『クローズドマグマ』その②

 お姉と出かけたことを除けばデートというのは初めてで、さらには誰かと遊びに行くというのも初めてだった。

 お姉が嫌がるだろうから。

 それだけにこの間の港町行きはレアケースだ。

 台無しにしてしまった私が今でも恨めしい。

 あの後、つまりパンケーキさんに助けてもらって……キス、された後。

 結局怖がった私を見かねてホテルまで送り届けられ、そのまま何もなく別れた。

 手を出してきたパンケーキさんが悪いというのは間違いなくそうなはずだけれど、実際問題あの時の私だって受け入れてしまっていて。

 単に罪悪感が傷心を埋めるような行為の気持ちよさに勝ったとうだけで、あと少しでも逡巡していたら、きっとあの夜はそのまま二人で寝ていたと思う。

 彼女はそういう、絆されるような、許されるような雰囲気があるのだ。

 性欲というか、がっつくようなものは感じられない。性愛よりも博愛に近いのかもしれない。

 私がスケベという訳では断じてない、と思う。

 それでも、口実があるとはいえこうして再び、合う約束をしているのだから自分でもわからなかった。

 最寄り駅から乗り換えて一時間。

 何度と無く来た都会だったが、悪いことをしているような浮遊感が違った景色を見せる。

 待ち合わせ場所は花の塔広場の喫茶店で、そこのテラス席に座ってパンケーキさんを待っていた。

 時間まではあと十五分くらいあるから、それなりに余裕があると言える。

 早めの昼食のサンドイッチはあと一個残っていた。

「ふぅ……、すみません、コーヒーおかわりお願いします」

「かしこまりましたっ!」

 感じの良い小柄な女の子がオーダーを受けてくれた。

 彼女を見送って、サンドイッチに両手を添える。

 そんなに大きいものでもないので、二、三口で食べ終わってしまう。

 あとはゆっくりコーヒーを飲んで待てばいいだろう。

 家……というか音夢ハウスには戻るに戻れないので、ここ数日はさるネットカフェで寝泊まりしていた。

 サービスはいいのだけれど、仕方がないが手狭で。

 こうして物理的に手足を伸ばしてゆっくり出来るのもしばらくぶりだった。

 ところで。

「ちょっと遅いかな」

 数分経っても店員さんが戻ってこない。

 訝しんでいると携帯電話が振動してメッセージが来たことを教えてくれる。

「なんだなんだ」

 確認するとパンケーキさんからで、三十分くらい遅れるとのこと。

 これとて特に今日予定もないため、まあそれくらいなら許容範囲ではある。

 了解です。と返信して数秒、突然視界が真っ暗になった。

「ふぇぇっ」

 もちもちの柔らかい肌の感触、ほのかに香る柚子。

「可愛い声だねぇ」

 しっとりした甘露な声が耳元に聞こえる。

 ちょっとくすぐったい。

「いたずらはやめてよ」

 隙だらけでつい、と言い訳して目隠ししていた両手を離す。

 整えられた爪に日光が反射する。前に会った時はバチバチに飾っていたが、付け爪だったらしい。

「私もお昼まだだから食べていっていいかな」

「あっ、どうぞ」

 パンケーキさんは対面に座って、ちょっと離れたところにいた店員さんに私のと同じのを注文。

「あっ、えっと、はい!」

 と戸惑っていた様子なので、何かバタバタしているらしい。

 どうせパンケーキが食べる時間もあるわけだし、コーヒーはもう少し待つことにした。

「あのそれで、本題……なんですけど。これ」

そう。今日は都会に遊びに来たわけではなく、まして、パンケーキさんとデートしに来たわけでもない。

 色々迷惑を掛けたお詫びに菓子折りを持ってきたのだ。

 あのまま道がわからなくなっていたら寒さで風邪を引いていただろうし、そうでなくとも特に関係ないのに私を探させてしまったわけで。

「ここではやめとこ、一応食べ物持ち込む感じになっちゃうしさ」

 手提げから取り出そうとすると、パンケーキさんにやんわり静止される。

「あとでどこかで座ったら受け取るよ。わざわざありがと」

 確かにそれもそうで、大人しく手を引っ込める。

 タイミングよく店員さんが戻ってきて私のおかわりのコーヒーと、サンドイッチが並べられた。

「ほーちゃんありがと〜」

「いっ、いえ! では失礼します」

 店員さんは赤面してそそくさと去ってしまう。

 トレンチを落とさないか心配だ。

「今の子知り合いですか?」

 いただきますっ、と早速かぶり付くパンケーキさんに問う。このお店は特に名札とかは付けてないし、だとしても推定初手あだ名呼びはなかなかヤンキーだ。

「うん。五分前から」

 仲良くなったよ、ではない。

 それは初対面と言うんだ。

 ただまあ、考えてみれば。

「私とも、それくらいのスピードで距離詰めてきましたよね」

「まあ私女の子に嫌われたこと一度しか無いから。そういう自身はあるよ」

 攻め攻めで行こう、と笑顔。

「……かわいい」

「おっ、ありがと。素直な子は大好きだよ」

 ウインクと指差しで軽率に愛を囁かれた。

 無意識に、考えてたことが口から出ていたらしい。

「ごめんなさい、つい」

 照れ隠しにコーヒーを呷る。

 雑に動かすものだから、溢れこそしなかったけれど舌の根と喉を軽くやけどしてヒリヒリと痛い。

 舌を噛んでも微妙に誤魔化しきれなかった。

「お姉……音夢は、元気にしていますか? あれから気まずくて家に帰れてなくて」

「……ぅん、音夢ちゃんとは私も会って無くてさ。ごめんねぇ」

 少し考え込むような素振りを見せた。

「あの子のことだから寂しがってるとは思うけど、仲直りはゆっくりでも大丈夫だよ。私も協力するし……まぁ、結局は当人たち次第にはなってしまうけどね」

 ありがとうございます、と会釈する。

 会話していて、どうしてもパンケーキさんの唇を見つめてしまう。

 あの白妙が私に触れたのだということを自覚すると、頬の奥が溶けるような妙な感覚を覚えるのだ。

 じーっ。

「な、なにか付いてるかな」

「いえ、なんでも」

 またしてもコーヒーを飲んで誤魔化す。今日の私は気が緩みすぎだ。

 飲み干してしまうと少し気分も締まって来て、パンケーキさんも食べ終わったみたいなので席を立った。

「それじゃ向こうの――」

「それで今日さ、ちょっと映画見ない? こういうの好きだと思うんだけど。チケット代は奢るよ。」

 流れるようにポケットから出てきたのは女の子がバンドやるアニメの総集編。

 どこで私の趣味を知ったのかは謎だけれど、なるほど私もこういうのは好きだ。

 お菓子は割れやすいのでも痛みやすいのでも無いし、カバンに入れとけるからそんなに問題にはならないだろう。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 でも流石にチケット代は出そうと財布を出そうとして、足元にカードがに枚、落ちていることに気がつく。

 位置的にパンケーキさんがポケットから落としたのだろう。

 拾い上げると一枚はパンケーキさんの名刺で、もう一枚はここのポイントカードだった。顔写真と連絡先と、料理店店長兼オーナーという身分が書いてあるいたって普通のものだ。

 問題は二枚目である。

 物自体は確かにポイントカードなのだが、だが。

 裏面の余白にサインペンで、電話番号に「島崎穂雨月」と名前が書かれている。

「これって」

 ほうげつだからほーちゃんか。

「ほら、私モテるからさ」

 ナンパされてたから店員さん遅かったのか。

 そうか。

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