虻蜂取れずのアンビバレント

クローズドマグマ

『クローズドマグマ』その①

 朝目が覚める度に一番嫌いな人間の顔を見る生活に嫌気が差して、ついに窓ガラスを破壊していしまった。

 私のことである。

 寝ぼけ眼、散らかした部屋に転がっていた携帯電話をつまんで、衝動に任せて一投。

 角が効いたのか、絵に描いたような亀裂が入って少し面白かった。

 ちなみに携帯電話は跳ね返って床に転がり、基盤をむき出しにして倒れていた。

 多分壊れたと思う。どうせ使う当てもない。

 二秒くらい笑って、手元にあった目覚まし時計で追撃して窓ガラスにとどめを刺す。

 さっきまで面白かった気がしたのだけれど、正直自分でも怒っているのと区別がつかない。

 ついでに目覚まし時計の文字盤も私を写すので踏み潰す。

 ひしゃげたガラスの破片の一つ一つに映る人影も憎くて仕方なくて、それが玉の屑になるまで手当たり次第砕いていく。

 これを壊しているという事実だけが私を安心させてくれた。

 私は自分が嫌いで、でも嫌いなものをそのままにしておくことはもっと嫌で。

 だから、自分を否定し続けることでしか自分を肯定できない。

「ああっ、もう」

 ままならない。

 荒げた息に手元が狂う。

 爆ぜたガラス片が私の肌をいくらか裂いて、鮮赤色が指を伝う。

 それを拭いもせず、よく見ようともしないで、反射光が生かす私を殺して回っていた。

 痛くはない。

 それよりも私を憎んで、それを物理的な破壊という形で示すことのほうが大切だった。

 もっといい人生に生まれたかったというのが、おそらく今の私の願いだった。

 およそ持っている人間はより手に入れて、持っていない人間は奪われていくのだ。

 生まれつきの個性なのだと、私は言う。人生の長さに比べれば、私が出来なかった時間なんて大したことがないと言う。

違う。

 幼少、そしてあの夜まで真の意味で理解していなかったが、過去と現在と未来というのは繋がっていて、私の暗い過去は永遠に未来を犯し続ける。私が星に手を伸ばそうとも、その羽を捥ぐのは過去だ。

「――ならばいっそ、病んでしまいたい」

 けれど私は星を見てしまったから。美しく輝くそれを夢見てしまったから。私は、星を見ていたい。私は星に届かないとしても、そんな愚かな願いを捨てられない。

「珠火ぁ……ごめん」

 結局のところ、仮に神が居るのだとしたら原因に興味を示さないだろうことに気がついていた。

 私がなんで歩いているのか、なんで足を止めたのか。そんなことには興味がない。私がどうやったら歩けるのか、歩いたらどんないい事があるのか、歩かないとどうなるのかは雄弁に語るくせに。

 私の話を受け止めてくれる神ってのは、居ない。

 所詮人間はそんなもんだと、楽に死ねる方法を探しながら惰性のまま転がっていたけれど、その先が明らかに海の底でも、月があると信じて転がっていたけれど。

「もう、つかれた」

 自分の足で立っていることすら信じられず、骨の髄から身体が崩れていく。

 途端に痛みを思い出して、それを誤魔化すように喉の奥へ吠えた。

 グツグツと煮え立った岩漿のような攻撃性が消えてくれない。

 溢れ出てくるわけではないのだ。

 腹の奥の、毛細血管の境目の、足の指の先の、喉笛を。焦がして溶かして廻っていく。

 それだけが私を生かしていた。



 カーペットの上に身体を投げる。

 大の字になって、思考の潮流に身を任せていた。

 珠火を盗まれたから、多分三日くらい経つ。

 多分とかくらいというのはカレンダーがないから正確な日付がわからないということで、起きるのも寝るのも適当で無意識だから自然、時間の感覚も曖昧だった。

 今が日没なのか、日の出なのかも正直怪しい。

 こうやって衝動的に暴れまわるのも何度目かで、それこそ正確にはわからない。

 カレンダーは、帰ってきた翌日八つ当たりで破いた。壁紙は血で茶色く変色しているか剥がれているかで、そもそも私の身体も全身痣だらけである。

 もともと肌は白いというか青白いのだが、外に出なくなったからか輪をかけて色が抜けていった。

 それだけに痣が目立つ。

 ほぼほぼ毒キノコである。

 目下のところ、意思を殺すように眠りにつき、目覚めと同時にあの日の正解の選択肢についての懺悔を繰り返すだけの日々を送っていた。

 結局問題は調子に乗って、私が何も変わらないままだったのに成長したなんて幻覚を見たまま歩こうとしたのが悪いのだろう。

 じゃあどうすればよかったのか?

 珠火の思考を追いきれていなかった? 体力不足? パンケーキより私に、魅力がない?

 私は珠火に相応しくない?

 そうやって煮詰まっていった思考回路に不意に一匙の憂鬱が混ざってしまえば途端、ああいうふうなライオットで壊れそうだ。

 逃げたいと思った。逃げて、逃れて、楽になりたかった。

 親指を加えて、湾曲する爪の縁に噛みついて千切る。

 刺すような痛みが一瞬、頭を空っぽにしてくれるのだ。

 そんなことを繰り返しているから、指の爪はズタズタで、隙間から血が滲んでいる。

 指先の皮も剥がれかけていた。

「痛っ」

 小指の爪を噛もうとして、今になって腕の傷が痛む。

 ガラス辺が入ったままだと危ないぞ。という理性と、だが傷が治ろうと珠火は戻ってこない。という諦観が湧くけれど。

 争いもせず頭の中を流れて、定着しない。

 それなりに深く切ったのか、まだドクドクと血が送られる音がした。

 多分もう二分もすれば気にならなくなると思う。

 早く慣れることを願った。

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