんわ」


 声に申し訳無さが滲んでいた。


 心臓が握り潰されるように痛む。背骨の辺りが冷たくなった。


 赤瀬はそんな嘘言わない。


 それが導く結果から目を逸らそうと喋り続ける。


「見えてるって。こっちを見てる」


「ほんま? どんなん?」


「人。一人で突っ立ってる。道の真ん中」


「……目え悪なったか? いや済まん。ほんまに見えへんわ」


 赤瀬は罪悪感を増して言うなり歩き出した。あの誰かへ近付くような格好に、つい腕を掴んで引き止める。


「ちょっとどこ行くの!?」


 赤瀬は私と同じぐらい驚いて振り返って来た。


「ど、どこって、信号青やん。渡らな」


 言われて目をやる。街灯の援護を受け、何とか霧から逃れている信号機から放たれる光の色が、青に変わっていた。


 一本道のあれに気付いてから、やっと別のものへ目を離せたと少し安心する。でも、目を離したら何かよくない事が起きるのではと不安が噴き出しすぐ戻した。あの誰かは変わらず、空から地面すれすれで首吊りしているような姿勢で佇んでいる。


 いや、立ち位置が変わっている? ほんの僅かにだが、さっきよりこちらに近付いているような気がする。でも確信が持てない。霧の濃いグレーに塗り潰されて、上手く距離感が掴めない。


 霧に翻弄されている。生まれて初めてだ。視界不良なんていつもの事だし、その上で何かを踏んだりぶつかったりしないよう注意を払う暮らしに慣れている、この町の住民なのに。


 覚えた事の無い不安が、理性を追いやるようにどんどん頭の中で腫れ上がる。


 赤瀬は横断歩道に踏み出したまま、困惑気味に言った。


よ行こ? 危ないで」


「駄目。裏門から入ろう。戻って」


「どないしたんほんま?」


「いいから。戻って」


なんもおらんて。気の所為や」


「いるってば!」


 戸惑う赤瀬を怒鳴り付けた。


 ショックに目を見開く赤瀬の肩越しに、一本道にいた筈のあの誰かが立っているのが見える。


 向こう岸の信号機の足元にいる。生物の身体とするには不気味なぐらい直線的に背骨を伸ばして、こちらへ首を捻じったまま。すぐそこにいるのに、その姿勢で存在している事だけが分かる不明瞭さを保ち視線を投げ続けて来る。まるで、迎えに来たみたいに。


 息を呑んだ。肩が縮こまって、仰け反るように大きく後退る。


 私の様を見た赤瀬から戸惑いが消えた。


 スイッチが入った。


 冷徹と激怒が同居するあの目になって、横断歩道の向こう岸へ振り返ろうと首を巡らせる。


「赤瀬さーん!」


 聞き慣れた女の声が赤瀬を呼んだ。


 うちのクラスの委員長だ。蘆屋あしやひなた。一本道を覆う霧の奥から、ポニーテールとリュックを揺らして小走りに現れるなり、こちらへ真っ直ぐ向かって来る。赤瀬と同じく、あの誰かが全く見えていないように。


 全身が凍ったように冷たくなった。


 委員長に向けていた視線を、あの誰かへ戻す。


 いない。


 どこにも。


 遠ざかっていく姿すら見当たらない。霧に紛れるでも無く、煙みたいにいなくなった。


 ほんのさっきまであの誰かが突っ立っていた空間に、委員長が収まる。


「ごめんねお願いしちゃって! 水間みずまさん、プリント持ってる!?」



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