第5話


「それは噂です」


 グラスの水を一口飲んだ。


「根も葉もありません。こんな雰囲気の町ですから、でっち上げられたとしても不思議じゃない作り話ですよ」


 じっと聞いていた矢花やばなさんは数秒置くと、残念そうに背もたれに身を預ける。


「そっかあ。まあこれが事実だったら警察が頼り無さ過ぎだし、この町の知名度ももっと上がってるもんね」


「そんな治安なら皆引っ越してゴーストタウンでしょうね」


「はは。それはそれで撮影に使われそうな曰く付きの土地になるけれど」


「全くです」


 この人まだグラスに手を付けない。


 結構喋ったし、その前は玄関で私に驚かされて硬直してたし、その更に前には異様なテンションによる奇行で私を廊下から家へ引き摺り込んだのに。そもそも初めて彼氏の実家に行くとは、それだけで緊張するものではないのだろうか。


 やっぱりこの人変だ。


 電話ではああ言ったが、お兄ちゃんが帰って来るまでずっとこの人の相手をする気は毛頭無い。適当な所で友達と予定があるとでも言って置いて行くつもりだ。その間家を荒らされたとしても余り関心が無い。この人と一緒にいる危険と比べれば。


 とは言えこの人との交流は三ヶ月後まで終わらないだろうし、ある程度性質は把握しておきたい。安全の為に。そう思ってまだ逃げ出していないのだが、言動が不気味過ぎるし納得いかない点がおおぎる。


 まずいつから私を待っていた。ざっと見て家の中が荒らされた形跡が無かったという事は、ずっと玄関で私を待っていたのか。いつ帰って来るのか分からない私を間髪入れず引きり込めたという事は、タイミングを逃さないようあの僅かに開けたドアの隙間から、ずっと外を眺めて。そんな狭い視界で、私が水間みずま涼穂すずほであると確信して。


 お兄ちゃんから写真を見せて貰っていたとしても、そんな狭まった視野でも分かるぐらい記憶するまで見るなんておかしい。何をたかが女子高生一人に期待している。彼氏の妹なんて、殆ど他人みたいな私に。


 仕事をしない表情筋に今日程感謝した事は無い。考える余裕が出て来たとは言え心臓はまだ大人しくならないし、沈黙していると閉じた口の奥で無意識に歯を食い縛ってしまう。悪い癖だ。ストレスをこらえようとするとすぐやってしまう。


 キッチンから果物ナイフを持ち出さなかった事を後悔する破目はめには、なりたくないのだが。


「どうです? 折角せっかくなら撮影に使われた場所に案内しましょうか? 正直、急な来客なのでもてなす用意もしていませんし」


「それも確かに! でもまあ、三ヶ月通うんだから今日じゃなくてもいいよ。今は涼穂すずほちゃんの事聞きたいな」


「答えられる範囲なら」


 またかわされた。


 さっきからそれとなく、そちらの人となりについて聞き出そうと話題を振っているのだが、全部私を喋らせる方向へ返されている。


 嫌な汗が背骨を舐めて落ちて行く。


「部活はやってるの?」


「いいえ」


「勉強は得意?」


「クラス成績一位から外れた事はありません」


「すっご。得意科目は?」


「ありません」


「えっ? 無いの?」


「やらないと周りがうるさいからやってるだけなので」


「へえー……。じゃあ、放課後は今日みたいに真っ直ぐ帰って、お家で勉強?」


「毎日って訳では無いですけれど」


「ほお真面目。行きたい大学とかあるの?」


「まだ考えてません」


「お友達と遊ぶ時はどんな事してる?」


「相手によります」


「一番仲いい子とは?」


「…………」


 不愉快でつい黙った。


 素直に答えればその内黙るかと思いきや、立ち入って来る程度が深くなるばかりで。


 答えない私の目を捉え続けていた、矢花やばなさんの視線が下がる。


「その制服、この町にある公立校のだよね。私の同級生も通ってたんだあ」



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